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孤独な公爵令息は、夜の香りに毒される 〜夜会で恋した「彼」は、完璧な昼の婚約者(ただし男装令嬢)でした〜  作者: ユニ子


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第41話 どちらの名前で、あなたに会えばいい

オスカー・ド・ヴィルヌーヴの傲慢な宣戦布告から、明けた翌日の午後。


ローゼンベルク家では緊急の家族会議が開かれていた。 議題は、オスカーのあの不穏な捨て台詞についてだ。



「ヴィルヌーヴ家には良い噂は聞かない。何かしら仕掛けてくる可能性は否定できない」



父が険しい顔で書類を広げる。 エレノアは胸元を抑えた。自分のせいで、家や、ひいてはアレクシスにまで迷惑がかかるのではないか。



「アレクシス様に、ご報告したほうがいいのでしょうか」



父は静かに首を振った。



「まずは私が裏の動きを調べてからにしよう。不確かな情報で、あちらの公爵家を混乱させるわけにはいかない」




保留。その言葉に安堵しつつも、屋敷の警備は以前より明らかに厳しくなり、父の机の上には見慣れない報告書が増えていった。





****



自室に戻ったエレノアは、動かない時間の中にいた。

鏡の前に立つ。映し出されているのは、非の打ち所のない 「ローゼンベルク家の令嬢」の姿だ。




けれど、その瞳の奥には、「ノア」と名付けた自我が、はちみつ色の目に静かに宿っている。



(リィは……アレクシス様だった)


(アレクシス様……あなたも、あの夜会で、私と同じように『誰でもない誰か』になりたかったんだね)





リィ=アレクシス。

その事実は、驚き以上に深い安堵をもたらしていた。




社会が求める「完璧な跡継ぎ」という型に押し込められ、息ができなくなっていたのは自分だけではなかったのだ。



彼にとっての「リィ」は、私が「ノア」になって夜を謳歌するのと同じ、命を守るための切実な呼吸穴だったかもしれない。




(あんなに可愛い人が、実は彼だったなんて)




一度確信してしまえば、言葉にできない愛おしさが込み上げてくる。


リィが見せていたあの柔らかな微笑み。


はにかんだような、繊細な表情。


あれは演技ではなかった。


重責の鎧を脱いだ彼の中にある、本当の優しさが漏れ出たものだったのだ。





(もう、知らないふりはできない……。けれど、ノアとしてリィに会えないのも辛い)





オスカーの一件で気づかされた。 アレクシスの隣にいるとき、自分はコルセットに縛られることなく、深く息ができていたことを。



あの男は、アレクシスの表面的な数字と権力しか見ていなかった。


…でも、私だけが知っている。





不器用で、孤独で、けれど誰よりも気高い、あの「美しさ」を。



(……リィ)



そして彼なら、自分の中にある「ノア」としての強さも鋭さも、全てを丸ごと受け止めてくれるのではないか。


そんな淡い期待が、はちみつ色の瞳を熱く揺らした。




****



「お嬢様、お茶をお持ちしました」



ユノが運んできた温かな紅茶の香りに、エレノアは少しだけ肩の力を抜いた。



「……ユノ。あなたはアレクシス様のこと、どう思っている?」

「最初は本心が見えない方だと思いました。でも、お嬢様を大切にしてくれる方なんじゃないでしょうか」



ユノはニコリと笑い、それから声を潜めた。



「対して、あのオスカー様は最悪です。お嬢様を物のように扱って……あんな方と並ぶなんて、考えただけで、もう……!」



ユノの素直な言葉に、エレノアはふっと笑みをこぼした。





今月末には、新年を祝う『無名の夜会』がある。アレクシスは間違いなく出席するだろう。




エレノアは気づいたら、トランクの前に立っていた。


鍵に手をかけて、止まる。


この中には、ノアとしての装いが眠っている。 燕尾服。シークレットブーツ。白い仮面。




手が、動かなかった。




今までは迷わなかった。 夜会の日が来れば、自然と着替えて、自然と向かっていた。


でも今は。



(ノアとして会いに行って、何を話せばいい?)




リィは、ノアを大切に思ってくれている。


……少なくとも、エレノアはそう感じていた。





でも、リィはアレクシスだ。彼はまだ知らない。 ノアとエレノアが、同じ人間だということを。



彼の中では、二人はまだ別々に存在している。ノアはノア。エレノアはエレノア。



そのどちらかを選んで会いに行くことが、今の自分にはできなかった。





トランクの鍵を、そっと離した。


今回は、行けないかもしれない。 ノアとしても、エレノアとしても。


どちらの顔で会いに行けばいいのか、わからなかった。




(今の私は、何と名乗って、あなたに会えばいい?)




実家に帰ったら送る、と言った手紙。


書きかけた「親愛なる」という文字を、ペン先で塗りつぶす。




結局、彼へ宛てた手紙は、込み入った感情を全て隠した、冷たくて正しい「新年の挨拶を辞退する」手紙になってしまった。




封をされた手紙が、夜の闇の中でひっそりと、主の元へ届くのを待っていた。




「……アレクシス様」




一度だけ、誰もいない部屋でその名を呼ぶ。


けれど心の中では、届かない「彼女」の名前を叫んでいた。




(リィ。……会いたい。会って、あなたの名前を呼びたい)




今度は私が、あなたが息をつける場所になりたい。




だが年が明けて。


その返事が、アレクシス以外から返ってくることになるとは。


この時のエレノアはまだ知らなかった。

本日もお読みいただきありがとうございました。

次回更新は8/10(月)予定です。

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