第21話 会えたのは、きっと偶然
「今日はどちらへ?」
朝食を終えて廊下を歩いていると、アレクシスが書類を手に通りかかった。
「町へ、本を探しに行こうかと思っていました」
「そうですか」
それだけ言って、彼は執務室へ向かった。 それ以上は聞かなかった。
エレノアはユノと連れ立って、屋敷を出た。
王都の町は、賑やかだった。
ローゼンベルク領とは違う活気がある。 商人の呼び声、石畳を行き交う馬車の音、どこからか漂ってくるパンの焼ける匂い。
「お嬢様、見てください!」
ユノが目を輝かせて、布地の店の前で立ち止まった。
色とりどりの生地が、秋の日差しに映えている。
「きれいね」
エレノアも足を止めた。
ユノは店先の生地を次々と手に取り、頬を上気させている。
普段は屋敷の中でエレノアの世話ばかりしている。
こうして外に出て、自分のために目を輝かせている姿を見るのは、いい。
今日は本屋に行くという名目だが、実はユノの気晴らしがエレノアの主な目的だった。
「お嬢様、このレース、式のドレスに合いそうじゃないですか?」
ユノが薄いクリーム色のレースを広げる。
「そうね……」
ドレス。そういえば、まだ決めていない。
式は半年後を予定している。
近々、アレクシスに時間をもらって相談することにしよう。
エレノアは口元を少し緩めた。
「もう少し見てから決めましょう」
「はい!」
ユノが嬉しそうに返事をする。
その顔を見ていると、こちらまで気持ちが軽くなった。
本屋に入ると、エレノアはまっすぐ自然科学の棚へ向かった。
平積みになった図鑑の中に、一冊だけ気になるものがあった。
『王都近郊・森の鳥図鑑』
手に取って、ページをめくる。
——あの日、森で見た鳥の名前を、結局聞けなかった。
アレクシスが木の上を指差して、何かを言いかけて、雨が降り始めた。
あの鳥が何という名前だったのか、ずっと気になっていた。
「お嬢様、それにするんですか?」
「ええ」
ユノが少し意外そうな顔をした。 でも何も言わなかった。
小さな広場に出ると、ユノが焼き栗を買ってくれた。
熱くて、甘くて、秋の味がする。
「フィオナに教えてあげたら喜びますね」
「そうね。今度一緒に来ましょう」
ユノが嬉しそうに頷く。
先日行った、『サロン・ド・ヴァルトハイム』の前を通ってみる。
繁盛していて、身分関係なく、いろんな人が笑顔でお店を楽しんでいるのが見える。
焼き栗を食べながら、二人で微笑んだ。
****
路地を一本入ったとき、エレノアの足が止まった。
建物の角に、小さなランタンが掛けられている。
紫色の、ランタン。
心臓が、少し跳ねた。
近づいて見ると、ランタンの下に小さな札が下がっていた。
「今月はお休みです」
エレノアはしばらく、その札を見ていた。
——そうか。
今月は、ない。
リィに会えると思っていたわけではない。 この屋敷から抜け出すのは難しいとわかっていた。
「お嬢様、どうかしましたか?」
「なんでもないわ」
エレノアはランタンから目を離した。
また来月、目印を探せばいい。 それだけのことだ。
それだけのことなのに、なぜか胸が重かった。
****
帰り道、大通りに差し掛かったとき。
「エレノア嬢」
反射的に、胸が跳ねた。
――リィ?
そう思った自分に、エレノアは一瞬だけ戸惑う。
そんなはずはない。
昼間の王都で会う相手ではないし、
声だって違う。
視線の先には、金色の髪が陽光を受けて輝いていた。
「あ……アレクシス様?」
振り返ると、アレクシスがいた。
通り過ぎる人々が思わず振り返るほどの、圧倒的な気品。
太陽の光が当たった金髪が眩しく、澄んだ青い瞳を柔らかくしている。
ドキン
ニコリと、その笑顔が自分に向けられていることに、心臓が大きく鳴る。
アレクシスは仕事着のままだったが、上着を一枚羽織っている。
手には小さな紙袋を持っていた。
「アレクシス様、どうしてここに」
「少し外の空気を吸いに。……偶然ですね」
偶然、と言った、その目は少し笑っていた。
けれど彼が現れた方向は、屋敷からではなく、エレノアたちが歩いてきた通りの先だった。
(……あれ?)
少し不思議に思ったが、アレクシスは何事もなかったように微笑んでいる。
アレクシスはそっと彼女との距離を詰める。
流れるように、非の打ち所がないスマートな動作で左腕を差し出した。
…さもそれが当たり前というように。
(婚約者、だから)
自分に言い聞かせて、エレノアはその腕をとった。
ユノが「あっ」という顔をして、素早く一歩後ろに下がった。
三人で大通りを少し歩く。
無意識のうちに自分を「車道側」から守るようにしてくれた彼の自然な気遣い 。
公共の場でのアレクシスは、やはり完璧だった。
歩いていても、すれ違う人々が振り返る。
「アレクシス様~!」と手を振ってくる令嬢。
アレクシスがにこりとすると「きゃああああ!!」と悲鳴が聞こえる。
——相変わらずの人気ぶりだわ。
いろいろ通り越して、おもしろいと感じるエレノア。
それでも、彼が隣を歩く歩幅は、エレノアに合わせてあった。
「本は見つかりましたか」
「はい。図鑑を一冊」
「図鑑?」
「森で見た鳥の名前が気になって。屋敷の庭にも来るので」
アレクシスが少し目を細めた。 何か言いかけて、やめた。
しばらく歩いたところで、アレクシスが紙袋をエレノアに差し出した。
「よければどうぞ」
中を見ると、上品な包みの焼き菓子が入っていた。
いい香りがする。
「まあ、ありがとうございます」とエレノアは素直に喜ぶ。
いいことを閃いた。
「アレクシス様、そこにベンチがあります。一緒に食べましょう」
エレノアが言うと、アレクシスは一瞬だけ止まった。
「……はい」
答えた声が、いつもより少し柔らかい。
近くのベンチに腰を下ろす。 ユノが少し離れた場所で、焼き栗の店を眺めている。
菓子の包みを開けながら、エレノアはアレクシスを横目で見た。
完璧な所作のままだった。 でも、菓子に手を伸ばすとき、少しだけ急いでいた。
——かわいい。
やっぱり甘いもの、好きなんだな。
エレノアは前を向いた。
秋の日差しが、石畳に柔らかく落ちている。
「図鑑、見せてもらえますか」
唐突に、アレクシスが言った。
「あの日の鳥なら、僕も気になっていたので」
エレノアは少し驚いて、それから鞄から図鑑を取り出した。
二人で並んで、ページをめくった。
****
屋敷に戻る頃、日はだいぶ傾きかけていた。
ギルバートが玄関に立っていた。
説教が始まるかとアレクシスとエレノアは二人で顔を見合わせたが、
ギルバートはアレクシスを見て、何も言わなかった。
ただ、いつもより少しだけ、目が細くなった気がした。
自室への廊下を歩きながら、エレノアはアレクシスの広い背中を見送る。
そのとき、大通りでユノと見た、薄いクリーム色のレースのことを思い出した。
一歩、踏み込んでみたくなって。
エレノアは言う。
「あの、アレクシス様」
「はい、何でしょう」
振り返った公爵跡継ぎは、相変わらず非の打ち所がない美しさで佇んでいる。
「時間が空いたときに……その、私たちの結婚式のドレスについて、少しご相談のお時間をいただけますか?」
エレノアが少し照れを隠しながら言うと、アレクシスは一瞬、澄んだ青い瞳を丸く見開いた。
それから、どこか耳の裏をほんのり赤く染めながら、いつもの完璧な微笑みを浮かべる。
「ええ、喜んで。エレノア嬢のためなら、いつでも時間を空けます」
その言葉の響きに、エレノアは自分の頬が、
じわりと熱くなるのを感じていた。
アレクシスは軽く会釈すると、そのまま廊下の向こうへ歩いていく。
見送ったあとで、ふと今日見た紫色のランタンを思い出した。
今月は、『無名の夜会』は休み。
だから会えない。
そう思っていたはずなのに。
なぜだろう。
胸に残っているのは、リィではなく――
今日何度も見た、金色の髪の方だった。
本日もお読みいただきありがとうございました!
次回更新は6/15(月)予定です。




