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第4話 完璧な婚約者

その日は、よく晴れていた。


顔合わせにふさわしい天気だと、母は言った。




エレノアは窓辺に立ち、光の中に浮かぶ埃をぼんやりと見つめる。


胸は、驚くほど静かだった。


期待も、拒絶もない。


ただ——

“自分の番が来たのだ”と、理解しているだけだった。



足音。

ドアが開く。

名が告げられる。


空気が、静かに整えられる。


現れたのは、絵画のように整った青年だった。


「アレクシス・ユリウス・ヴァルトハイムです。

本日はお時間をいただき、ありがとうございます」



片手を胸に当て、流れるように一礼する。


ーーこの方が私の婚約者


彼は、どこから見ても完璧だった。

声も、所作も、微笑みも。


柔らかな金の髪は短く整えられ、

額にかかる前髪さえ計算されているように見える。


澄んだ青の瞳は、

昼の光を正しく反射して、まぶしいほどだった。


そこまで広くはない肩幅で、背筋は真っ直ぐに伸びている。

この人は、守られる側ではなく、守る側だと

一目でわかる体躯。


完璧だった。


——あまりにも。


——それなのに。



——先日、菓子店で偶然出会ったとき。

店で日傘を差し出してくれたときの彼は、

今日より、ほんの少しだけ近かった。






「エレノア・フォン・ローゼンベルクと申します。

どうぞ、よろしくお願いいたします」



教え込まれた通りのカーテシー。

声は少しだけ高く。

柔らかく、従順に。


今日の私は、夜の私ではない。


昼の令嬢だ。



くすんだ深いパープルのロングヘアを編み込んで、やさしいピンクのドレスを着て。



靴は細かい細工のされたシルバーのヒールをはいている。



母がこの日のために仕立てたお気に入りのコーディネートだ。



エレノアには少し可愛いすぎる気もしたが、第一印象が良いのに越したことはないので

(仕立屋も母も、お互いに手を取りぶんぶん振り回しながら喜んでくれるので)

これにすると決めた。



エレノアの本来の髪はシルバーだ。

きつく見えるかもしれないと、母が柔らかい色に染めることを勧めてくれた。


ずっとそうしてきた。



両家の父親たちが満足げにうなずく。


お人形さんみたいだわ、と公爵夫人が嬉しそうにしてくれた。




(とりあえず第一関門は、乗り越えた…)



テーブルには先日買いそろえた菓子や、うちの料理長が作ったデザートが並び

アフタヌーンティの形に整えられた。



会話の話題は自己紹介もかねた、領地の経営、森の管理、今後の展望。


ヴァルトハイム家の領土は昔から狩りで有名なところだ。


森のある広い土地。


ここから馬車で1日ほどの距離。


産業は、狩猟をメインに、毛皮の販売や畜産、はちみつ、簡単には農業もされている。


鞄や靴などの革製品の加工も有名だ。



夏は涼しく、冬は凍てつく寒さの地。



ここはといえば、有名なのは糸などの染物、織物がさかん。




小さい土地だが、気候は比較的安定している。


水が美しい、などなど。



父同士はお互い面識があったようで、

ときどきエレノアの知らない王都の話題になったりしている。



アレクシスは穏やかに受け答えをする。



隙がない。

迷いもない。

堂々としている。


——強い人だ。



私は守られる側になるのか、と静かに思った。



それでも私は、私でいると決めている。











「うちの息子は狩猟が趣味でしてな」


ヴァルトハイム公爵が誇らしげに言う。


「十歳で鹿を仕留めましてな。大会でも優勝するほどの腕前です」




感嘆の声が上がる。


エレノアはアレクシスを見る。


彼は微笑んでいる。


完璧な、模範的な微笑。


だが。


ほんの一瞬だけ、

その目の奥が、わずかに遠くを見た。


——気のせい?



「服飾にも詳しいのですよ。

婦人服のレースなども」



公爵が、少し茶化すように続ける。


室内に、軽い笑いが広がる。


エレノアの母も、くすりと笑った。


アレクシスは、やはり微笑む。



「教養の一環として学びました」



綺麗な答え。


完璧な外の顔。


けれど。


エレノアは、素直に首を傾げた。



「どのようなレースがお好きなのですか?」



室内が、一瞬だけ静まる。


母の視線が、横から刺さる。


——何を聞いているの。


だがエレノアは、純粋に知りたかった。


アレクシスの目が、ほんのわずかに揺れる。


それは今日初めて見た、作られていない反応だった。



「……細い糸で編まれた、透けるようなものが好きです」



わずかに、声が柔らぐ。

その声は、磨かれた昼の声ではなく、

ほんの少しだけ、夜の静けさを含んでいた。




「遠目にはただの白ですが、近くで見ると、驚くほど緻密で。

壊れそうで、でも、簡単には壊れない」




「素敵ですね」



自然にそう言っていた。



笑わない。

揶揄しない。

ただ、肯定する。


アレクシスの視線が、真っ直ぐこちらを向く。


その一瞬だけ。


夜の静けさに似た、温度を帯びていた。


すぐに消える。


また、完璧な婚約者の顔に戻る。



会話は滞りなく進み、

二時間後、すべては円満に終わった。



両家とも満足。


未来は安泰。


エレノアは立ち上がり、深く礼をする。


これでいい。


私は令嬢だ。


役割を果たせばいい。


客人を見送り、屋敷が静まり返ったころ。


エレノアはベッドに横たわり、

天蓋越しにぼんやりと天井を見つめていた。


ふと、思う。




あの人は、強い。


私はきっと、守られる側になる。


——でも。


あのレースの話をしたときの目。







——二人はまだ、知らない。



エレノアはまだ知らない。


あの青年が、

仮面の下で微笑んでいた“彼女”だということを。


そしてアレクシスもまた。


自分の前に座っていた令嬢が、

夜会で隣に立っていた“あの人”だとは、

まだ知らない。


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