第52話 思い出した瞬間、恋は暴走する
R15ありです!
『花が終わる前に、会いに来てもらえますか。』
アレクシスからの手紙に、震える字で書かれたその一文を、エレノアは何度も読み返した。
愛の言葉は書かれていない。けれど実質、それは彼からのラブレターだった。
迷いはもうなかった。
トランクを開け、紺色の燕尾服に袖を通した。白い仮面を手に取ったとき、鏡の中の自分が、緊張しているように見えた。何度も見てきた、自分の姿なのに。
――もう、隠さなくていい。
そう思うと、感じたことのない嬉しさが、エレノアの心に泉のように湧き出してくるような気がした。
屋敷を抜け出し、夜道を歩く。月が、行く先を静かに照らしていた。
辿り着いた庭には、満開の桜が、彼女を待っていた。
仮面を外し、涙を拭い、ようやく本当の姿で笑い合えるようになった二人は、離れられなかった。
アレクシスが熱の日のような、じりじりとした視線でエレノアをとらえる。
彼はエレノアの頭にそっと手を添え、引き寄せる。
「もうどこにも行かないで。このまま…僕の部屋に、来て」
テノールの甘く、震える声。エレノアの心臓はギュっと潰された。
アレクシスに手を引かれながら、エレノアは何度も呼吸を整えた。
アレクシスは、自分をどう呼ぶのだろう。
エレノアとして?
それともノアとして?
どちらも自分なのに、今だけは少しだけ答えが気になった。
****
エレノアはアレクシスの体調を気遣うようにゆっくりと歩き、静まり返った屋敷へと戻る。
廊下の微かな明かりを頼りに、二人は彼の部屋へ滑り込んだ。
…パタン。
ドアが締まる。部屋は暖炉の明かりでオレンジ色に染まっている。温かい。
まさにその途端だった。
アレクシスは堪えきれずにエレノアを強く抱きしめていた。
力強いのに、まるで壊れ物を扱うような優しい抱き方。
互いの胸の奥から、うるさいほどの鼓動が響き合っている。
「本当に……エレノアだったんだね。まだ、夢を見ているようです」
愛おしさに震える彼の声。
エレノアはふんわりと微笑んだ。 この人の前では、ノアでも大丈夫だとわかった。
(…彼と自分を、信じて良かった)
エレノアの不安は消えた。
自らリボンを解き、髪を留めていたピンを外す。
さらり、と。
月光を溶かしたような銀色の髪が、彼女の細い肩を滑り落ちた。
蝶ネクタイを外し、首元を緩める。
薄暗い部屋の中で、露わになった白い首筋と、アレクシスがずっと見てきた美しい髪。
昼間の公爵令嬢が絶対に許さない、無防備な境界線。
「っ……」
アレクシスの息が止まった。あの夜会のノアの面影と、目の前のエレノアが完全に重なる。
見惚れて動けないアレクシスの頬に、エレノアはそっと手を添えた。
「僕を男だと、思っていた?」
「すみません…」
エレノアはくすくすと嬉しそうに笑う。
「アレクシス様が、男好きだったらどうしようかと」
な…!!とアレクシスははくはくと口を動かすことしかできない。
「で、でももし」
震える声で、彼は言う。
「エレノアが男でノアだったら、頑張った、かも…」
けれど、その顔は興奮にとろけている。”好きだ”と顔に書いてある。
「残念でした。僕は女。…確かめる?」
そう囁いたのは、昼間の令嬢の声ではない。
夜会でアレクシスを翻弄した、あのベルベットのノアの声。
アレクシスの心臓が、エレノアにネクタイを引っ張られたときのように、ドクン!と大きく鳴った。
エレノアを激しく抱き寄せ、 震える唇を、その唇へと重ねた。
切ないほどに柔らかく、甘い、初めての口付け。
(もっと……っ)
脳内がチカチカする。
もっと…
もっと…!
衝動のままに、二人は何度も深く唇を重ね合った。
アレクシスがエレノアの衣服に手をかける。
しかしあまりの興奮に指が震えてうまく動かない。
「自分でやるよ」
エレノアは少し悪戯っぽく笑って、自ら衣服を滑り落としていく。
露わになった白い首筋に、アレクシスの視線が張り付いて動かない。 衣服が脱げていく。目が離せない。喉が、ごくりと鳴る。
「ノア……」
アレクシスの呼吸が乱れる。心臓が大きく跳ねたあと、ドクドクと耳元で大きく音がしている。浅い息が苦しい。 脳が、じりじりする。
「‥‥っ‥‥はぁ、はぁ…っ」
(美しすぎる……! 僕の恋人が……!)
熱は下がったはずなのに、体中が熱くて狂いそうだ。 目の前にいるのは、男前な「彼」か、愛おしい「彼女」か。 交互にブレて、重なって、脳髄が快感で焼き切れそうになる。
――だめだ。好きだ。
もう、どうにかなってしまいそうだった。
「ノア……っ」
その呼び方に、エレノアの喉が小さく震えた。
彼への愛おしさが限界を超え、エレノアはアレクシスの上に乗るようにして、彼をベッドへと優しく押し倒した。
「もっと呼んで、アレクシス様」
名前を呼ばれるだけで背筋が震え、優位に立たされて暴かれていく快感に、アレクシスの温度が限界を超えて跳ね上がった。
いつもと逆の視線。 初めて見上げるノアのエレノアは、あまりにも生き生きとしていて。
完璧な令息である自分を組み敷く彼女の瞳は、不遜極まる、残酷なまでの色気 。
アレクシスはそれだけでゾクゾクとするような快感に包まれる。
早くも焦点が合いにくくなる。
完璧な令息としてのプライドが、彼女の愛の前に木っ端微塵にへし折られていく。
エレノアは、どこか申し訳なさそうな顔を浮かべながらも、彼の汗だくな寝巻きのボタンを一つずつ外していった。
布地がはだけ、エレノアのひんやりとした指先が彼の胸元に直接触れる。
「……う、……っ」
切ない声を漏らし、シーツを強く握りしめるアレクシス。その耳元に、エレノアが顔を寄せた。
「実はアレクシス様が、この姿の私を見るの……これが2回目です」
「……え……?」
何を言って...と、混乱するアレクシスの脳内に、謎の記憶が鮮烈にフラッシュバックする。
暗闇の中、本能のまま貪り引き寄せた、下着のない身体。
手のひら全体で包み込んだ、恐ろしいほどの柔らかさと、銀の髪。
――なんだ?今の
息を呑む彼に、エレノアははちみつ色の瞳を細め、責めるように優しく囁いた。
「覚えてないの?……リィ」
「――――っっ!!!」
ノアの声で呼ばれた、懐かしい愛称が脳髄を直撃した。
その瞬間、アレクシスの理性は完全に千切れた。
夢として忘れていた夜の記憶が、濁流のように押し寄せてきた。
必死に求めた彼女の香り。
暗闇の中で触れた、吸い付くような肌の感触。
耳元で感じた、甘い吐息。
銀髪の、布一枚のエレノア。
彼は「あああ!」と声を上げ、エレノアを抱き上げたまま自分の上に座らせる。
「あ……あの時の夢は、本当のことだったのですか……!?」
自分の無意識の行動と、同時に聞こえた彼女の声を思い出す。
『あなたが好きです』
――あれは、夢じゃなかった…?
思い出した瞬間、そう思っている自分にも混乱する。
(彼女は、僕に、先に愛を伝えてくれていた?)
わなわなと震えながら、再び歓喜と混乱で焦点がぼやけていくアレクシスを見て、エレノアは声を押し殺して笑った。
「当たり」
彼女は呆然とする彼の頭を、優しくその胸に抱きしめる。
「そんな……僕は、君になんてことを……」
あまりの罪悪感に声が震えていた。なのに、流れ込んでくる官能的な記憶の生々しさに、羞恥と、それ以上の凄まじい熱情が湧き上がる。
それなのに、彼女の腕はアレクシスを離してくれない。
「ひどいのは、したことじゃない。……それを忘れていること、かな」
追い打ちをかけるようなその囁きが、アレクシスの心に最後のとどめを刺した。
「ごめん、エレノア……本当に、ごめん……っ」
泣きながら謝る彼に、エレノアは慈しむように、何度も深く口づけを落とした。
アレクシスも必死に応える。
「リィ…かわいい…」
その呼び方だけで、アレクシスの呼吸が乱れる。
「あ、……っ、エレノア、……ノア……っ」
(僕は、この人を傷つけたのかもしれない)
――それなのに、どうしてこんなにも、愛おしいのだろう。
呼ばれただけで、背筋が震える。
その名をノアの声で呼ばれるたび、快感しかわからなくなる。
彼女の背に回された手が、二度と離さないと誓うように熱く動いた。
不意に、視界が逆転する。
「あ……」
今度は寝台に押し倒され、シーツに沈み込んだエレノアの視界に、完全に余裕をなくしたアレクシスの、熱い眼差しが映る。
彼女の銀髪を狂おしそうに指に巻き付け、上から覆い被さった。
「……忘れません。二度と。……忘れないように、僕のすべてを君に焼き付ける」
深く、深く、今度はアレクシスが主導権を奪い返し、彼女の唇を貪るように塞いだ。
甘く苦しそうな吐息の中。
ただ愛しいそのすべてを独占するように、何度も何度も愛を注ぎ続けた。
そして、これから夜の毒にもっと侵されていくことになるとは、二人はまだ知らなかった。
(第1章 完)
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
次回からは、少し寄り道。別の視点で描く、番外編をお届けします。
ノアが生まれたきっかけのストーリーです。
次回9/6(日)更新予定です。




