第56話 番外編④ ユノとギルバート(アイゼンドルフからの帰宅後)
「ギルバートさん、その猫ちゃん、かわいいですね…!」
ギルバートは困惑したまま、子猫を抱いていた。まだ小さくて、目が開いたばかりだ。子猫は白い毛並みで、澄んだ青い目をしていた。
(旦那様の目のようだ…)
ギルバートは目を細めた。
二ャア、二ャア。
ギルバートがその子猫を見つけたのは、ある秋の日の朝だった。
大きな声で元気に鳴いているので、窓の下にいるのはすぐに見つけることができた。
拾い上げたところで、「わー!」と後ろから歓声が聞こえた。
振り返るとユノが目をキラキラと輝かせていた。
「そのこ、お腹が空いているのでしょうか?」
二ャア、二ャア!
子猫はギルバートに掴まり、必死に何かを訴えていた。小さな爪がギルバートの整ったジャケットに食い込んでひっかかりができた。
「ヴィクトルさんに、温かいミルクをもらってきます!」
ギルバートが何か言う前に、ユノはキッチンに走っていってしまった。追いかけてキッチンに猫を入れるわけにもいかず。
ギルバートはため息をついて、子猫を抱いたままでいたが、ユノはすぐに戻ってきた。ヴィクトルが朝食用に温かいミルクを準備していたのだろう。
子猫は嬉しそうにガブガブとミルクを飲んだ。
「わあ、かわいいですね…」
ユノがしゃがんで、子猫を眺めている。
ギルバートは少し前のアイゼンドルフの旅のことを思い出した。
ユノという娘は、余計なことを言わないタイプだった。 静かに、仕事をテキパキとこなす。
宿で食事をしたとき、ユノが静かに話した。
親がいないこと。 ローゼンベルク家で育ったこと。 エレノア様がいなければ、自分はどうなっていたかわからない、と。感傷的な言い方ではなく、ただ事実として話していた。
ギルバートはしばらく黙っていた。
自分も十五の時からヴァルトハイム家に務めるようになった。ただ真面目に仕事に従事してきた。結婚もせずに。
『メイドとして長く続けるなら、主人の癖を覚えることだ。何が好きで、何を嫌がるか。言葉より先に動けるようになれば、信頼される』
食事中、ギルバートがそう言うと、ユノが頷いた。
『エレノア様は、とてもカッコイイ方なんですよ』
そう言って、嬉しそうに笑った。
——孫のような年頃だ。
そう思ったが、口には出さなかった。
「アレクシス様のような、きれいな目ですね...」
子猫をそっと撫でながら、ユノがポツリと呟いたので、ギルバートは瞬く。
「そうだな...」
ユノがギルバートの方を見上げた。
そのとき、「すみませぇん…」と遠くで女の子の声がした。小さな子が、門にしがみつき顔を挟みこもうとしている。
「わ、私行って参ります」
「あ、ああ。頼んだ」
ユノは慌てて廊下を回り込んで、芝生を走り抜けて行った。しばらく女の子と会話していたが、すぐに小走りにギルバートのいる窓辺へ戻ってきた。
「どうしたのだ」
「その猫ちゃん、あのご令嬢が飼い主のようです」
足元にいる子猫を見る。ミルクをたくさん飲んで、もう眠そうだった。ギルバートは内心、くすりと微笑んだ。
「あなたの家へ、帰りなさい」
ギルバートは子猫を抱き上げ、ゆっくり、ユノへと手渡した。ユノはゆっくりと門へ向い、女の子へと猫を渡した。女の子が喜んでいるのが、もう遠くが見えないギルバートにもわかった。
馬車の音がして、女の子は帰って行った。
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「飼い主が見つかって良かった…。この屋敷では、ああいったのは難しい…」
戻ってきたユノに、門の方を見ながらギルバートが言った。
どんな顔をしているのか、ユノには見えなかった。
けれど、さっきからのギルバートの態度に納得した。
最初、猫が嫌いなのかと思った。でも抱いていたし、撫で方も慣れている感じだった。ただ途方にくれているという感じで、廊下に立ち尽くしていた。
猫を飼えるのかも、という一瞬の期待が、ギルバートの声音を聞いてしぼんでいった。
自分と彼と、見ている何かが違っているとわかった。
貴族が犬猫を飼うことはよくある。公爵家なら全くおかしくない。なのにこの屋敷には、馬以外は何も生き物がいない。
先日行った、アイゼンドルフの屋敷をユノは思い出す。
(たくさんの剥製があった…)
初めて見た、鹿やトナカイの剥製。大きくて、少し怖かった。そして、かなり厳しい屋敷の気配。
ヴァルトハイム家は昔から狩りを得意とする家柄だ。きっと、あの剥製は先祖が撃ち殺した鹿やトナカイなのだ。
——支配。
動物はその対象なのだ。ユノは指先が冷えていくような気がした。
その気配がこの屋敷にも漂っているのだ。
来客のための遊戯は用意されているが、アレクシスは一切手を出さない。菓子類も客人やエレノア以外には出さないと聞いた。
何か目に見えない、”こうしなければならない”というルールがたくさんちらばっている。
ユノは気づいた。
——人が笑顔になるようなものが、基本的に排除されている。
ヴァルトハイム公爵家というものの尊厳と継続のために、大きな何かの基準みたいなものがあって、それ以外は許されない。
(でも)
と、ユノは思う。
アレクシスが住むこの屋敷には、剥製はない。趣味の違いかもしれない。けれど、彼からは支配の気配は感じられなかった。
彼の執務室は、なんだかいつも日当たりが良く、そよそよと心地よい風が吹き抜けていた。
ユノはいつも速足で去っていくアレクシスを思い出し、その背中に背負っているものの重みに少し気づいたような気がした。
——少し、お嬢様と似ている。
「朝食に、エレノア様をお呼びする時間だ」
ギルバートが時計を見ながら言った。
「はい」
ユノはお辞儀をして3階の客室へと向かった。
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「あら、そんなことがあったの」
朝食を食べながら、エレノアに今朝のことを話す。アレクシスは仕事で居間には来なかった。
「私も見たかったわ、その子猫」
エレノアはクスクスと笑いながら残念がった。
「澄んだ青い目か…。アレクシス様みたいね」
それを聞いて、ギルバートとユノが思わず目を見合わせた。
(みんな、同じことを思ってる)
「アレクシス様が居たら、とても喜んだかもね」
「アレクシス様は、猫がお好きなのですか?」
「いいえ、聞いたことはないけど…。なんだか、そんな気がしただけよ」
はちみつ色の目を伏せて、ゆっくりとエレノアは紅茶を飲んだ。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回より第2章に移ります。
両想いになった二人の生活と、新たな謎。楽しんでいただけると嬉しいです。
次回R18回となりますので、苦手な方はご注意ください。
9/14(月)公開予定です。




