第26話 変わったのは、私のせい?
「これ、よかったら食べてね」
旅から戻って数日経った。
エレノアは屋敷の使用人たちに、アイゼンドルフで買ってきたお土産を配ることにした。蜂蜜の小瓶。木の実のお菓子。燻製のチーズ。
メイドたちが嬉しそうに受け取る。 ギルバートには少し上等な蜂蜜を選んだ。 彼は深くお辞儀をして「恐れ入ります」とだけ言った。 でも、その目が少しだけ細くなったのを、エレノアは見逃さなかった。
フィオナには木の実のお菓子と、小さな蜂蜜の瓶を選んだ。
「エレノア様、ありがとうございます!」
フィオナが両手で受け取って、すぐに包みを開けようとする。ユノが隣で「後でね」とたしなめた。二人は顔を見合わせて笑った。
「フィオナ、ユノに旅の話を聞いてあげて」
エレノアが言うと、フィオナがユノに向き直った。
「旅はどうだった?」
「楽しかったよ。ギルバートさんがいろいろ教えてくれて」
ユノが少し顔を赤らめながら言った。
「ギルバートさんって、最初は怖い感じがするけど、実はすごく物知りで。街道沿いの植物のこととか、ヴァルトハイム領の歴史とか、たくさん話してくれて」
「ギルバートさんが?」
フィオナが目を丸くした。
「私、ギルバートさんに話しかけたことほとんどなくて。怖くて」
「わかる。でも怖くないよ。なんか、おじいちゃんみたいな感じで」
ユノがそう言うと、フィオナが声を出して笑った。エレノアも、思わず口元が緩んだ。旅の途中で泊まった宿で、二人が一緒に食事していた様子を思い出す。
『ギルバートも楽しそうです』
ささやいてきた彼の声を思い出し、ついでに馬車での出来事も思い出してしまう。
——は!
思わず心臓が掴まれたようにギュっとなったが、
今はお土産を配っている最中。
フィオナに「後で部屋に紅茶をお願い」と頼み、エレノアはまだ配っていない使用人がいるところへヨタヨタと向かった。
****
屋敷に戻ってから、彼は今までと何ら変わらない。というより、実はあまり顔を合わせていない。
今回の旅のために調整した仕事に追われているようで、忙しくしている。
(危なかった、のかな)
馬車でのドキドキを思い出して、エレノアはまた固まる。
森の時にも感じた、彼の熱…。
コンコン
ドアがノックされ、エレノアの思考が途切れる。フィオナが紅茶を持ってきた。
「エレノア様、先ほどはお土産をありがとうございました」
「…あ、それは良かったわ。喜んでもらえた?」
「はい、とても。木の実のお菓子、初めて食べましたが美味しくて」
屋敷のみんな、すごく喜んでます。とニコニコしている。
「ふだん、公爵様が厳しくて、甘いものはあまり食べられないんです。お客様や奥様の茶会用には用意されますが…。」
「フィオナへのお土産、実はアレクシス様が選んだのよ」
フィオナの動きが止まった。
「……え?」
「甘いものが好きだって、知っていたみたいで」
フィオナが驚き過ぎて固まっている。
「旦那様が……?」
フィオナは目を丸くした。
「私、甘い物が好きだなんてお話したことありません」
「でも知ってたみたい」
「そんな……」
フィオナは少し涙ぐんだ。 それから、深くお辞儀をした。
「……大事にいただきます」
それからぽつりと、独り言のように言った。
「エレノア様がいらっしゃるようになって、最近、旦那様は変わられた気がします」
エレノアは少し止まった。
「前は、本当に笑わない方で。お顔がお美しい分、怖くて。この屋敷も、もっと静かで。失敗したら怒られるし、余計なことは話さないし、ちゃんとやって当たり前っていう空気で」
フィオナは悪いことを言っている自覚はないようで、ただ嬉しそうに続けた。
「エレノア様が来てから、なんか空気が変わった気がして。私もこうやって話せるようになったし」
「……そうなの」
フィオナは深くお辞儀をして、部屋を出ていった。ユノも仕事があると言って出て行った。
****
部屋に一人になった。
エレノアはベッドに腰を下ろす。
——本当に笑わない方で。お顔がお美しい分、怖くて。
その言葉が、頭の中で繰り返された。
旅の道中のアレクシスを思い出す。市場で木の実のお菓子を口に入れた瞬間、少しだけ目が細くなったこと。 チーズのやり取りで、声に出して笑ったこと。 紅葉の葉を、丁寧に手帳に挟んでいたこと。
——旦那様は変わられた気がします。
エレノアの知らないアレクシス。社交界の彼について、エレノアは名前しか知らなかったが、令嬢たちがよく噂しているのは知っていた。
初めて会った頃は、遠いと感じていたあの表情。
自分が来る前の彼を、エレノアは知らない。 でも今の彼を、少し知っている。馬車の中で、腕を離さなかったこと。 あの、心臓の音。
——あれは、婚約者への振る舞いだったのだろうか。
(令嬢たちにも、あんなふうに抱きしめたりするの?)
若い次期公爵は女性への接し方を心得ていても、おかしくない。 婚約者として、守るのは当然のことかもしれない。
そう考えようとした。
しかし、あの心臓の音が頭から離れなかった。
速かった。 自分と同じくらい。
——考えてもわからない。
エレノアは首を振った。
ただ、フィオナの言葉だけが、静かに残っていた。
(それは、私の影響で?)
エレノアは窓の外を見た。 庭の木が、葉を落としかけていた。
——もしそうなら、私は、あの人のために何ができるだろう。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回は7/5(日)に更新予定です。




