第51話 花が終わる前に
「お嬢様、お疲れ様でした」
実家に帰ってきたエレノアに、ユノが声をかける。
「アレクシス様が回復されて、本当に良かったですね」
「ええ、ほんとね」
そう答えながら、エレノアは少しだけ遅れて瞬きをした。
「でも、こんなにすぐに帰ってきてしまって、良かったのですか…?」
ユノが不安そうな顔をする。
「ええ…やることがあるから」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
クローゼットの扉を見つめたまま、エレノアはしばらく動かなかった。
****
アレクシスを看病したあの日。
まだ薄暗い中、遠くに馬車の音を聞き、エレノアはアレクシスの腕の中で目覚めた。
気絶したアレクシスの横で、いつの間にか自分も眠ってしまっていた。
「‥‥っ!?」
熱い彼の肌に、彼の香り。
あらわになっている自分の寝巻に気づき、エレノアは固まった。
彼の腕に抱かれたまま眠っていた。
熱い体温に気づいた瞬間、昨夜の記憶が一気によみがえった。
顔から火が出そうになる。
(…わ、私…アレクシス様と一緒に寝ちゃった…!!!)
否定しようとしても、肌に残る熱が消えない。
エレノアは息を止める。
そっと中に視線を落とし、何事もなかったことに安堵する。 一緒に眠っただけだ。
彼の顔を見つめる。アレクシスはまだ苦しそうだが、よく眠っている。
――『…ノア…?』
ドキドキは、一言の回想によって一気に引いた。
アレクシス様は、知った。
エレノアがノアだと。
(……もう、知ってしまったんだ)
彼が“自分”を見たことを。
そしてそれでも、離さなかったことを。
『会いたかった』
熱にうかされた彼の必死な声。ついリィって呼んでしまった。
そう言われたときの、彼の顔。
ドクン ドクン
心臓が大きく鳴る。
「リィ…」
すると、外の音がまた聞こえる。
ユノが着いたのだと気づいた。
エレノアは、そっとアレクシスの腕をほどき、寝台から出る。
寝巻きを整える指先が、ほんの少しだけ震えていた。
ちょうど、ドアがノックされた。
エレノアはそっとドアを開ける。ユノが「お嬢様…!」と安心した小声を出す。
ユノはすぐに状況を理解しようとして、そして目の前の光景に理解できずに固まった。
「……え?」
「ユノ、髪染めと着替えをちょうだい…!」
エレノアの必死の声に、ユノの目が光る。
急いで二人で奥へ移動し、荷物から髪染めを出して着替えた。
アレクシスの状態をかいつまんで伝えると、ユノは「良かった」とうなずいた。
「お嬢様が走っていかれたときは、心配しました」
「寒かったでしょう、残して悪かったわね。着いたばかりなのに、ありがとう」
とんでもないです、とユノは首を振った。
あの後、馬車はしばらく動かなかった。
結局立ち往生したまま雪がやむのをまって、ここまで来たのだそうだ。
見た目を整えると、ユノは「何かあればお呼びください」と言って出て行った。
ユノが去ったあと。
エレノアはひとりになった部屋で、しばらく動かなかった。
(……このままではだめだ)
そう思うのに、胸の奥だけが遅れて疼いている。
――しばらくして、アレクシスは目覚める。
そして、彼は、熱を出していた間の記憶を丸ごとなくしていたのだった…。
*****
あの日のことを思い出しながら、エレノアは紅茶を見つめた。
――でも、このままにもできない。
エレノアは今後の自分と、今までの自分にけりをつけるために、すぐに実家にもどってきた。
両親にもアレクシスの件を報告する必要がある。探すと、父は仕事で外出していたが、母はいた。
「せっかくだから、温室で、二人でお茶でもしない?」
久しぶりに、ね?と言う母に、エレノアはうなずく。
温室には、母が好きな花が育ててある。そこにテーブルセットがおいてあって、母はよくここで過ごしている。
まぶしいのでエレノアはあまり温室へは入らないが、この季節、温室はとても温かくて。いろいろな植物や花が咲いている。エレノアは本で読んだ天国みたいだと思った。
ケーキと紅茶が整えられる。
母は二人っきりになるように、人払いする。
二人で話すのは、とても久しぶりだ。
「アレクシス様が回復したと聞いて、安心しました」
母は息を吐き、心底安堵した表情になる。
「あなた、雪の中を走っていったそうですね?」
「は、はい…」
目線を泳がせるエレノア。しかし、母は嬉しそうに笑う。
「エレノアらしいわ。あなた、走るの早いもの」
(え…?何それ)
エレノアは、また令嬢らしくないとかなんとか、注意されると思っていたので、肩透かしを食らう。
「学校でも、成績良かったでしょう。まああなたは座学も、教養も、すべて満点をとっていたけれど。
小さな頃から、よく走って、活発だったから、何かさせてあげたくて。演劇を習わせたのよ。覚えてる?」
覚えている。十歳ごろだったか…?そのときに、リィと入ったあの場所で、舞台をやったから。
でもそんな風に母が思っていたとは知らなかった。
「発表会に行ったら、知らない間に、あなた王子様役になってて…!!私、お父様と愕然としたわ」
ふふふ!と、母は吹き出す。
「それがまた似合ってたのよ。様になりすぎて、お父様は頭を抱えていたわ」
「そ、そうでしたか…?」
王子役はたしか、みんなお姫様役をやりたがっていて。誰もやらなかったから手を上げたんだった気がする。
「…そんなあなたも、もう、結婚してしまうのね」
母の目に、うっすらと涙が浮かんでいる。母はエレノアの手をやさしく握る。
「アレクシス様のこと、好きになった?」
エレノアの心がゆらりと揺れる。
「…はい」
そう…!と、母は嬉しそうに微笑んだ。そして目を拭って、声高に話し出す。
「お母様とお父様も、両親の指示の結婚だったけど、両想いでね。それはそれは盛大な結婚式を計画したのよ。お父様は何度も私に会いにきてくださって、」
「あ、お母さまその話もう100回は聞いております」
(この話、長く続くな…)
エレノアはケーキをつまみながら、母の、永遠と続く昔話に付き合った。
ノアとして生きる自分、エレノアの自分をどうしていくのか。
決まるまでは、アレクシスには会えないと思った。
夜会にも行くのをやめた。
でも心は少しずつ、エレノアの中で決まっていった。
――そのうちに、季節は春になった。
まだ寒い日もあるが、だいぶ温かいと感じる日がふえてきた。
そんなある日。
アレクシスからの手紙が届いた。
手紙を読んだ瞬間、息が止まる。
(これは本当に、彼からの手紙…?)
完璧で几帳面な彼の字。屋敷にいたとき、ドアの前に置いてあったメモを思い出す、美しい字。
なのに、読んでいくうちに、手紙の後半は文字が乱れていた。
何度も書き直した跡。
インクだまりや、歪みがあって。
悩みながら、本心を絞りだしたものだと伝わる。
エレノアは、彼が、あの机に座ってこれを書いている姿を想像する。
髪をくしゃりと握りながら。必死に、自分の気持ちに向き合っている様子。
誰からどんな風に見えるのか、そんなことには目もくれず、エレノアに思いをぶつけようとしている彼の姿‥‥。
その手紙を読んで、エレノアの最後の心は決まった。
エレノアはトランクの鍵をあける。
中には、紺色の燕尾服。白い仮面と、シークレットブーツ。
覚悟を決めた。
――私はノアも捨てないし、エレノアもあきらめない。
――そんな自分で、アレクシス様と一緒に生きていく。
(…でももし、拒絶されたら。)
仮面を握ったまま手が少し震える。想像すると、心臓がギュっとなった。
――辛くて、悲しくて。…後悔するかも。
「いや、しない。後悔なんて、しない」
信じる。
自分を。
彼を。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「親愛なる、エレノア・フォン・ローゼンベルク様
春の訪れとともに、謹んでご挨拶申し上げます。
先日はご無理をおかけし、大変ご心配をおかけいたしました。
おかげさまで熱も下がり、少しずつ仕事に復帰しております。
庭の桜が、つぼみをつけ始めました。 来週あたりには咲き始めるでしょう。
あなたがいれば、一緒に見られたのに、と思います。
屋敷の皆も、元気にしております。
ヴィクトルが新しいスープを作りました。あなたに食べてもらいたいと言っています。
フィオナは相変わらずです。ギルバートも、いつも通りです。
……皆、さみしがっています。
僕も、さみしいです。
あなたがいないと、キッチンに行く気になれません。
果実酒も、一人では作る気にならないので、まだ瓶がそのままです。
鳥が来ています。あなたが名前を調べていた、あの鳥です。
毎朝テラスに来ますが、なんとなく追い払えずにいます。
……手紙を書くのが、こんなに難しいとは思いませんでした。
夢の中で、誰かの名前を呼んでいたような気がします。
でも、目が醒めるとその名前が思い出せなくて、胸の奥がひどく痛むのです。
うまく言葉にできませんが、あなたがここにいないと、何かが足りない気がします。
花が終わる前に、会いに来てもらえますか。
アレクシス・ユリウス・ヴァルトハイム 」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回、R15回となっています。
50話の後、二人は…。
苦手な方はご注意ください!
公開は9/4(金)予定です!




