第3話 かわいいものが好きだ
かわいいものが好きだ。
レース、リボン、甘いもの。
小さいもの、ふわふわしたもの。
——僕には許されない。
そう教えられて育った。
秘密の夜会があると知った。
そこでは誰もが名を伏せ、仮面をつけ、なりたい自分になるという。
偶然、こっそりと会話している貴族の話を聞いてしまったのだ。
——行ってみたい。
そう思った瞬間、自分でも驚いた。 こんなふうに、何かを欲しいと思ったのはいつぶりだろう。
誰にも知られないようにと、こっそりと調べた。
しかし何しろ秘密の会のため、情報が出回っていない。
わかったのは、
”場所は毎回変わり、少し変わった紫色のランタンがかかっている。”
…ということのみ。
やっと手に入れた情報は心無いものだった。
(でも、絶対ここだ…!)
夜も更け、皆が寝静まる時間。
街の明かりも消えた頃に、こっそりついている紫の光。
金色のウィッグ。ヴェールを被れば、自然だ。
淡い色のドレスは、男である僕の腕や脚をうまく隠してくれていた。
この夜中の暗さであれば見た目ではバレない。
ゆっくりと歩けば、足の大きさもばれない。
——大丈夫。
緊張しながら入口の前に立つと、門番らしい男が無言でうなずき
重いドアを開けた。
密室独特の甘い空気の香りがする。
予想していたより会場は広く、たくさんの人がいる。
ホッとしたのも束の間、奥へ進んでいくと、男たちが次々に話しかけてきた。
「そのドレス、珍しい色ですね」
「こういう夜会は、よくいらっしゃるのですか」
「今夜は、誰かお探しで?」
どの言葉も丁寧で、柔らかい。
けれど視線は、僕の向こうや背後へと流れていく。
僕自身ではなく、
僕が“何になり得るか”を見ている目だった。
——やはり、同じだ。
仮面をつけても、人は役割を探す。
ここもまた、静かな品定めの場に過ぎない。
秘密の夜会といっても、所詮は社交界の延長だった。
そう思ったとき、遠くに一人で立っている青年が目に入った。
不思議そうに、こちらを見ている。
目が合う。
その瞬間、気づけば彼のほうへ歩いていた。
彼の立ち方、所作でわかる。
——君も、本当の自分でここに立っているんだろう?
近くで見ると、それは確信に変わった。
やっと、息をすることができた。
この人も、僕と同じだ。
——今日、来てよかった。
「甘いものは、お好きですか?」
低すぎない、落ち着いた声だった。
「あちらに、美味しそうなケーキがあるのですが。
ご一緒にいかがですか?」
ケーキは家では食べられない。
男らしくないと、父が禁じているからだ。
一瞬の躊躇が伝わったのか、
有名店のものだと、彼はこっそり教えてくれた。
嬉しくて、素直に頷く。
彼は自然に、僕をエスコートした。
並ぶと、背丈は僕より少し低い。
——それなのに、どこか頼もしく見えた。
細い腕。
歩幅も、僕に合わせてくれている。
——この人はいったい、何なんだ。
シルバーの長い美しい髪。
白い仮面に隠れた顔。
形のいい顎のライン、厚すぎない唇、色白の肌。
夜会に慣れているらしく、
彼はウェイターに迷いなく声をかけ、二人分のケーキを頼んだ。
皿に載ったそれは、きらきらして見えた。
一口食べると、濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。
なんて、おいしいんだろう。
感動を伝えようと顔を上げると、
彼がこちらを見て、微笑んでいた。
笑うと、目が細くなる人だ。
「足りなければ、またもらいましょう」
好きなだけ食べましょう、と彼は続ける。
自分の分は控えめに口に運んだ。
——もしかして、
この人は、甘いものをあまり食べないのかもしれない。
視線が合う。
深い琥珀色の目が、まっすぐに僕を見ていた。
評価するための目じゃない。
日常で向けられる、どの目とも違う。
「……ほんとだ。おいしい」
彼は僕の分のケーキを、また頼みに行った。
戻ってくるまでの短い時間、周りを見回した。
話し声、グラスの音、仮面越しの笑顔。
——ここは確かに、社交界の延長だ。 でも、彼の隣だけが違う。
品定めではなく、ただそこにいることを、許してくれる空気がある。
僕は、深く息を吸う。
ここなら、呼吸ができる。
——いや、彼の隣でなら。
この夜会は、秘密の関係。
本名も、身分も、明かしてはいけない。
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夜が深くなり、人が散り始めた頃。
立ち上がりながら、気づいたら口から出ていた。
「また」
短すぎる言葉だった。 もっと気の利いたことが言えたはずなのに。
彼女は何も言わずに、静かに見送ってくれた。
——また、なんて言ってしまった。
名前も知らない。顔も知らない。
それでも、
また会えたらいいと思ってしまった。
名前も顔も知らない、この僕と。
同じ夜を、
もう一度過ごしてほしいと。
帰り道、空は少し白み始めていた。
仮面を外すと、夜の空気が頬に触れた。
今夜のことを、誰にも話せない。 話せないまま、胸の中に残っていく。
——それでも、悪くない夜だった。
——翌朝、朝食に父から呼び出された。 婚約の話が決まりそうだという。




