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男装令嬢と女装令息の、秘密の夜会 ~仮面の下で恋をした相手は、昼間の婚約者でした~  作者: ユニ子


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第18話 この屋敷の、静かな答え



「エレノア様」


朝食を終えたエレノアが席を立とうとしたとき、執事のギルバートが静かに近づいてきた。


彼は白髪を美しく整え、背筋を正して立っている。


改めて見ると、彼の年齢は70代後半程に見えた。


アレクシスは早朝から仕事をしており、一緒に朝食をとることはできない。



「お屋敷のことでご不明な点もおありかと思い、お時間をいただけますでしょうか」



丁寧な言葉だった。


けれど、その灰色の瞳はエレノアをまっすぐ見ていない。


まだ測りかねている、という目だった。



「はい、もちろん」



横にいてくれたユノが心配そうにこちらを見ている。


(大丈夫よ)と視線を送ると、心得たようにそっとうなずいた。




****

応接室に通され、エレノアは座る。

ギルバートは背筋を伸ばして立ち、手を前で組んだ。



「ヴァルトハイム家についてご説明申し上げます」


語り口は淀みなく、丁寧だった。



ヴァルトハイム家は北方の地域【アイゼンドルフ】に古くから続く公爵家。

北方にある領地まではここから馬車で二日ほど。


アレクシスは最近まで実家の公爵家を主に使っており、

王都にあるこの屋敷は、先代の奥様が建てたもの。


アレクシスが王都で仕事があるときに使っているという。




ヴァルトハイム領は冬は雪深く、気候が厳しい。

人は頑健で、領民との結びつきが強い土地柄だという。


産業は牧畜と林業が中心。


良質な木材と毛織物が主な収入源で、王都にも卸している。


南方の領地に比べると派手さはないが、堅実で安定した領地運営が代々続いている。



「染料の原料となる植物も、一部産出しております。茜を中心に、小規模ながら加工まで行っております」


「茜なら媒染の温度が難しいですね」



エレノアがつぶやくように、自然に口を挟んだ。



「左様でございます」



ギルバートはそれだけ言って続けた。 一拍置いてから、独り言のように付け加えた。


「アレクシス様も染料にご興味をお持ちで、幼い頃に領地の工房へ足を運ばれたことがございます」



———そうだったんだ。



エレノアは少し止まった。


また、だ。 共通点が出てくるたびに、なぜか胸の奥が小さく揺れる。

理由はわからなかった。


そのとき、応接室の扉の前をアレクシスが通りかかった。


書類を手に持ったまま、足を止める気配はない。


けれど通り過ぎる一瞬、視線だけがエレノアを捉えた。


目が合った。


彼は歩みを止めないまま、小さく頷いた。 それだけだった。


次の瞬間にはもう、廊下の奥へ消えていた。


立ち止まらなかった。 声もかけなかった。


それなのに、確かにこちらを見ていた。


ギルバートは書類に目を落としたまま、気づいていない。 説明が続いている。


エレノアは前を向いた。


なんだか、少し落ち着かなかった。



****

ヴァルトハイム家の話が続く中で、エレノアは家風の話が自然に滲み出ていると感じた。


説明として語られたわけではない。


だがエレノアには分かった。


この家では、正しさが何よりも優先されるのだ。



誰かが悲しんでいても。

苦しんでいても。

それが正しいとされるなら、立ち止まらない。



失敗してはいけない。

弱音を吐いてはいけない。

期待を裏切ってはいけない。



そんな見えない規律が、この家にはあった。



――窮屈だな。



ふと、そう思った。

先日、キッチンで肩を落としていたアレクシスの姿が頭をよぎる。



――あの人は、この家でずっと生きてきたのだ。



ふと、屋敷に着いた日のことを思い出す。


冷たいジュースを出してくれたとき、「うちでとれたはちみつが入っています」と微笑んでいた。


あの人が、この家風の中で育ったのか。

なんとなく、うまく重ならなかった。


けれどそれは口には出さなかった。



「奥様方は、当主を支える立場として、礼儀作法・社交・家の管理を担われております。エレノア様にも、ゆくゆくはそのような役割をお願いすることになるかと存じます」


「わかりました」



エレノアが静かに答える。


ギルバートは僅かに目を瞬いた。


反論もない。

戸惑いもない。


けれどエレノアにとっては、聞き慣れた話だった。


令嬢とはそういうものだと。


幼い頃から何度も聞かされてきたのだから。





****

庭に出たのは、説明の最後だった。


庭の奥に、一本だけ他の木と種類の違う木が立っている。



「先代の奥様が植えられたものです。春になると花が咲きます」


ギルバートの声が、ほんのわずか、柔らかくなった。


「……変わった方でした」



それ以上は語らなかった。

エレノアも何も聞かなかった。


庭を出る前に、もう一度だけ振り返る。

季節が来たら、どんな景色になるのだろう。

今はまだ、葉だけが静かに揺れていた。


庭から屋敷へ戻る石畳で、エレノアの足が僅かに凹凸に取られた。

ギルバートが咄嗟に手を差し伸べる。



「大丈夫です」



エレノアは静かに断った。

ギルバートは手を引いた。 そのまま歩き始めながら、ほとんど独り言のように呟いた。



「……アレクシス様に、似ておられます」



エレノアが聞き返そうとしたとき、ギルバートはすでに前を向いていた。

何が似ているのか、わからなかった。

わからないまま、屋敷の扉が開いた。



****

「ご不明な点がございましたら、いつでも申し付けください」


朝と同じ言葉だった。


けれど今度は、灰色の瞳がエレノアをまっすぐ見ていた。


「ありがとうございます、ギルバート」


名前を呼ぶと、彼はわずかに目を瞬かせた。 それだけだった。


本日もお読みいただきありがとうございました!


次回更新は6/8(月)予定です。

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