第37.5話 忙しいアレクシスの限界
客観的に、論理的に話しているつもりだった。
しかし、エレノアが頬を紅潮させ、感銘を受けたように口元を抑えた瞬間….。アレクシスの中の理性がみしりと音を立てて完全に軋んだ。
――それは、彼の人生で初めて味わう制御不能の音だった。
「鎧はいいですね。ふふ、なんだか心強いです」
クスクスと喉を鳴らして笑いながら、彼女は彼が熱弁した生地サンプルを、指先でそっとなぞる。
幼い頃から父に「公爵家に不要な軟弱者の趣味」と言われてきた。その気配を見せれば、他人からも嘲笑のネタにされた。誰にも見せずに心の奥底に封印してきた、僕の審美眼。完璧な次期公爵という地獄のような抑圧の中で、ひっそりと育まれたアレクシスだけの情熱。
それを、彼女は嘲笑うどころか、真っ向から愛おしそうに受け止めてみせた。
「私という人間の形を、よく見てくださっていたんですね……」
――見ている。見ているどころじゃないんだ。
彼女の有無を言わせぬ凛とした肯定の前に、僕が必死に守ってきた「完璧な仮面」は無残に叩き割られた。隠してきた歪みを引きずり出され、すべてを暴かれてしまった事実に、脳の奥が最悪で最高の快感に痺れる。
「……忘れてください」
自虐的な呟きは、もはや悲鳴だった。 恥ずかしさで狂いそうなのに、身体の奥底では、彼女にいいように翻弄され、逆らえないことに震えるような興奮を感じている。
「忘れません」
ゾクゾクとした甘い戦慄が背筋を駆け抜けた。 彼女は残酷なほど真っ直ぐに、僕の瞳を射抜いてくる。
(……ああ、だめだ。これでは、まるで……)
あの夜会で、全肯定してくれた「ノア」みたいだ。
昼の象徴であるはずのエレノアの頼もしいカッコよさと、夜のノアの圧倒的な甘い気配が、脳内で完全に重なり合っていく。
「アレクシス様、続き、聞いてもいいですか」
エレノアの声で、我に返る。
今は、昼なのか。それとも、あの夜の続きなのか。
「これが一番、さっきおっしゃっていたイメージに近いでしょうか」
混濁する意識の中、彼女がシルバーの生地を差し出し、覗き込むように距離を詰めてきた。
その瞬間、逃げ場のない極上の重圧がアレクシスを襲う。
――昼のエレノアの有無を言わせぬ凛とした気配が、夜のノアの冷徹なカッコよさと挟み撃ちにして、僕を容赦なく攻め立てる。
逆らえない。また、彼女にいいように弄ばれている。 心臓が爆発しそうなほどの警鐘を鳴らすのに、身体はとっくに降伏していた。
「……忘れてくれと言ったばかりなのに。あなたは、僕をどうしたいのですか」
額を片手で覆ったが、じわじわと湧き出る熱い汗は止められない。視界がうるんで焦点が合わない。
(もう、許してくれ……めちゃくちゃにされてしまう……)
限界を訴える理性とは裏腹に、身体は本能の赴くまま、縋るようにエレノアの手を強く掴んでしまっていた。
手袋越しに触れた彼女の手の冷たさは、かつて古い舞踏室で、僕の黒い爪をじっと見つめていたあの青年の、静かな佇まいに酷く似ていて――。
はちみつ色の瞳を見つめているはずなのに、その奥に、夜の灯りが重なって消えない。 もう、意味がわからない。
完璧な仮面を剥ぎ取られ、僕をこんなにも狂わせる彼女を――。
僕は今、どちらの姿で求めているのだろう。
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回は8/2(日)公開予定です。




