第57話 鏡の奥まで、君だらけ
※R15要素注意です
久しぶりの『無名の夜会』。
初めてノアとリィが、一緒に参加する。
少しわくわくして来てみたのだが…
今日の催しは「合わせ鏡の迷宮」。ゴール地点が会場で、バーになっているらしい。
「なんだそれ」
思わずノアが張り紙を見てつぶやく。
「…迷路みたいですね」
リィが言う。
門番がうなずき、扉を開ける。「次の人が入るまで20分以上です」と言われる。
鉢合わせしないように配慮されているようだ。
(いいけど、早くワインが飲みたい)
入ったノアは驚く。
入口のドアが締まると、どこが入口だったのかわからない。
唯一床は鏡ではないが、四方が鏡合わせだ。前後、左右、斜め四方向。
暗さもあり、どこに向かうべきなのかが全然わからない。
一体誰がこんなものを…。
(暇人もいるもんだな)
ノアは感嘆と呆れ、半分半分で周りを見回す。
「まあ…じゃあ、リィ、行こうか」
ノアがリィの手をとる。二人は手を繋ぎ、迷路を進む。
(仮面越しだとなんか見えにくい…)
ノアは早く抜けてしまいたかった。
一方、リィはというと。
ノアの後ろをついていっていたが、四方にノアが映っているのを見て、心臓がうるさくなっていた。
(ノアがいっぱいいる)
美しい銀の髪をまとめたうなじが、ピンポイントで見える。
横を見ると、ノアの細い横顔が見える。
左右斜めに、視界に無限にノアがいる。
しかも、僕たちは手をつないでいる。
夜の、僕たちしか知らない恰好をして。
——自分たちが並ぶ姿を、外の密室で見るなんて…
いろいろな方向を見ていて、足元がつっかかった。
思わずこけそうになる。
「っと‥‥」
ノアが受け止めた。
その瞬間、背筋がぞくりと粟立つ。
「大丈夫?」
「うん…」
仮面から、こちらを見つめる琥珀色の目。
スマートな立ち振る舞い。
低くてなめらかな低い声。
(本当の恋人になった、僕だけのノア…)
——だめだ。
もう、だめだ。
ノアの声を聞いただけで、体が反応してしまう。
犬みたいに、もう、覚えてしまっている。
この声を聞くと、脳から快感物質が出る。
ブルブルと、体の内側から震えが止まらなくなる。
アレクシスの焦点がじりじりと揺れはじめ、顔に熱が上る。
あまりの興奮に立っていられない。
「リィ?」
下を向いてしまったアレクシス。
体が異常に熱い。
肩を大きく上下させて、溺れるように苦しそうな息をしている。
ノアは思わず彼の頬に触れた。
熱い。
指先がびくりと震えて、アレクシスが苦しそうに目を閉じる。
ノアは彼の手をひき、壁にもたれさせる。
人がいないことを確認する。
ノアの手を掴む、彼の手が熱くて。
苦しそうな呼吸。
ノアの声が落ちてくるたび、アレクシスの呼吸が浅くなる。
青い瞳から、少しずつ余裕が消えていく。
もう、何を言われているのか理解できていない顔だった。
彼女を見つめる視線だけが、異様に熱い。
ノアしか知らない、スイッチが入った彼の目だ。
「……っ、ノア……」
掠れた声。
その呼ばれ方だけで、胸の奥がきゅっとなる。
必死に耐えているのに、隠しきれていない熱。
――また、一人で耐えていたんだ。
こんなになるまで。
ノアの声ひとつで、理性がほどけてしまうほどに。
苦しそうに息をする彼を見て、エレノアの胸がじわりと熱くなる。
(かわいい)
そう思った瞬間、ぞくりと背筋が震えた。
彼のこんな顔、自分しか知らない。
――こんな顔をされたら、放っておけない。
横に黒いカーテンがある。
「これで落ち着いて」
ノアはリィとともに厚手のカーテンの陰に飛び込み、逃げ場を塞ぐように鏡の壁へと押し当てた。
――ひやり、とアレクシスの背中に鏡の冷感触が伝わる。
同時に、正面からはノアの圧倒的な熱量と、彼女の甘い香りが押し寄せた。
「……っん……ふ…あ…」
遮断された視界の中で、熱い唇が強引に重ねられる。
驚きに開いた隙間に、躊躇なく滑り込んでくる深い口づけ。
迷宮の静寂の中で、二人の呼吸の音が響くような気がする。
反射的にエレノアの肩を掴むアレクシスの指先が、シーツを掴むときのように激しく震える。
優しくされるほど、おかしくなる。
思わず逃げ道を探して目をやれば。
鏡越しに無限に続く「自分たちの密事」が、目に入って、脳が真っ白になる。
――大好きなノアが、僕を男の姿のまま乱暴に貪っている。
そんな僕たちの姿が、鏡の奥まで無限に続いている――
脳がしびれてチカチカする。
誰かに見られるかも。
聞かれるかも…。
そう思うのに、止められない。
唇が離れたとき、銀の糸が二人の間に細く、頼りなく光った。
ノアは乱れた髪をかき上げ、蕩けた瞳の彼を見下ろす。
「リィ、続きは帰ってからだ。……そんな顔、他の誰にも見せたらだめだ」
「は、……ぁっ……」
膝の力が抜け、アレクシスはその場にずるずると崩れ落ちた。
焦点の合わない瞳でエレノアを見上げ、彼は震える手で彼女の裾を強く、強く握りしめる。
「帰っ…る………お願い、ノア……」
掠れた声で乞う彼の姿は、気高い公爵令息の面影など微塵もなかった。
(アレクシス様は疲れてると、すぐこうなるんだから…)
想いを伝え合ってから、アレクシスはエレノアなしでは生きていけなくなっていた。
さらに、忙しくてエレノアに会う時間が減ると、発作のようにこうなってしまう。
――ギルバートにそれとなく、もっと休みをとるように伝えないと。
しかし、自分らしさを出せなかった今までの彼の境遇や性格のことを思えば、感情を出せるようになったのはとても良いことに思えた。
(それに、まあ、かわいいからいいか)
ノアは困りながらも嬉しいため息をついて、彼の手を引いた。
出口を探して壁を手で触れながら進む。
アレクシスはノアの背中にくっついたまま、離れようとしない。
「リィ、ちょっと待って。出口を……」
「……はやく」
「わかってる」
結局、出口を見つけるまでに十分かかった。
その間ずっと、アレクシスはノアの腰に腕を回したまま離さなかった。
何とか屋敷の、自分たちの部屋までたどり着く。
ドアが閉まった途端、アレクシスは我慢の限界といった様子で、自分の上着を床に放り投げた。
そして、ノアの体に縋り付くように熱い口づけをする。 そのまま、もつれるように寝台へ倒れこんだ。
いつも美しく整えられた金髪は野性的にかき乱され、
はだけた胸元から荒い呼吸が覗いている。
アレクシスは高熱に浮かされているのか、あるいは毒を煽ったのか。とろりと蕩けた瞳には、もはや彼女以外の風景は映っていない。
迷宮で見た、無限に続く自分たちの愛し合う様子が、頭から離れないのだろう。
「ノア」
そう言って、彼は腕を広げる。
(さっきの、もっと)
――って、目が言ってる。
ゾクリ
エレノアは燕尾服を着たまま、彼の上に座り、腕に収まる。
逃がさないように唇を重ねる
「...ん....ん...........」
アレクシスは、もう限界だという顔でエレノアを見つめる。
彼はノアの装備を剥がそうと手を伸ばすが、
今日はいつもにも増して指先がガタガタと震えていた。
――仕方ない。
エレノアはゆっくり脱いでいく。
その様子をじっと見つめる彼の瞳孔が開き、ジリジリと揺れる。
少しいたずらしてやりたくなって、
エレノアはアレクシスの首根っこを噛んだ。
「うわ...!?」
ゾクゾクゾクゾク。 アレクシスの奥から、経験したことのない快感が駆け抜ける。
右耳に優しく口を寄せると、彼は「ひゃっ……!」と可愛らしい悲鳴をあげた。
「次は、左……」
囁いた瞬間、不意に手首を強く掴まれ、寝台に押し倒された。
まばたきもせず、穴があくほど見つめてくるその目は、熱く濡れていて。
まるで、目だけで衣服を剥ぎ取られていくような、おそろしいほどの執着。
その逃れられない視線に、エレノアの心もまた、全身がしびれる。
――ここからは、彼の時間だった。
彼は荒々しくも、優しい手つきでエレノアに触れる。
声が出そうになると、アレクシスが口で、彼女の口を塞ぐ。
「屋敷のみんなにばれちゃう…」
エレノアがめずらしく恥ずかしそうにつぶやく。
アレクシスはフフ、と小さく笑う。
「きっともう、バレてるよ」
寝台の軋む音も、エレノアの声も。
たとえ聞こえていなくても、もう隠せない。
——僕たちの視線も、触れ方も。きっと、みんな気づいている。
「~っ!?」
動くたび、エレノアの呼吸が少しずつ乱れていく。
いつもは涼しげな蜂蜜色の瞳が、熱に溶かされたみたいに潤んで。
自分を映したまま、とろりと揺れている。
——嬉しい。
もっと、ドロドロにしてやりたい。
「……っ、ぁ……」
漏れた声に、心臓が跳ねた。
エレノアは普段、滅多に乱れない。
余裕があって、からかう側で。
自分ばかり翻弄されていると思っていたのに。
今は違う。
熱を与えるたび、 彼女の表情が、自分のせいで崩れていく。
それが、どうしようもなく嬉しい。
——もっと見たい。
もっと、自分でいっぱいにしたい。
僕のせいで、息もできなくなるくらいに。
****
朝日が眩しくて、エレノアは目を覚ました。
隣では、アレクシスがまだ愛おしそうにぐっすりと眠っている。
いつものように、エレノアは彼の腕の中にいた。
その金髪を優しく撫でて、洗面所の鏡の前に立ったとき。
「……あ」
自分が、ノアの『白い仮面』をつけたまま、朝まで過ごしていたことに気がついた。
――もしかして、昨夜のリィがいつもより乱れていたのって、これが原因……?
彼のちょっぴり危ない「性癖」をまた一つ知ってしまったような気がして、手鏡を握ったまま頬を赤らめるエレノアであった。
二人の朝はどこまでも甘く、幸福に満ちていた。 しかし、この時の二人はまだ知る由もない。
一方その頃、朝日すら届かない豪奢な一室で、一人の男が歪んだ笑みを浮かべていた。
机の上に並べられた二つの名家の資料を冷酷な目で見つめる。ローゼンベルク家とヴァルトハイム家。社交界の頂点に君臨するその牙城を、どう崩すべきか。
「どれほど気高き公爵家でも、金と人脈の網を張れば、内側から容易く腐り落ちるものさ……」
男の手元で、ヴァルトハイム家の家紋が刻まれた紙が、じりじりと握りつぶされた。
二人の甘い夜の裏で、ローゼンベルク家、そしてヴァルトハイム家を根底から陥れるための、最悪の罠が静かに動き出そうとしていた。
本日もお読みいただきありがとうございました!
この57話から第二章になります。楽しんでいただけると嬉しいです。
次回は9/18(金)予定です。




