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孤独な公爵令息は、夜の香りに毒される 〜夜会で恋した「彼」は、完璧な昼の婚約者(ただし男装令嬢)でした〜  作者: ユニ子


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第13話 社交界(4)

薄いパープルのドレスを纏った彼女が、こちらに向かって歩いてくる。いつものドレスより、ずっと自然に着崩れている。


それなのに、いや、それだからこそ、アレクシスは目が離せなかった。



****

エレノアが会場へ戻るとアレクシスが一人で皿を持って佇んでいる。


少しは何か食べられただろうか。


彼がこちらに気づき、その端正な顔をあからさまに安心させた。



「似合っています」



アレクシスは一度、目を細めてエレノアを見つめた。


「……可愛い。前のドレスより、こちらの方がよく似合う。色も、生地の柔らかさも」


にこりと、スマートに言ってくる。


(か、可愛い…?)


普段そんな風に直球で褒められ慣れていないエレノアは、恥ずかしさのあまり頭が真っ白になって固まる。


一体どこからお礼を言うべきか…。



周りは先ほどの空気も変わり、会場には穏やかな時間が流れている。

アメリア達は帰ったのか視界に入らなかった。本当に帰ったのだろう。



「これがおいしいよ」


はい、とアレクシスはサーモンの燻製らしいものが乗った皿を差し出してくれる。


一口食べる。


「…おいしい」

「そうでしょう」


アレクシスは静かに笑いながら、こっそりとおすすめを教えてくれた。


「こちらもどうぞ」


何品か続く。

結局、その後も二人でいくつかの料理を食べた。

ドレスが緩くなったおかげで、驚くほど食事が喉を通る。

エレノアは二口、三口と続けて食べた。

ふと顔を上げると、アレクシスがどこか安心したような顔でこちらを見ていた。



「……?」



目が合うと、彼は何事もなかったように微笑む。

エレノアは首を傾げたが、理由(彼が自分の顔色の悪さをずっと心配していたこと) はわからなかった。


「こちらもどうぞ」


アレクシスが新しい皿を差し出す。


「ありがとうございます」



そして数分後。


「こちらも」


また皿が増えた。


「……ありがとうございます」



さらに数分後。


「これも悪くなかったよ」


また増えた。

エレノアは皿とアレクシスを交互に見た。


(私、そんなに食べそうに見えるのか…?…)



二人の様子を、 令嬢たち、令息たちが遠巻きにぽかんと見つめていた。


「ヴァルトハイム卿が給仕してる……」

「あれ三回目よ」

「信じられない」



外野のそんなヒソヒソ声など、アレクシスの耳には1ミリも届いていない。


「……アレクシス様」

「はい」

「全部、食べたことがあるような勧め方ですね」


アレクシスがぴたりと口を閉ざした。


「味見したのですか」

「……少しだけ」

「少し?」

「三皿ほど」

「けっこう、食べましたね」


エレノアは驚いて、ぱちくりと瞬きした。


「…あなたが食べるなら、どれがいいかと…」

「フフ」


エレノアははちみつ色の瞳を細めて、口元を押さえた。

そんな気の使い方、ある?

(おもしろい人)


——昼間のこの人との時間も、悪くない。

そう思った自分に、エレノアは少し驚いた。



****

少し周囲の喧騒が落ち着いた頃、アレクシスが静かに声を落とした。


「先ほどは一人にしてしまって、すみません」

「気にしていません。あなたは仕事の話をしていたのでしょう」

「それでも」


彼は少し間を置いた。その青い瞳が、まっすぐにエレノアを射抜く。


「エレノア嬢」

「はい」

「しばらく、うちに来ませんか」


思いがけない言葉だった。エレノアは目を見開いた。


「婚約者として、傍にいた方がいいと思って。今日みたいなことが、また起きるかもしれないから…」


それだけ言って、アレクシスはエレノアを見た。

答えを急かすわけでもなく、ただ待っていた。


エレノアは少し気圧されていた。

この人が、こんな風に誰かを求めるような物言いをするのを、初めて聞いた気がした。

少し考えてから、エレノアは小さく頷く。

本来なら、男装の秘密を守るためにも迷うはずの提案だった。

なのに――。



「……わかりました」

「よかった。両親はいないので、緊張することはありませんよ」



そう言って、彼はさらりとウィンクをした。


でもその後、ほんの少し目を細めた。

それは安堵ではなく、もっと暗く、エレノアを自分の檻に閉じ込めたような、底知れない歓喜に見えた。

エレノアは思わず視線を逸らした。


——なぜ逸らしたのか、わからなかった。




****

帰りの馬車の窓の外に、街の灯りが流れていく。

密閉された空間。二人で乗る馬車。


アレクシスの纏う甘い香水と、先ほどまで繋がれていた手のひらの熱が、いつまでも鼻先と肌に残っている。

アレクシスは何も言わず、ただ静かに窓外を眺めている。

エレノアも、何も言わず、自分の手を見ていた。



エレノアはじんわりとした心の違和感に気づく。



(私がヴァルトハイム家に行くことになったら…)


脳裏に、あの不思議な令嬢の姿が浮かぶ。


(あの子にはもう会えないのかな?)



男装するのも、もう難しいのだろうか?


今まではあの夜会が、エレノアのささやかな「自分の居場所」だった。


でも…。


ちら、と向かいに座る彼の横顔を見る。


この人の隣でも居場所ができるのかもしれない。

少しだけ、未来を想像できるかもしれない。



エレノアは目を閉じる。



目の奥で、薄いブルーのドレスを着たあの子を見た。


背筋を正して「正しくあろう」としている背中。


ガタン、と馬車が揺れ、エレノアは目を開ける。

気づかないうちに寝てしまっていた。

アレクシスはさっきのまま外を見ている。

けれど、エレノアが眠ったことには気づいているようだった。


(……あったかい)


ドレスの締め付けから解放された身体は心地よくて。

エレノアは抗うことなく、また深い眠りの中へと吸い込まれていった。


お読みいただきありがとうございました!


話数入れ替え、加筆しました。(2026.6.25)

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