meteor(☆)
「ゆるり秋宵」内の「sparkle」の二人の話です。
好きです、と伝えたら壊れてしまうのは分かっていた。
でももう、ただのお友達で、真島組のメンバー同士っていうくくりの中だけで優しくされるだけじゃ、満足出来ない。
ルイくんのとくべつになりたい。レースよりも毛糸よりも刺繍よりもビーズよりも、いちばん大事に思って欲しい。
卒業してからもぼちぼち遊んでもらっている間、心はそんな風に、とびきりわがままに肥大してた。
いつから好きになってたんだろう。友達から好きな人へシフトした時期を明確に示すのは難しい。気が付いたらあてもなくリリアンを長ーく編んじゃったみたいに、『いいなあ』だとか『優しいなあ』だとかがたくさんたくさん連なって、引き返しようもなく好きになってた。
なのにルイ君ったら、全然私に靡いてくれない。キスしちゃうぞ、なんて思うけど、悲しげな顔で『そんな事、されたくなかったわ』なんて云われたらやだからしない。しないけどさあ。
建物のドアを、カフェの椅子を、あの人は私の為に当たり前に引く。
それは彼の習性で、別に私が特別扱いされてる訳じゃない。分かっていても心はいちいち喜んじゃうし。
ルイ君は私のマフラーを『曲がってるわ』って気軽に直す。いつだって仕事で忙しくしているくせに『気分転換に作っちゃったのよ。もらってくれると嬉しいんだけど』なんて、お手製のストールやらイニシャルを刺繍したハンカチやらを他意なくくれる。こんなにまめまめしくされて、嫌いになる隙なんかどこにあった? ――でも、つけこむ隙もなかった。私がいいかげんに巻いたマフラーを直す時に、うっかり首に触れる、なんてニアミスをルイ君はしてくれない。なのに、会う時とバイバイする時、必ず交わされるハグ。信愛一〇〇パーセントでやましさはない、真っ白なガーゼみたいな優しい感触と清潔さ。する理由は、真島組の時から、よくハグしてたから。たぶんそれだけ。
そうやって人を有頂天にさせたり落ち込ませたりするじゃなく、ルイくんは私のこともよ――く見てくれている。
会う日の服やアイテムを褒めるのは当たり前。仕事で指先にこしらえた新作のネイルを『素敵ね』って気付くのも忘れないし、私がちょっと寝不足で疲れた顔をしてると『夜更かしはだめよ』ってたしなめてもくれる。
向こうの職場はブランドのメゾン(しかもレディース)だから、どうしても仕事柄女性と接する機会は多い。綺麗かつ美意識の高い人の多いその環境に、私がどれだけヒヤヒヤしてるか、ルイ君は知らない。こっちも元モデル志望で現ネイル店所属だから、美意識は低い方ではないだろうと自負しているものの、それだけじゃ揺るぎない自信になってはくれない。
定期的に「職場とかでモテるんじゃないの?」って探りを入れてみても、「僕は彼女らの長女みたいなポジションだから、向こうもこっちも今更どうにもならないわね」って肩をすくめられておしまい。
本当はそうじゃないの知ってるよ。私はわざわざ云ってあげたりしないけど、ルイ君のお店へ迎えに行くと、すんごい目つきで睨んでくる子だって、いるんだから。負けてあげるつもりは、もちろんこれっぽっちもない。
私はわざとその子の前で、ルイ君とハグを交わす。気軽に触れて、専門学校仕込みのモデル歩きを見せつける。お店前の歩道がランウェイみたいに。
ルイ君は、そのたびじいっと見つめて、「……綺麗ね」って、しみじみ静かに褒めてくれる。
そんな時はいつも「ありがと」って、わざとポーズキメキメでおどけちゃう。そうすると、ルイ君は「やめてよ、人前で笑わせないで」って小声でクレームをつけてくる。だって、今でもルイ君は私がモデルの道を諦めたことで、私より心を痛めてるって分かる表情を変えたいんだもん。
そんなの、当の本人はとっくにケリがついてるのに、――この人ったら。
底なしのその優しさが、私だけのスペシャルなものだったらいいのに。
意識されてないんだな、っていうのは、今日、わざわざバレンタインにお茶の時間を約束してきて『友チョコ交換しましょうね!』って念押しされちゃってるから、さすがに理解してる。
レースや手刺繍をこよなく愛するルイくんは、見た目も恋愛の嗜好も実はストレートな男性だ。だから中身を知らないまま初めて会う人や道で私との会話を聞く人は、みな一様にぎょっとするのがお約束。
どうしてあの口調? とかねがね疑問だったんだけど、日本語の師匠がお母さんだったからと仲良くなったのちに聞いて納得した。なんでも、幼少期はお父さんの母国であるイギリスで暮らしていたのだそう。
「日本に帰ってきたら話し言葉で笑われたから、わざと乱暴な言葉遣いにしてた時期もあったのよ。でも、そうすると心ががさがさして、なんだか落ち着かなくて」
結局すぐにやめちゃったわ、と笑うルイくんは、強い。
「じゃあ『ルイ』ってミドルネームなの?」
「ううん、一塁二塁の『塁』なの。母が野球ファンでね。僕はスポーツが全然得意じゃないから、ずいぶんガッカリしてたわ。今はバスケプレイヤーとお揃いって、喜んでるけれど」
「素敵なママだね」
「そうなのよ。僕の言葉遣いだって、レースや刺繍が好きなのだって、一度も咎めたりしないでくれたし……もう少し、運動が出来ればよかったわ」
「ルイ君がスポーツの人じゃなくてむしろよかったよ」
「どうして?」
「野球してたら、こんな綺麗でよく動く指じゃなかったかもしれないから」
それはもちろんお世辞なんてこれっぽっちも含まれてないけど、ルイ君は「……ありがとう」ってはにかんで、指をぎゅっと結んでしまう。
待って、閉じないで。
手放した風船を慌てて掴むように、とっさにその手を引き寄せた。ここはルイ君のお気に入りのカフェなのに、とか、お友達のふりはどうした、とか、頭の片隅でつっこみまくりながら。
私は、この浅はかな行動で、好きな人兼大事な友人を、失くしてしまうかな。
それでもいい。
そんな風に大胆になれる自分なんて知らなかった。向う見ずな自分は、もう立つことのないランウェイに置いてきた筈だった。
まだ私の中に情熱があるなら、それはこれから先にあるかもしれないかなしい未来と引き換えにしたって構わないと、強がりじゃなく思った。
大人しく捕まったままでいてくれる手に、すり、と頬を寄せると、「だめよ」と小さく咎められた。
「外だし、里央ちゃんは女の子だし……僕はこれでも男だもの」
「だからだよ。私、無害な男友達としてルイくんを好きな訳じゃないよ」
「うそでしょ」
「どうしてよ」
「そんなの、ありえない……」
「なんで」
「だって、里央ちゃんには真島君が」
「私が好きなのはあいつの服であってあいつ本人じゃないの。それに」
何百回繰り返したか分からないその言葉をまた口にして見つめれば、当惑している男の子と目が合う。
はしばみ色の瞳。最初、カラコンだと思った。でも違う。生まれたままの明るい髪色と瞳、それからそばかすの散る白い肌。夕映えに染まったようにあざやかなほほ。
「私が好きなのはルイくんと、ルイくんの作る物、両方だよ」
繊細で可憐。でも作りはしっかりしてる。ルイくんそのものだ。
「好き」
きちんと口にしたら、もうルイくんは今までどおりに接してくれないだろうって分かってた。でも、それでも伝えたいこと。
「ルイくんが私に興味ないの分かってるけど、それでも好き」
おそるおそる顔を見る。よかった、嫌がられてはいないみたいだ。そのかわり、珍しく思いっきりぽっかーんとされてしまった。しかも。
「うそ……」
「じゃないんだってば」
どうして信じてもらえないかな。
「でも、あんなに二人仲が良くて」
「あんなに気の合わない人間もそうそういないけど私」
未だに会えば二分で喧嘩が勃発するのを仲がいいって思うのか。暢気な人だな。
「だって、真島君、卒業する時……」
「……うん。告白されたよ」
いつものように猫背で、ぶっきらぼうなまま。パーカーのポケットに手をつっこんで、『俺の女になれよ』って、不遜な物言いでテレを隠して。
「でも、もうその時には私とっくに、ルイ君を見てたから」
そう云うと、ルイ君は私の言葉をようやく信じてくれたっぽい。
こちらを見て、深呼吸するから私もつられて深く息をした。そしてもらったお返事は。
「僕は、輝いてる女の子が好きなの」
「……私、輝いてないから、駄目?」
「……里央ちゃんが鈍感だって事がよーく分かったわ」
? マークを飛ばしまくってたら「いつも僕云ってたじゃないの……」と繋ぎっぱなしだった手を今度はルイ君が持っていって、そのまま顔を覆って嘆かれてしまった。
「僕、『輝いてる女の子』って里央ちゃんの事を云っていたのだけど」
「……それってつまり、」
失恋だと思い込んでた私が意気込むと、ルイくんはいつものようににこっと笑ってくれた。
「好きです。僕と付き合って下さい。――ダメモトで伝えようと思っていたの。今日は、バレンタインだから。意気地がなくて、約束する時『友チョコ』なんて云っちゃって、ごめんなさい」
そう云うといつも持っている大きな手提げから一輪のピンクのばらを差し出されて、終わる筈の片恋は、なんと大逆転。
――おめでとうございます。率直に今のお気持ちを。
頭の中ではじまった、ヒーローインタビュー。いやいやいや、まだこの夢のような現実をどうにも受け容れられていないんですが。
とりあえず場所を変えましょ、と云われて、カフェを出る。わ、今まで拗ねちゃうくらい徹底的に触れてくれなかった人が、私の手を躊躇なく引いてる。ルイ君に繋がっている方の手首には、紙袋。中に入っているのは、ルイ君からいただいたバレンタインのチョコと、ピンクのばら。
『かわいい人』『あなただけ』という意味を持たせた(とは後から聞いた)その一輪の花が、歩くリズムでゆらゆら揺れてる。それを眺めながら出した声は掠れてた。
「ほんとに……?」
だって、ちっともそんな風じゃなかった。私も上手に隠してたと思うけど、ルイ君はそれ以上だ。なので、せっかく成就したのに、今度は私の方が、現状を信じられない。
そんな私に、ルイ君は前を向いたままきっぱりと云った。
「里央ちゃんが好きなの。他の誰でもなく。今日こそ云うって決めててとっても緊張もしてたけど、里央ちゃんに出し抜かれちゃったわ」
「ご、ごめん……」
「いいのよ。……そんなところも、好き」
そう云うと、繋いでいない方の手で顔を隠して「見ないで」と照れてしまう。ああもう、この人はなんて。
かわいいとか好きとかいろんなきもちが固まったら、ハグになった。ぎゅーっとしたまま路地に引き込む。ニットの胸元におでこを付けて、「帰したくない」と唸る。
あら、これって男女逆? でも、だって本当にそう思うから。
ルイくんは予期せぬ私のアクションにちょっとフリーズしたのち、落ち着きを取り戻してから「不意打ちは卑怯よ」って武士みたいなこと云ってきた。そのくせ、ハグした私は離さないんだから嬉しい。
チームで動いてた時は、真島と私のお母さんみたいに優しくしてくれた。怒るとめちゃくちゃ怖いのも知ってる。モデルになるっていう夢を諦めた時も、あくまで友人として紳士的にハグしてくれた。今と全然違うね。
胸元から見上げると、ふ、と笑う。その時、ルイくんが細めた目は、流れ星がちかりと瞬くように光った。それを見て、私の心はまたぐんとルイ君に向かって軌道を描く。
今、この瞬間に起きた全てを覚えておきたい。明日も明後日も、半年後も一〇〇年先も。
時間は私の手からどんどん滑り落ちていく。離れて行ってしまう。
堪らない気持ちになって、背伸びしてキスを仕掛けた。でも、あともうちょっとのところで届かない。困っていたら「バカね」と囁かれた、と思ったら真上からキスが降ってきて、唇のすぐ脇に着弾した。
「続きをしたいから、場所を変えましょ」
余裕のある風の言葉は、焼け付きそうな溜め息と共に漏らされたから、素直に「うん」と返した。
「ルイ君、駅前のラブホ行こう」
「云いにくい事をさらっと云ってくれるわね……」
ほんと敵わない、と苦笑する人の腕にしがみ付いて早足で歩きつつ、「どっちが!」と噛みつく。
いつだって、私が欲しい言葉を、とても云えないような言葉を、惜しみなく与えてくれるくせに。
だから、ジェントルなルイ君が云いにくいことはね、これからも私が云うよ。『いちゃいちゃしたい』とか『お泊りしようよ』とか。
その代わりに、愛の言葉は任せる。英語で囁かれたら分かんないかもだけど、それも一つひとつ意味を教えて。
そうねだると、ルイくんはきらきらしたたくさんの『好き』を流星雨のように惜しみなくくれた。そして、てのひらから零れそうなくらいのいろんな愛の言葉で早くもキャパオーバーを迎えそうな私に、「これくらいで根を上げられちゃ困るわ」と、はしばみ色の目を細めて、駄目押しにもう一つ囁いた。