⑥
「そしたら今日、色んな不思議なことが起こって……」
太平は指を折りながら数え上げていく。「雪予報でもないのに、雪が二度も降ってきました。落としたはずのスマホがいつの間にかポケットの中に戻ってきたし、プロジェクションマッピングの映像はなんかめちゃくちゃだったし、亀沢さんに突然声をかけられるし」
文花さんがぼっと顔から火を吹いた。
私たちのやったこと、バレまくってるじゃん!! ──私も神様も青とも赤ともつかない面持ちのまま、地上の太平をじっと見返していた。
そしてそこで、過ちに気付いた。そこまで見抜いているんじゃない、太平は『そんな期待をしている』んだ。
「──それから、二回目の雪の時、僕と同じ流れで亀沢さんが落ちてきました」
五本の指を折った太平は、どこか確信めいた自信のある目をしていた。
「そんなことが有り得るはずはないんですけど、もしかしたらどこからか元カノが僕のことを見ていて、色々とイタズラをしているのかなって思ったんです。──だとしたら元カノはきっと、あのスカイツリーの頂上にいます」
犯人捜しをぴたりと的中された犯罪者のように、私たちはごくんと息を呑む。
待って。今の言い方だと、まるで最後の文花さんが転んだのまで私たちのせいみたいじゃない!
そんな私の訴えが聞こえていたかのように、太平はスカイツリーから視線を外して、文花さんを振り返った。
「亀沢さんを受け止めようとして、無我夢中で腕を伸ばした時です。今日、元カノがそんなことをしてきた理由が、ようやく分かったんです」
文花さんはもじもじしながら、太平を上目遣いに見ている。
「昔、僕と元カノが出逢ったきっかけは、亀沢さんみたいなシチュエーションで僕が落ちてきたからでした。元カノが僕を、受け止めてくれました」
「ええっ!? それじゃ──」
「どうして元カノが僕を捕まえてくれて、それから好いてくれたのか、受け止める側になって僕も初めて理解できました。この人は私が守らなきゃいけない。私がいるから、この子は幸せになる。そうやって考えることが、元カノ自身の存在意識を支えていたんだと思います。元カノには、それが生き甲斐だったんです」
「生き甲斐……」
「……『ねっ、そんな風に私は君を愛していたんだよ』──そう語りかけられたような気持ちになりました」
そう答えると太平はまた、私たちを見上げてきた。冷たい空気が息に触れて真っ白に輝いて、太平を包み込んでいる。
「もしも元カノが──ちいちゃんがそこにいるなら、伝えたかったです。今まで一度も伝えなかったけど、あなたのことが大好きでしたって。でもそれは、あなたが守ってくれるからじゃない。守ろうとしてくれるその優しい気持ちが、どうしようもなく嬉しかったからだって。──今、あなたがどんな想いで僕を守ろうとしてくれていたのかを知って、僕はとってもとっても、嬉しいです……って」
あれ。
どうしてだろう。
太平の姿がふやけて、ぼやけていく。
ぐす、と鼻が鳴った。宛がおうとした手を、私は代わりに目尻に寄せた。そっちの方が何倍も重傷だった。
ああ。私、泣いてるんだ。
「何じゃ。急に」
神様が戸惑ったように目を白黒させている。涙が溢れていなければ、私だってきっとそんなリアクションをしただろうなぁ。
すぐ隣にいる神様でさえ、放っておけばすぐに涙で見えなくなってしまう。それでも私は懸命にソラマチを見下ろして、そこにいるであろう太平を見つめ続けた。ソラマチを、スカイツリーを彩る赤や緑やシャンパンイエローの光が、星空のようにまたたく墨田区の市街地の明かりが、涙に反射して柔らかくなっていた。
やっと、気付いた。
私は今の今まで、太平のことが心配だからってこの世に残っているつもりだった。でも、本当はそうじゃなかったのだと、今、悟った。
むしろ逆だ。不安だったのは、私の方なんだ。
私は本当に太平から愛されていたのか。頼られていただけじゃなくて、心からの恋人でいられたのか。その確信が、私にはずっと持てなかった。
色々といたずらを仕掛けて、太平を楽しませてあげようとしたのは、私の本心だ。
東京スカイツリー──この想い出の場所で太平が楽しそうにしてくれているのを見ることで、ああ、太平はまだ私との想い出を大切にしてくれているんだな、私は愛されていたんだなって、思いたかった……から…………。
太平はまるで私の返事を待つように、スカイツリーの頂上を見上げたまま動かない。
やめてよ、太平。私はまだ返事をできるような状態じゃないよ。困るよ……っ。
私は声にならない声で叫んだ。その言葉が伝わったのは太平じゃなくて、後ろに座ったままの文花さんだった。
「……横川さん、って呼んでもいいですか?」
文花さんは抱えていたバッグを足元に置いて、おどおどと尋ねて、それからそっと微笑んだ。目元が、光っていた。
「横川さんは、優しいから。きっと今の言葉……元カノさんには伝わってますよ」
そうかなぁ、と太平は後頭部を掻いている。「そうだといいな……。僕、昔は本当に引っ込み思案というか臆病で、元カノに本心を打ち明けられたことなんて一度もなくて。君はそういう子だよねって、元カノもなんか諦めてる感じだったし」
諦めてなんかなかったよ。そうじゃなくて、待ってたの。いつかでいいから、ずっと先でもいいから、待っていただけなんだよ……。
待ちきれずに死んだ私が言えることでもないか、なんて私は苦笑いした。切なくて、涙がもっと溢れてくる。もう私、涙でぐちゃぐちゃだ。
「……それならなおさら、今ので伝わったはずです」
すっと立ち上がった文花さんの目には、何かの決意が見て取れた。──かと思っていたのに、太平と向かい合ったとたんにその決意がにじんでいく。
「そ、その、わたしもさっき横川さんに助けてもらって、すごく……どきってなりました。その前に心がぽかぽかしていた時とは、少し違って、その……嬉しくなりました」
「嬉しく……」
「ちょうどわたし、帰るところだったんです。人に会いたくてここに出てきたけれど、かえって心が冷えただけだったなって思って……。そうしたら不意に雪が降ってきて、見上げていたら、その、落ちちゃって……」
まったく同じセリフを、二年前に目の前の人が口にしたんだよ。私は文花さんに囁いてあげたくなった。けど、もう彼女は知っているんじゃないかとも思った。
「……わたし、いつも自分のこと、情けないなって思います。頼りないよなって思います。だから好きになるなら、腕の力は強くなくても心が強い人がいいなって、ずっと前から、考えてました」
文花さんはそこで、言葉を切った。
「さっきは言い寄ってしまってごめんなさい。でも、同じことをもう一度、言わせてほしいです。────わたし、横川さんのこと、もっと……知りたいです」
そこで、太平がどんな返事をしたのか、私はもう知らない。
涙を拭ったついでに、目をそむけてしまったから。
「驚いたのう……」
神様はまだ下界を見てる。熱心に見ながら、何度も首を縦に振っている。
「いやはや、驚きじゃ。いくら偶然とは言え、キューピッドの矢が本当に仕事をするとは!」
「……どういうこと?」
鼻を啜りながら訝った私に、神様は真顔で答える。
「あのキューピッドの矢な、滅多に成果を挙げないことで知られとるんじゃ。そもそもわしが持っとったのだって、元は一本500,000ゴッドの矢が廉価で叩き売りされとったから買っただけじゃて」
500,000!?
「なんでそんなに高いのよ……」
「……心を操るというのはそれだけ高価な技術ということじゃよ。そもそも恋心と言うはな、互いの気持ちの余裕、それまでの経験、状況、すべてが物を言って初めて誕生するんじゃ。あんな惚れ薬にできることなんぞ、その気にさせて背中を押させることだけじゃからな」
なるほどな。だから私が射った時、神様はあんなにも悠々としていた訳か……。
自嘲気味に神様は笑う。
「話したじゃろ。幸せを掴めるかどうかは人間次第なのじゃ。──じゃが、今回は、ちょうどよいプレゼントになったのではないかの」
──そっか。
私のやったこと、無駄じゃなかったんだね。
私、今日までこの世にとどまっていて、よかったんだね。
ほっとして緩んだ目元から、また涙が流れ出した。
「これ、何を泣いとる」
神様の笑いは自嘲ではなくなっていた。「満足、できたかの。よいなら逝くぞ」
「うん……っ」
泣きじゃくりながら私はうなずいた。力一杯、涙を振り切るくらいのつもりで。
満足した。太平の気持ちが知れて、太平も幸せへの一歩を踏み出した。私の望みは、すべて叶えられたよ。
寂しいけど、悲しいけど、もうお別れだね。私の愛した太平。だいすきな太平。
私は一瞬だけ、後ろを見下ろした。ソラミ坂を下りきった太平と文花さんが、ソラマチの一階のあのケーキ屋さんに入っていくのが見えた。太平は少し浮き足立っていて、文花さんの顔はポインセチアよりも真っ赤だった。初々しすぎて、私が恥ずかしくなるくらいだった。
それを見届けたら迷いがふっと消えて、足取りが軽くなった。
思い出したように神様が、雪の缶が余ってるけど要るかの、なんて尋ねてきた。私は頷いて、それを少し傾けた状態で縁に立てかけた。
これで今夜いっぱいくらい、この街には雪が降り続ける。その冷たさに、その美しさに、太平と文花さんも身を寄せ合ってくれるかな、なんて期待して。
神様に優しく手を引かれて、天にいちばん近いこの想い出の場所から、私は空の世界へと足を踏み入れた。
金色の光に包まれた『世界一のクリスマスツリー』は、まるで私の門出を祝ってくれるように、チカッと航空障害灯を光らせて見送ってくれた。
ねえ、太平。
私は君のサンタクロースになれたかな。
私の胸の中の想い、君を幸せにしてあげられるための機会、ぜんぶぜんぶ、届けられたかな。
もしもそうだったら、嬉しいな。
そうでなかったら、またいつかチャンス、くれないかな。
「……ね、神様。来年もさ、ちらっとでいいからクリスマスイブ、太平のことを見に来てもいい? てか、来れる?」
「うむ、構わんじゃろ。見に行くには300,000ゴッドくらいかかるじゃろうがな、それを支払えば誰でも来られるわい」
「本当にあんたたち金、金、金ね……。だいたいどこで稼ぐのよ、それ」
「うむ。神になれば毎月5,000,000ゴッド、亡者ならば毎月1,000,000ゴッドほど収入がある。何もせんでも支給されるんじゃ」
「……もしかして、あんた使いすぎで金欠だったの?」
「如何にも。二十三日に早めのパーティを開いてな、ちと食い過ぎたのじゃ」
「ちと、って……」
「ま、安心せい。天界は穏やかな世界じゃ。お前さんの愛した人がやって来るまで、思う存分、好きなことをして待っておるとよい。わしらはお前さんを、歓待しておるぞ」
「……うん。そうだね」
私のサンタクロースのお仕事は、まだ、始まったばかりみたいだ。
……これにて、「私は彼のサンタクロース」は完結となります。
唐突にクリスマス短編を書こうと思い至ってから、設定を書き上げ、本文の三分の二を仕立てあげるまで約一日。そこからなかなか筆が進まず、完結が今日になってしまいました。明らかにクリスマスじゃないですね。お許しください……。
本作の舞台は東京都墨田区の電波塔『東京スカイツリーⒸ』です。作中の神様以外のキャラクターは、実は苗字も名前も全て墨田区内の地名を使っています。……そうです、名前もなのです。驚かれたでしょうか←
スカイツリーは毎年、クリスマスの時期になるとシャンパンツリーと呼ばれる特殊なライトアップを点灯し、足元の商業施設でも一斉にイルミネーションその他のイベントが実施されています。プロジェクションマッピングも実際に行われているイベントです。
クリスマスツリーは『知恵の樹』の象徴であるとされているそうです。日本の建築技術の粋を集めて建設されたスカイツリーは、まさに知恵の樹。聖夜にそびえる世界最大のクリスマスツリーを舞台に出来たら素敵だなと考えて、ここを選んでみました。
テーマソング(というよりモチーフにした楽曲)は、FUNKY MONKEY BABYSの「ぼくはサンタクロース」です。切ない旋律がたまらない曲です。
読者の皆様、そして作中のキャラクターたちが、よき新年を迎えられますように。
蒼旗悠
2015.12.28