第50話 仮面がなくても
初めて彼を見たとき。
シルバーの美しい髪を後ろで束ねて、彼は退屈そうに立っていた。その退屈そうな姿が、孤高の月のような美しさで…。
今、桜の木の下で、月明りに照らされて、そのシルバーの髪が輝いている。いつものように白い仮面をつけ、夜の色の燕尾服に身を包む。
――ノア…なのか?
アレクシスはふらふらと庭へ出る。桜の花が散る中、銀髪が月明かりに照らされ、この世のものではない存在感をはなっていた。
夜会でしか見たことない彼を外で見る背徳感に、アレクシスは眩暈を覚えた。
彼は桜の花を見上げている。
アレクシスが何度も見てきた、その細くて美しい顎のラインを上に向けて。
アレクシスに気づいた彼は、ゆっくりとこちらを向いて、琥珀色の瞳をアレクシスへと向けた。
「久しぶりだね...リィ」
その低くて、ベルベットのような滑らかな声。
聞きたかった、彼の声。
「元気になった?」
呆然としたままアレクシスが頷く。
良かった、とノアが言う。
「この木、とっても綺麗だね」
ノアが、降ってくる花びらを手にのせる。
「実は、ずっと楽しみにしてたんだ。一目見てみたくて」
アレクシスは唾を飲み込む。
「君に会いにきた」
逃げるようにして飛び込んだ夜会。
そこで出会った、鷹のような琥珀色の目。
…今は、はちみつ色に見える。
エレノアの、あの目と同じ色だ。
息が浅く出入りする。
アレクシスの中で、何かが音を立てる。全身に鳥肌がとまらない。
ずっと感じていた違和感が、パズルのようにはまっていく。
ノアは、自身の白い仮面に指を添えた。
絹の紐が解ける微かな音さえ、静まり返った庭園には鈴のように響く。
その一瞬は、ずっと閉じ込めておきたいくらいの永遠に感じる。
美しい秘密の夜が、終わる…。
影を落としていた仮面がゆっくりと離れ、月の光がその素顔を真っ向から照らし出した。
はらりと零れ落ちる銀髪の隙間から、見慣れた、けれど今までで一番鮮やかな「はちみつ色」の瞳がアレクシスを射抜く。
散った桜の花びらが、彼女の頬をかすめていった。
それは、一瞬。
でも永遠にも思えた。
崩れる音と新しい予感が、アレクシスの中を駆け巡り、声を発することもできない。
自分の喜びにうち震えるしかない。
ただただその美しさを目に焼き付けた。
「....っ!」
仮面を外した顔を見て、アレクシスは声にならない声を出した。
会いたくてたまらないと思っていた、エレノアその人だった。
彼を優しく撫でてくれた、ずっと隣にいてくれたときの優しい顔をして、ノアの服を着て、立っている。その立ち方は、美しい騎士のようなノアの立ち方で。
何も言葉が出なかった。
理解ではなく、遅れてくる衝撃だけが頭の中で暴れていた。
エレノアが、ノア。
僕の共犯者。
(……最初から、君だったのか)
「………っ」
「アレクシス様」
アレクシスの耳の奥で、あの日自分を救ってくれた「低く澄んだ声」と完全に重なった。 満ちるのは、雨上がりの森のような、静かな夜のような、あの懐かしい気配。
(……君だったんだね。僕を見つけてくれたのは、いつも)
ドレス姿の彼女でも、燕尾服を纏った彼でもない。
自分の孤独に気づき、静寂を分け合ってくれたのは、最初からこの「魂」を持つ一人だけだったのだ。
「ああ……」
安堵と喜びが、涙となって目尻から零れ落ちる。
自分の本能は、最初からずっと彼女だけを正解として追いかけていただけだった。
(そうだ、僕はたぶん知ってたんだ)
どこかでわかっていたんだ。
アレクシスは泣きながら崩れ落ちる。
「会いたかった…エレノア…っ」
「うん、リィ。僕も。…驚かせて、ごめん」
「……ノア…っ」
エレノアが彼を包み込む。
アレクシスは彼女にしがみつき、泣きじゃくった。
嗚咽と涙が止まらない。
君の顔が見れて嬉しい。
本当の君を知れて嬉しい。
ずっとずっと、君だけを探してた。
――僕は、君に報いたい。
アレクシスは袖で顔をぬぐい、エレノアに向き合い、震えながら手を握る。
「エレノア、僕はあなたを愛しています」
はちみつ色の目が見開かれる。
「たとえ君に、他に好きな男がいたとしても、僕はあなたがいい。あなたの隣に立っていたい」
――ずっと言いたかった言葉をやっと言える。
「婚約だからじゃない。
父に決められたからでもない。
僕自身の意思で、あなたを選びたい。
…どうか、僕の妻になってください」
エレノアの瞳が、ゆらりと揺れる。
…そして。ぱちくりと瞬きする。
夢のようなムードが一気に現実に落ちる。
「他の、男…とは?」
眉にしわがより、顔に?が浮かぶ。あれ、とアレクシスはその顔を見つめる。
「え、いや…あなたが前に言っていたのだが」
「私、そんなこと言った覚えはありませんが」
え?え??と二人、手を握りあったまま固まる。
アレクシスはほら!となぜかむきになってきた。
「スイーツサロンで、甘いものが好きな人と知り合ったって、あなたが言っていたでしょう!あなたから他人の話が出たのはあの時だけだ。しかも!あんな顔して話すのなら、大事な人なんだと、僕は…」
エレノアはしばらく頭を悩ませて、無言になった。
そして何かに気づいた後「フ、フフフ!アハハ!!!」と笑い出した。とまらない、というふうに。爆笑である。
アレクシスの顔に熱がのぼる。
「な、何がおかしいんだ!?僕は真面目に…」
「いえ、すみません!その…」
エレノアはアレクシスの差し出された両手に、そっと自分の両手を重ねる。互いの指の隙間を埋めるように滑らかに指を交差させ、そのままゆっくりと握り合う。
「そうだとすれば、それはあなたのことです。アレクシス様」
琥珀色の瞳が、アレクシスを射る。
わけがわからずあっけに取られる彼に向かって、エレノアは言う。
「私は初めからずっと、あなただけが好きなのです」
低いベルベットの声。
美しいエレノアの顔から発せられる声に、アレクシスは完膚なきまでに撃ち抜かれた。
彼女は交差させた手に少しだけ力を込め、ノアのあの不敵で、けれど酷く愛おしそうな笑みを浮かべて囁く。
「リィ、これからはずっと一緒だ」
それに、とエレノアが、悪戯っぽく目を細める。
「僕たち、共犯でしょ」
その一言が、アレクシスの胸の奥に澱んでいた最後の孤独を焼き尽くした。
視界が滲み、熱い体温が指先から伝わってくる。
思考は飛び、もう何も、言葉が出てこない。
彼はただ、自分を包み込む柔らかな夜の気配に身を委ねる。
子供のように震え、繋がる手を抱き、頬を寄せた。
春の夜風が吹いていた。
ただそれだけなのに、もう前と同じ世界には戻れない気がした。
完璧である必要のない、ただの「自分」でいられる幸福。 そのあまりの眩しさに、彼は幸福な敗北を認め、静かに瞳を閉じた。
目を閉じたまま、彼の腕は、彼女を離そうとしなかった。
――好きだ。
ずっと言えなかった分まで、何度でも、伝えたかった。
――今夜は、まだ終わらせたくない。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回、エレノア視点です。
実家に帰っていたエレノアは、何をしていたのか。
そして、彼女のもとに届いた、一通の手紙。そこに書かれていたのは…
公開は8/31(月)予定です!




