第48話 偉かったです
苦しくて苦しくて、目を開けたらエレノアがいた。
深いパープルの髪と優しいはちみつ色の瞳がこちらを見ているとわかった。
(…あ…れ…?)
しっかりと目が見えた途端、夢を見ていた気がしたのに、思い出そうとするともう忘れてしまった。
「アレクシス様、大丈夫ですか?」
「エ…レ…」
喉がかすれて声が出ない。
テーブルに置いてあったグラスを少しずつ傾けて、彼女が水を飲ませてくれる。
「一週間、熱で倒れていたんですよ。覚えてますか?」
アレクシスは首をふる。
全く自覚がない。
(僕は一週間も寝ていたのか…?)
エレノアが、手袋越しに手を握る。
彼女の控え目な熱が、意識を取り戻す手助けをしてくれる。
(看病しに、来てくれたのか…)
来れないと手紙で言っていたのに。
感謝よりも申し訳なさが勝つ。
『すみません』
意志に反して、声が出ない。喉がまだ腫れている。
言いたいことが伝わらず、彼女が首をかしげる。
「まだみんな寝ています。大丈夫です。スープを飲みますか?」
アレクシスがうなずくと、エレノアは「少し待っていて」と言って、部屋を出て行った。
だんだん視界がはっきりしてきた。
ゆっくりと部屋を見回す。
窓からは早朝の光が入って、明るい。
テラスに積もった雪が照り返していたのだった。
ゆっくりと上半身を起こす。ズキズキと全身が痛い。
――ここは客間だ。自分はなぜ客間で寝ているんだ?
手を寝台につくと、左側がなんとなく冷たく濡れている。
ドキリ
触れた手のひらから、なぜかとても熱いものを触った感覚が脳裏をよぎった。
(僕は、ここで…)
何か、忘れてはいけないと思ったことがあった。
夢の内容を思い出しかけて、その夢は意識の中で霧散した。
エレノアがスープを持ってきてくれた。
何か言いたいのに、頭がうまく動かない。体も重くて、まったくいうことを聞かない。
エレノアがこちらを見て驚いた顔をする。急いで枕を背中に挟み、姿勢を楽にしてくれる。
エレノアはスプーンをもち、僕の口へと持ってくる。
――恥ずかしい。
子供に戻ったみたいだ。
小さいころにも風邪をひいて、祖母にされたことを思い出す。
アレクシスがためらっていると、エレノアはふーふーと息でふき冷まし、またスプーンを口にもってくる。
(いや、熱いからではないが…)
「どうぞ、アレクシス様」
その言い方があまりにも優しくて。
名前を呼ばれたことが、嬉しくて。
アレクシスは押し負け、スープを飲ませてもらう。
味はよくわからないが、温かい。久しぶりに体に入った栄養が、しみる。
一口、またひとくち。エレノアはふーと吹き、ゆっくりゆっくり飲ませてくれる。
アレクシスはスープをもらいながら、澄んだ青い目をずっとエレノアから離さなかった。
彼女のまなざし、行動、すべてがアレクシスを包み込む。
――エレノア。
君に会いたかったよ。
なんだかすごく、会いたかった気がするんだ。
「…はい、上手です。もう少しで終わりですよ」
子供に言うように、エレノアは皿を傾け、スープをすくう。
はい、と食べさせようとして、エレノアは固まった。
アレクシスの透き通った青い目から、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
エレノアは急いでタオルで抑える。
――なんだ、僕は、泣いているのか?
アレクシスは驚いた顔をしているが、美しい目からはまた一筋、しずくが落ちた。
自分の状況がわからず、ただただ戸惑う。
「たくさん汗をかいたのに、また水分不足になってしまいますよ」
エレノアが微笑む。そして最後の一口を食べさせて、満足げにうなずく。
「全部食べましたよ。偉かったです」
そうして、アレクシスの頭を撫でた。
その感触があまりにも優しくて。
アレクシスの視界が涙でゆがむ。
「…はあ‥‥、ケㇹ」
アレクシスは涙を誤魔化そうと、軽く咳が出たふりをした。
「さあ、また休んでください。お医者様がそのうち来てくれますから」
彼女はそう言って、アレクシスをもう一度寝かせた。
そして、エレノアは机から大きな本を持ってきて、アレクシスの寝る寝台へと腰をおろす。
それは枕元で、いきなりの距離の近さだった。
エレノアを下から見上げるような体制になる。
――今すぐその細い腰を抱きしめて、顔を埋めてしまいたい。
(……え?)
そう思った自分にアレクシスは戦慄した。
体が重くて動かなかったのが幸いだった。もし動けていたら、僕は今、取り返しのつかない不敬を働いていたのではないか。 どうやらまだ熱があるらしい。
そんな彼の思いを知ってか知らずか。うーん、どれだったか…といいながら彼女は本をめくる。
図鑑のようだ。
なにか、料理のような絵が描いてある。
そして「あ、これです」と指を刺す。
白いドロドロとしたものが皿に乗っている絵だった。
「アレクシス様、これ。これをヴィクトルに作ってもらいましょう。甘いお粥」
「あ、甘い粥…?おいしいのですかそんなもの…」
思ったことが口から出た。
しかも、よりによってガラガラ声も出た。かなり嫌そうな言い方で。
一瞬エレノアは固まったあと、たまらないという風に吹き出した。
アレクシスもつられて笑いだす。
咳が出るが、笑いがとまらない。
こんなに心から笑ったのは、初めてかもしれない。
廊下からバタバタと足音がして、ノックしてギルバートが入ってきた。
笑っている二人を見て、呆然とした後、うおんうおんと大声で泣き出した。
何事か、とメイドたちが飛び込んできて「旦那様…!」と安堵の声をあげる。
ユノは真っ赤な顔で隅の方でお盆を抱え込んでいる。
フィオナが水を持って入ってきた。アレクシスをみて飛び上がり手元を狂わせ、お盆をひっくり返しそうになり耐えた。
アレクシスは使用人たちが、自分のことをどんな風に思ってくれていたのか、実感する。
口角が少しあがってしまう。
「あり…が と…」
かすれ声に反して、彼は年相応な朗らかな笑顔で、彼らにほほ笑んだのだった。
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アレクシスが目覚めると、陽は傾き、部屋はオレンジ色に照らされていた。
上半身だけ起こす。今の状態を理解しようと、部屋を見まわす。
――そういえば、僕は薬をもらったんだった。
スープを飲んだあと、医者がきて薬をもらって飲んだ。
そのまままた眠ってしまったらしい。
屋敷は静かだった。
エレノアはどこだ…?
部屋の奥から人が出てきた。エレノアか、と思ったらギルバートだった。
「起きられましたか?旦那様」
「あ、ああ…」
キョロキョロと部屋を見る若主人。ギルバートは少し声を落とし、残念そうに言った。
「エレノア様はいらっしゃいません」
アレクシスは固まった。
ギルバートが封筒を差し出した。
「お手紙を預かっております」
アレクシスは受け取り、開いた。
短い手紙だった。
「お体が回復されて、安心しました。またお会いしましょう。」という、あくまで婚約者としての丁寧な文面。 丁寧で、温かで、非の打ちどころのない文面だった。
——それなのに。いや、だからこそ…。
読み終えて、アレクシスはしばらく動けなかった。
体調を気遣う言葉も、労わる言葉も書かれている。
いつものエレノアらしい、すっきりとした優しく丁寧な文面だった。
でも…。
今朝、スプーンを持つ彼女の手を見た。
「偉かったです」と微笑む顔を見た。
頭を撫でられた感触が、まだ残っている。
あの時間だけが、まるで夢だったみたいに。
その文字のどこにも「さっきまで隣にいた人」の気配はなかった。
さっきまで彼女が座っていた場所を見た。でももう椅子が整えられていた。最初からいなかったみたいに。
アレクシスは何も言わず、ただ手紙を握りしめていた…。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回公開は8/28(金)予定です。




