第37話 同じ色
「お嬢様、アレクシス様はどんなドレスがお好きでしょうか?」
ユノがフンスフンスと鼻息を荒くしてドレスを探す。
「せっかくのお茶会ですから、お嬢様が普段にも増して、最高に素敵だということを知っていただかねば...!」
今日は天気もいい、よく晴れた日。これから庭で、久しぶりのアレクシスとの食事だ。秋になり、外の陽気も涼しく気持ち良い。
アレクシス邸に来て、三ヶ月が経とうとしていた。
ユノの想いに応えたいが、彼の好みはわからない。考えていると、顔合わせの日の会話をふと思い出した。
「レースがついてるのはある?」
****
庭の一角にあるガゼボでのアフタヌーンティー。開けた芝生の先にある大きな木。その下に白いテーブルと椅子がおかれている。
エレノアが待ち合わせに行くと、アレクシスはすでに座って待っていた。
——サァァ…
心地良い風が吹き抜ける。
アレクシスは無表情に木を見上げている。狩りで森に行った時。二人で虹を見たことを思い出す。その時も彼はああやって虹を見ていた。
(あれが本当のアレクシス様なのでは?)
エレノアは思わず立ち止まる。
はじめはとても遠くに感じた完璧な婚約者の人となり。でも最近は、少し違う気もしている。
思い上がりかもしれないけど、前よりも、心を開いてくれているのではと思うことが増えた。その度に、心が強く動く。
(あなたは、私を、どう思っている?)
アレクシスがこちらに気づき、笑顔になる。
エレノアは髪をハーフアップにし、明るいシルバーのドレスを選んだ。レースがたくさんついているユノのお気に入りだ。
——彼に喜んでもらえるだろうか?
「お待たせしてすみません」
「いいえ、今来たところですよ」
澄んだ青い瞳が、エレノアをじっと見つめる。
「ドレス、よく似合っています。素敵ですね」
さらりと言う。完璧で迷いがない。エレノアはお礼を言った。
気恥ずかしくて、木の話をする。
「とても大きな木ですね」
「はい、これは東の地方の小さな国の木で。桜といいます。春になればピンクの美しい花が咲きます」
「輸入したのですか?」
「祖母が僕のために植えてくれたものです」
そういえばギルバートが教えてくれたっけ…。
この屋敷はもともとアレクシスのおばあ様が建てたと。
「花、見てみたいです」
アレクシスが微笑む。
アフタヌーンティーの用意が整えられる。
はっ、とする。手袋をつけてきてしまったが、どうしよう?
エレノアの考えを察したのか「今日は僕も付けてきました。このまま食べましょう」と言って自身の手を見せる。エレノアの手を気遣ってくれたのだとわかった。
屋敷は慣れましたか?
いずれあなたも住むことになりますが、何か困りごとはありませんか?
アレクシスはどこまでも完璧だ。とても忙しいのに、エレノアへの気遣いも忘れない。
「何もありません」
なかなか話せていなかった式の希望や段取りについて相談する。式は約半年後を予定している。
「父からも連絡がいっていると聞きましたが…」
「はい、伺っています。ローゼンベルク公爵からのご希望もありますし、日取りは来年の春先でよろしいですか?
場所は…先日一緒に見学した王都の大聖堂がやはりいいのではと思います。公爵家同士の婚姻となれば体面もありますし…これなら招待客の移動もスムーズかと思いますが…エレノアは他に希望はありますか?」
「はい、私もそれがいいと思います。アレクシス様はそれでよろしいですか?」
「もちろんです」
アレクシスはエレノアの言葉に一つひとつ丁寧に耳を傾け、淀みなく手際よく段取りを決めていく。
その仕事ぶりの完璧さに、エレノアは感嘆するばかりだった。
「……では次に、お話したかったドレスについてですが」
エレノアが持ってきたドレスや刺繍の図案、生地のサンプルを、アレクシスが手にする。
「最近流行している、ふんわりとしたリボンたっぷりのドレスが婚礼には相応しいでしょうか?」
エレノアが聞く。すると、彼の目に鋭い光がきらめいた。
「……それはあなたにはもったいないと思う」
無意識にテーブルに置いた自分の指を動かす。彼は手袋越しに生地の密度を確かめ、どこか飢えたような表情で呟き出した。
「いや、違う。エレノアなら何でも似合うと思う。でもこの織りなら、リボンの派手な装飾はもったいない。あなたは肩が華奢だから、流行の大ぶりな装飾は重く見える」
アレクシスは生地を持ち上げた。
「それに、首筋が綺麗だから。襟元を詰めるより、少しだけ余白を残した方が映える。
あなたの骨格の凛とした直線をもっと活かせると思います。例えば、シルクの重みで描く構築的なドレープ……そこに、職人が数ヶ月かけて編んだような、幾何学的なレースを『鎧』のように纏わせる。リボンの安易な装飾は、月のようなエレノアの素晴らしさを隠してしまうだ…」
け…。
と一気に言い切って、彼は固まってしまった。
詳しすぎる情報、そしてエレノアをほめちぎったこと。
客観的に話そうとしているだけにそれが駄々漏れになっている。エレノアは先日、サロンでショコラを瞬殺した姿を思い出した。
そして、執務室で見た、細かいデザイン画。美しい彼のセンス。エレノアは喜びに頬を紅潮させて、思わず口元を抑えた。彼は忙しい。なのに、自分を見てくれていたのがわかった。
——嬉しい。
「鎧はいいですね。ふふ、なんだか心強いです」
クスクスと喉を鳴らして笑いながら、エレノアは彼が熱弁した生地サンプルを、指先でそっとなぞった。
「流行に流されるのではなく、私という人間の形をよく見てくださっていたんですね……アレクシス様は、本当に研ぎ澄まされた独自の審美眼をお持ちですね」
「……忘れてください」
アレクシスはガバッと下を向き、耳まで真っ赤にして自虐的につぶやいた。完璧な令息の仮面が完全に剥がれ落ち、己の失態に激しく取り乱している。
「忘れません」
短く、真顔で言う。
「あなたがそう思うなら、きっとそうなのでしょう。……続きを聞かせてください、アレクシス様」
サンプルの中から一枚だけ取り出して、そっとアレクシスの前に置いた。
「これが一番、さっきおっしゃっていたイメージに近いでしょうか」
恥ずかしがらせるつもりはない。ただ、続きを聞きたかった。
エレノアが少し首をかしげ、彼の顔をのぞき込むように距離を詰める。 その瞬間、アレクシスはビクリと肩を揺らし、喉の奥で短く息を呑んで、耐えかねたように顔を背けた。
——何か、まずいことをしてしまったのだろうか。
「アレクシス様?」
重ねて呼ぶエレノアの声に、彼は震える声で、絞り出すようにこう言った。
「……忘れてくれと言ったばかりなのに。あなたは、僕をどうしたいのですか」
彼の青い瞳はじりじりと潤んで焦点が合わず、顔に熱が集まって、じわじわと熱い汗がこめかみを伝っていた。 ゾクリ、とエレノアの背筋を熱い震えが走り抜けた。
——完璧な人が、完璧でなくなる瞬間。
その、情けないほどに自分に翻弄されている彼の顔から、どうしようもなく目が離せない。
わずかに開いた唇から漏れる、熱く浅い呼吸。
じりじりと揺れる、うるんだ青い瞳。
気づいてしまった。
その視線は、布地を見ているはずなのに。
なぜか、自分自身を見られている気がした。
鎖骨のあたりが熱い。
ドレスの下まで見透かされているような錯覚。
アレクシスがエレノアの手を握る。
体の奥から熱が這い上がってくる。
——その時、アレクシスの内側で何かが決定的に決壊していたことを、この時のエレノアはまだ知る由もなかった。
ギルバートが仕事の呼び出しに来た。
普段なら公務を最優先するはずのアレクシスが、「あと五分、いや、三分だけ待ってくれ」と、見たこともないほど未練がましく時間を引き延ばそうとする。
「すみませんエレノア、楽しい時間はあっという間ですね」
「……(え…)」
しかしアレクシスは一瞬で、いつもの完璧の顔に戻ってしまった。
エレノアはなんだか、置いて行かれたような寂しさが胸をかすめるのを感じた。
フィオナがお盆で持ってきてくれるのが見える。
温かい紅茶が二人分。
「遅くなり申し訳ございません。お持ちしました」
丁寧にお辞儀をするフィオナの足が、階段の端に引っかかった。
次の瞬間。
バシャッ!!
「っ……!」
淹れ立ての熱湯のような紅茶が、アレクシスの手に容赦なく降りかかる。
「も、申し訳ございません!!」
フィオナが青ざめる。
反射だった。 アレクシスは熱いという感覚よりも先に、とっさに濡れた上質の手袋を乱暴に引き剥がした。白いテーブルの上に、濡れた手袋がベシャリと落ちる。
「大丈夫ですか!」
エレノアは咄嗟に立ち上がり、手拭き用の布を掴んで彼の手を包もうとした。
――けれど、その手がピタリと空間で固まった。 視線が、アレクシスの指先から微動だにできなくなる。
(……黒い、爪……?)
ドクン、と心臓が割れんばかりに跳ね上がった。
露わになったアレクシスの白い手の甲。その指先に塗られていたのは、昼の光の下で艶やかに怪しい光を放つ、深い「黒」だった。
「……大丈夫、です。気にしないで」
それは一瞬だった。
アレクシスは手袋のない手を隠すように、すぐに別の布で覆いながら手を抑えた。青ざめるメイドをいつもの穏やかな声で慰める。
は!とエレノアは顔を上げる。
「フィオナ、新しい布巾を持ってきてくれる?」
「は、はい!」
フィオナがバタバタと出ていく。
庭園に二人だけになる。アレクシスはテーブルの下で手を拭きながら、エレノアを見る。
「驚かせてすみません、エレノア」
「い、いいえ……」
アレクシスは何事もなかったかのように微笑み、脱げた手袋をさっと拾い上げる。
——見ないようにしている。
でも、見てしまう。
あの色が、頭から離れない。
ドッドッ
鼓動が耳奥で鳴り響く。
フラッシュバックする、あの色。
ランタンの光に照らされた、夜会のあの子の指先と同じ、深い黒。
「私、氷も持ってくるように伝えますね!」
エレノアはそれだけ絞り出すと、その場から逃げるように屋敷へと走った。 急いでメイドに伝えると、メイドは料理場へ走っていく。
ゆるゆると足を進めながら、庭へ戻る。
一人になった廊下で立ち止まると、心臓の音はさらに激しさを増していった。 一瞬見えたネイルの色が、何度もフラッシュバックする。
ネイルは今時珍しくもない。貴族の男が嗜みで塗ることもある。
…でもあの色は。そして、ドレスに詳しい、そんな男性は、思い当たるのは、たった一人。
(い、いや、まさか)
(完璧な公爵跡継ぎと……あの、夜会のあの子が……⁉)
エレノアは自分の胸元を強く押さえた。
アレクシスの熱い吐息と、あの黒い指先。
二つの影が重なった瞬間、彼女の知っている世界が、音を立てて崩れ始めていた。
(嘘でしょう……?)
ランタンの下で笑っていた人。
夜明けまで話した人。
黒い爪の人。
そして――
私の婚約者。
全部、同じ人なの?
お読みいただきありがとうございます。
次回は8/1更新です。




