↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤独な公爵令息は、夜の香りに毒される 〜夜会で恋した「彼」は、完璧な昼の婚約者(ただし男装令嬢)でした〜  作者: ユニ子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/57

第2話 澄んだ青の瞳


——王都にて。



エレノア・フォン・ローゼンベルクは日傘を傾けた。


令嬢らしく歩く。

令嬢らしく微笑む。

令嬢らしく振る舞う。

息苦しいのはいつものことだった。

月に一度、夜に燕尾服を着るときだけ、やっと深く息が吸える。



「……っ」



思わず視線を落とすと、石畳の上に、くっきりとした自分の影が伸びていた。

気づけば、季節は夏へと向かっている。


「大丈夫?」


少し前を歩く母が、振り返って微笑む。

エレノアが日差しを苦手としていることを、よく知っている顔だ。



「……それは、もう耳にたこができるほどです」


そう言うと、むう、と母がわざとらしく頬を膨らませてきた。

今日は贈り物を買うため、二人で繁華街に出ていた。


エレノアの婚約が決まりそうだった。

すぐに顔合わせができるように、と母は菓子を準備したがった。



(決まってからにしたらいいのに…)



そう言ってみたが、「こういうものはトントン拍子に決まるのだから、準備しておくにこしたことはないのよ!」と母は、エレノアの重い腰を引っ張った。



スイーツに詳しくないエレノアとは対照的に、母は買い物が大好きで、一流の令嬢にとってそれは“嗜み”だと思っている。



生ものではなく、日持ちがする菓子を買うのだという。本当なら馬車で済ませるところを、引きこもりがちな娘を案じて歩いて行くことにした。



エレノアは特に異論を唱えなかった。

——夜会に行くため窓から飛び降りる程度には、足腰は鍛えられているのだが。




(知らない人と、結婚なんて)



やれやれ。と、エレノアはガリッと石畳を踏む。


——仕方ない。公爵令嬢に生まれてしまったのだから。





王都の中心は人で溢れていた。



「ここにするわよ!」



母が指さしたのは、今話題の菓子店エチュール

看板を見上げた瞬間、エレノアの脳裏に、夜会の情景がよぎる。


——あの夜。

仮面の下で、並んで食べたケーキ。


「どうしたの?入るわよ」


腕を引かれ、我に返る。

扉を開けると、店内は想像以上の賑わいだった。


棚には色とりどりの菓子。

壁際のソファには、会計待ちの婦人たちが並んでいる。


ふと、新作の札が目に留まった。


(……これ)


先日の夜会で食べたものと、同じだった。




(あの子、すごくおいしそうに食べてたな……)



目を輝かせていた。…生まれて初めて食べたみたいに。

ケーキなんて、誰が食べても同じ顔をすると思っていたのに。

あの子だけは違った。



また来るだろうか。

次の夜会まで、まだ三週間もある。

そんなことを考えている自分に気づいて、エレノアは眉を寄せた。



珍しくエレノアが興味を示しているのに気づき、母が反応する。


「気に入ったのなら、これ買いましょ!」



そして「ほかにも見てくるわ!」と、人混みに消えていく。


ひとり残されたエレノアのもとへ、店員が試食を差し出した。

小さく切り分けられた新作ケーキ。


口に運ぶ。


——おいしい。


以前は甘いものが得意ではなかったはずなのに、

今は、不思議なくらい自然に受け入れられる。



「ローゼンベルク家のエレノア様じゃない?」

「こんなところにいらっしゃるなんて、珍しいわね」

「××家の〇〇様と婚約が進んでいるらしいですわ」

「まあ…」



囁き声が、避けようのない距離で耳に届く。

ここは王都。

視線も、噂も、避けられない。


(××家の〇〇様って誰だよ…)


エレノアは自分も知らないうちに、聞いたこともない人と婚約したことになっているらしい。



やれやれ、とエレノアは人目を避けるように、店の隅へ移動した。

ふう、と壁に寄りかかり、片膝を軽く遊ばせて息を吐く。

——それは無意識の癖だったが、今の彼女は気づかない。


(このドレスを脱ぎ捨てて、ブーツとスーツで歩けたらどんなに楽だろう)


——自由が欲しい。


好きな服を着て、好きな人と、好きに話せる時間が。



先日夜会で会った令嬢のことを、また考えてしまう。


——シン‥‥


店の喧噪が消えていく。


またあの夜のように。

素のままで、笑えたらいいのに。



『無名の夜会』には何年も通ってきた。

行くだけで良かった。


なのに、この間、話しかけられて。


いつもは誰とも離さないのに、話した。


あの人からは自由の気配がしたから…。



「…共犯、だね…」



あの子の笑顔を思い出す。

エレノアは一人、ぽそりと低くつぶやいた。



****


「あら、ここにいたのね!」


母に話しかけられ、エレノアの意識が引き戻される。



戻ってきた母と並び、ソファで会計を待つことになった。

母は試食を羨ましがり、エレノアは小さく笑った。


——そのとき。


ガチャリ、と扉が開いた。



「……アレクシス様だわ」

「素敵……!!!」




店内の空気が、一瞬で熱を帯びる。

フーン、とエレノアは視線を向けた。


王都の話題を独占する次期公爵、アレクシス。社交界に疎いエレノアでも、名前だけは聞いたことがあった。




初めて見た。

彼は淡い色のスーツに、磨きあげられた革靴を履いて。


高い背丈に、美しい金髪。彫刻のように美しい顔。遠目からでもわかる青い瞳は、涼し気なのに、どこか甘い。


(…綺麗な人)


アレクシスの周りには、金の粉が舞っているみたいだ、とエレノアは思った。



そして次の瞬間。

なぜか夜会の「あの子」を思い出した。


——え?なぜ?


エレノアは自分に驚く。



アレクシスと呼ばれた青年は、ゆっくりと店内を見渡す。

店員に声をかけられ、にこやかに礼を言い、試食を受け取った。


そして。


はむ、と一口。


ほんの一瞬だけ。

嬉しそうに、口元が緩んだ。



「すみません」



店員を呼ぶ、低く、静かな声。

カウンターに手を置く仕草。

視線の配り方。

場から一歩、距離を取る立ち方。




背丈も違う。

——男装のときは、私はブーツで誤魔化しているけれど。

装いも、立場も。

なのに、なんで思い出してしまうの?



会計が終わり、母は大量の菓子を抱えていた。

代わりに、エレノアが紙袋を受け取る。


長居は無用だ。

出口へ向かった、そのとき。



「ご令嬢。……忘れ物ですよ」



静かな、けれど胸の奥を直接叩くようなテノールの声。

振り返ると、アレクシスが日傘を差し出していた。

視線が、ぶつかる。

澄んだ青の瞳。 夜会の闇ではなく、昼の光を強く映した色。

一瞬、時間が止まった気がした。


一生かかわることのないと思っていた、有名な人。



「……ありがとうございます」



丁寧に頭を下げ、逃げるように店を出る。

馬車に乗り込み、扉が閉まった後も、あの目の色が網膜に焼き付いて離れなかった。




****

——そしてエレノアは、母の言葉が正しかったと知ることになる。

帰宅すると、父が書斎の前で待ち構えていた。


「おお、エレノア! ちょうどいいところへ。お前の婚約と、顔合わせの日が決まったぞ」


驚く娘に、父は満面の笑みで、重厚な紋章の入った親書を差し出した。


「お相手はアレクシス・ユリウス・ヴァルトハイム殿だ。この国を担う若き逸材。この国で彼を知らぬ者はおらん。お前、なんて幸運なんだ!」


――アレクシス。 その名を聞いた瞬間、エレノアの脳裏に、先ほど店で見かけたあの澄んだ青の瞳が、鮮烈に浮かび上がった。


(あの人が……私の、婚約者!?)

完璧な気遣い。隙のない美貌。甘い笑顔。 社交界の光のなかにいる、誰もが羨む完璧な青年。


けれど、エレノアの胸を激しく揺さぶったのは、そんな輝かしい肩書でも、突然決まった政略結婚への絶望でもなかった。


脳裏に蘇るのは、あの夜会で出会った、ケーキを一口食べて子供のように目を輝かせたあの子。 そして――昼の光の下、アレクシスが試食を口にした瞬間、ほんの一瞬だけ見せた、あの綻ぶような表情。


(……まさか。あり得ない)


性別も、立場も、何もかもが違いすぎる。 似ているはずがない。ただの私の見間違いで、気の迷いに決まっている。

なのに。 否定しようとすればするほど、あの店で重なって見えた感覚が、どうしても胸から消えてくれない。


(どうして……なんで、思い出してしまうの?)


違うと思いたいのに、彼の名を聞いた瞬間、一番に「あの子」を求めてしまう自分がいる。

驚きで固まったまま、エレノアはただ、手の中の親書を強く握りしめていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。