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孤独な公爵令息は、夜の香りに毒される 〜夜会で恋した「彼」は、完璧な昼の婚約者(ただし男装令嬢)でした〜  作者: ユニ子


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第29.5話 会えなくても

冬が近づく頃から、屋敷でアレクシスの姿を見ることが減った。


朝まだ暗いうちに、彼は屋敷を出て、夜は蝋燭の芯が短くなる頃にようやく帰ってくる。食堂の椅子は、いつも片方だけ冷たいままだった。



屋敷にいるのか、いないのか。それすらもわからない日が増えていく。

エレノアは、特に何も言わなかった。忙しい人だということは、もうとっくにわかっている。

しかし廊下を歩くとき、目の端でつい彼の姿を探してしまう自分がいた。



——いない。



窓の外では、木々が最後の葉を手放し始めていた。庭師が落ち葉を掃く音だけが、いつもより大きく響く。屋敷全体が、少しだけ静かになった気がした。



****

ある朝、扉の前に何かが置いてあった。

細長い包み。紐は几帳面に、蝶結びで丁寧に結ばれている。表には、流れるように美しい筆跡で「エレノアへ。」とだけ書かれていた。



エレノアはしばらくそれを見下ろしてから、しゃがみ込み、そっと手に取った。

紐をほどく指先が、少しだけ冷たい。



開けると、中から一枚の羽根が現れた。青とグレーの混じった、大きな羽根だった。



窓から差し込む朝の光にかざすと、色が微かに揺れる。灰色だと思っていた部分に、青が滲むように浮かび上がった。

一緒に、小さなメモが折りたたまれていた。



——「視察先で見つけました。」



それだけだった。

エレノアは羽根を手のひらに乗せたまま、しばらく動けなかった。

視察先で、彼がこれを見つけた瞬間を想像してみる。書類の束を抱え、馬車を待つ合間。ふと足元か、道端の茂みか。忙しさの中で、一瞬だけ視線が留まる。



——誰かに渡そうと思って。



その「誰か」が、私だった。



(そう思ってしまった)



それだけのことなのに。

胸の奥が、じんわりと、けれど確かに熱を持った。冷えていた指先が、羽根を包んだまま少しずつ温まっていくのがわかる。



言葉より先に、何かが届いてしまった。



****

——何か、私からも渡せるだろうか。



彼が拾ってきてくれた羽根ほど、心を動かすものなんて持っていない。それでも、何か返したかった。



窓辺に立って庭を見渡す。冬に向かう庭は、色を失いかけていた。それでも一輪、白い花が霜にも負けず咲き残っている。



——これがいい。



庭に下り、迷わずその一本だけを摘んだ。茎を短く切り、小さな紙にくるむ。宛名は書かなかった。



夜が更けた頃、足音を忍ばせて執務室のドアノブにそっと掛けた。誰にも見られなかった。物音もしなかった。ただ、置いてきただけだ。



——伝わるだろうか。



伝わらなくてもいい、とも思った。ただ、ここに自分がいた、という痕跡を残したかっただけかもしれない。



****

それから、やり取りは静かに続いた。

二度目は、小さな髪飾りだった。視察先の職人が作ったという、細やかな細工が施されたもの。銀の糸が、蔦のように編み込まれている。



エレノアはそれを手に取り、しばらく考えた。今度は、何かを「作って」返したかった。



厨房へ向かい、ヴィクトルの大きな背中に声をかける。



「焼き菓子の作り方を、教えてもらえませんか」


ヴィクトルが、大きな体をゆっくりと振り返らせた。


「……え?」


エレノアは、はちみつ色の瞳をいたずらっぽく煌めかせる。ヴィクトルはしばし黙り込み、それから深く息を吐いた。


「……仕方ないですね」



差し出されたエプロンは、エレノアには少し大きすぎた。二人で並び、粉を量り、はちみつと、アイゼンドルフ産のスパイスを少しだけ加える。不格好な焼き上がりだったが、部屋いっぱいに広がる香りだけは、驚くほど良かった。



小さな布袋に詰め、その夜も同じドアノブに掛けた。



****

三度目のある日、エレノアは町へ出た。夜会の場所を確認するためだ。今月はまだ、目印を見つけていなかった。


石畳の路地を一本入ったところに、小さな布地の店があった。店先の棚に、細かい編み目のレースが並んでいる。


(きれい)



思わず足が止まった。白に近い、淡い色。光に透かすと、蔦のような模様がふわりと浮かび上がる。


なぜか、アレクシスの横顔が思い浮かんだ。彼の好みかどうかはわからなかった。それでも、一つだけ買った。

その夜、いつものドアノブに、その包みを掛けた。



****

しばらくして、扉の前にまた何かが置かれていた。小さな包みを開くと、中には一枚の押し葉が入っていた。紅葉した葉が、丁寧に、時間をかけて乾かされている。


アイゼンドルフからの帰り道、二人で並んで眺めた紅葉と、同じ色をしていた。


——「エレノアへ。」


いつもと同じ筆跡で、それだけ書かれていた。

エレノアは、葉を手のひらに乗せたまま、しばらく立ち尽くした。



——あの日のことを、思い出す。



馬車の窓越しに見た、燃えるような山の色。隣に座っていた彼の横顔。ふいに視線が合ったときの、少し困ったような笑い方。


最近、そればかりだ。

会っていないのに。

むしろ、会えないから。


前よりずっと、彼のことを考えている。



——馬鹿みたいだ。



そう思うのに、頬が緩むのを止められなかった。



昼のエレノアなら、きっと目を伏せていた。誰かに見られていないか、まず確かめていた。

でも今は、誰も見ていない。

だから、エレノアは一人で嬉しそうに笑っていた。



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