ひどく恋をした顔
夏の午後。ソルベから「嫉妬」と聞いて私の体にも何か重いものがのしかかる。
ぐらりと視界が揺れるのは夏の暑さのせい? それとも酷く私も動揺を……。
「あらあら。ファールーデをいじめてあげないでちょうだい」
目をこするファールーデに救いの手が差し出された。飲み水をハンカチにかけて、それを丁寧にファール-デの手に持たせる長袖の女性だ。
まさに、死んだかと思っていた人物がそこに居た。
いや。死んだ方が良かった女性がそこに居た?
「ドンドゥルマ!!」
飛び掛かったのはソルベ。
ドンドゥルマに強く体当たりしたことで残りの飲み水を振り落としてしまう。二人は地面の上で揉め合った。私は彼女たちを引き離そうと必死に腕を伸ばしたけれど。この光景はまるで、ある日の劇場での私とドンドゥルマの時と似ている。
「二人ともやめて!」
ソルベはドンドゥルマの顔を引っ掻き、ドンドゥルマは抵抗してソルベの衣服を破いた。
そして動きが止まったのは、ソルベが自ら手を止めたからだった。
「はぁ……はぁ……」
化粧を滲ませて、荒い息。
私は、二人の間に何があったのかを知る。
アイスクリームスプーン。これは海外演目『ミザリーの魔法のスプーン』になぞらえた特別なスプーンである。大切な人に送る生涯最後の一本のスプーン。
淑女たちはスプーンに憧れた。中でも、人気役者ゲイン・リーデッヒに貰えるとなれば血眼だった。
その時、ひとりの女がそれを手に入れたと言う。
特別なスプーンを貰ったのだと振りかざす。
血の色をした目は全員彼女を呪った。
とある人物は、彼女を責めて改心させようとした。ひとりに向けられる品物など偽物であり、あなたは騙されているのだと。
とある人物は、彼女を破滅させようとした。真実を知り、現実との見極めを誤って地獄の谷に落ちればいいとした。
とある人物は、彼女を利用した。説教に対する反発心と、策士をしのぐ探求心にいっそうの火を灯し、応援するという形で導いた。
「ファールーデ……あなた、知っていたの?」
私はファールーデが怖い。
「そ、それはだって。グラニータとドンドゥルマが言い合っているのを偶然見かけちゃったから。ドンドゥルマはすごく傷ついたと思うし、私も……その……ドンドゥルマのことを祝福したくて……」
たえず指先を握りながら話すファールーデだった。その祝福という言葉が、私には不自然に思えた。
「何が祝福よ」と。ソルベも聞いていられなかったようだ。
「あんたがただ黙って何もしていなければ、今日ここで祈りを捧げられるのはドンドゥルマの遺骨だった」
ソルベは生きた本人に対しても聞こえるように言っている。それから続けて。
「死ぬべきなのは、私の夫じゃないわ」
再び涙がこぼれるようだから、私はソルベに寄り添った。
ここではもう、ファールーデがソルベの肩を持つ事は出来ないだろうから。
「で、でも……わ、私だって、止めたけど……」
「黙ってよ!! この人殺し!!」
切り裂くような声。睨まれたファールーデはおずおずとした。こんな状況でも困った顔で立っていられるのは、彼女が実はか弱い存在だけじゃないという事を示しているんだわ。
続けて睨まれたドンドゥルマだ。
「嫌だ、やめてよ。私? 私は別にあんたの夫なんて殺してないけど?」
ドンドゥルマはひとりだけ日陰に移動し入っていた。一度壁に寄りかかっていた背中を離したけれども、まだ日陰の中にいる。
「私はただ、大事な人を守っただけ。だって考えてもみなさいよ。今日のこの葬儀でもしもリーデッヒが葬られでもしたら? 世間は大騒ぎでしょ? だったら誰かにその役を代わってもらわなくちゃ。ねえ?」
その返事を仰がれたのはファールーデだ。彼女は何か言いたげなような、何も言いたくないような、ぐっとただ自分の衣服を握りしめている。
ドンドゥルマは静かに気付いた。
「あっ、そうか、死ぬべきは私だったってこと? あっはは、私は死ぬわけにはいかないじゃない? 私が死んだら誰がリーデッヒを守ってあげられる? でしょ?」
「……」
ファールーデは何も答えなかった。これにドンドゥルマがうんざりするように溜め息をついた。
「はぁ。提案者のあなたがそんな態度だから私が責められるのよね。はいはい、良いわ。もう好きなだけ私を呪ってちょうだい」
言いながらドンドゥルマが日陰から出た。
そのまま私たちのところへは来ずに、どこか違う方向へ向かおうとする。
「ドンドゥルマ、どこへ行くの?」
ファールーデが聞く。
ドンドゥルマは少し振り返った。
「そろそろリーデッヒが帰って来る時間になるもの。準備しないと」
その時、ソルベとファールーデは顔を引きつらせた。おそらく私もだろう。
嫉妬と恨みが絡みつくこの場所で、ドンドゥルマがひどく恋をした顔で笑顔を作ったからだった。
「……準備?」
「ええ。近くに彼の実家があるのよ。よかったらあなた達も来ない? 一緒に彼を歓迎しましょう? そしたらあなたたちの気も晴れるわよ」
「……」
ドンドゥルマは何を言っているの?
夏の太陽が眩しいわねと言って手をかざして。
私は目を見張った。
「ドンドゥルマ……あなた、ドンドゥルマじゃ……無いわ……」
いつかにソルベが言ったこと。今、私にも分かる。
「え?」
きょとんとするドンドゥルマが、何かおかしいということ。そこに「おーい!」と手を振る人物が現れた。クルフィだ。
「何してるの? また喧嘩でもしてる?」
クルフィが空気が読めないのは相変わらず。
「あ……ええっとね……」
ファールーデが教えてあげないとと思うのも相変わらず。
話を聞いたクルフィがパチンと手を鳴らす。
「リーデッヒの実家があるの!? ええっ、知らなかったわ! でも確かにここは良い場所だものね。私の亡くなった親戚も安らかに眠れそう……」
小さなシャボン玉が不意に飛んできた。
私たちは何だろうと思ったけれど、クルフィが知っていたようで。
「あっちで子供たちが亡くなった人のためにシャボン玉を飛ばしているみたい。私も少しやって来たわ。あなたたちも親族の方へ……どう?」
流れて来たシャボン玉。どうやらバスを待つ人たちが暇を持て余してか始めたらしい。
ソルベが失くしたのは夫だと言ったけれど。他の誰かも、この戦争で身内の人間を失くしているのだと改めて気付かされた。
「……」
でも。誰が今、クルフィの言う通りに正しく動けるかしら。
私たちは、誰かのために争って、それで落とした命をとむらう資格がどこにあるのかしら。
「はっ。くだらない」
言い捨てたのはドンドゥルマ。
彼女は、歩くのを止めていた足を再び動かして、バスを待つ人たちとは全く反対方向へと足早に歩いて行った。
ソルベ、ファールーデ、クルフィは、ドンドゥルマを見たけれど。すぐに彼女を捕まえることなく見守っている。
このままドンドゥルマを行かせてしまったら、ドンドゥルマはきっともう私たちのところへ戻って来ることは無いんじゃないかと私は思った。
「ねえ、待って! ドンドゥルマ!」
私はドンドゥルマを追いかけた。すぐには動き出せなかったけれど、やっぱり彼女を置いてはいけない。言わなくちゃいけないこともあるもの。私は彼女に謝らなくちゃいけないわ。
事の発端はやっぱり私のせいなのよ。
シャボン玉が顔に当たっても私は、茂みから森の中へと入っていくドンドゥルマを追いかけた。
「待って! グラニータ!」
後ろから声が聞こえても振り返らずに。
(((次話は来週月曜17時に投稿します
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