瞳の中はもっとキラキラ(☆)
「ゆるり秋宵」内の「扉の向こうはキラキラ」の二人の話です。
長かった。うそ。短かった。
お兄さんが、地下の受付で構ってくれたから。
地下じゃなくても、構ってもらえたから。
今日、やっと高校を卒業した。さみしさとわくわくは半分くらいで、でもちょっとだけわくわくが勝ってる。まだ高校生でいたい! っていう子もいるけど、私には。
『早く全力で口説けるトシになれよ』って、卒業を心待ちにしてくれてた人がいるので、やっぱりわくわく。
卒業式の後いったん家に帰って、私服に着替えてから仲良しの友達とカラオケ行って、夜にお兄さんの待つ(うそ。待ってない。仕事してるだけ)クラブの受付を弾む足取りで訪れた。階段を降りる足音で判別されてるのか、この頃はもう「来たよー」って云うより早く「いらっしゃい」と声を掛けられる。相変わらず、ぞんざいな言い方だけど。
「ねえ、今日はいいものあるよ」
「有価証券? 小遣い? 飴ちゃん?」
いっちいち憎たらしい男だね。
「お小遣いはないけどコレ」と、卒業証書の入った筒を見せると、彼氏になっても普段わりと塩対応の人が「おお」とちょっとだけ嬉しそうな顔になる。
「……これで全力いける」
そうなんだ、とのんきに感心していたらあれよあれよという間にお兄さんは別の人にカウンターを任せて、私の手を取って階段を上がってしまう。んん?
「今日、仕事朝までって云ってなかった?」
途中で扉の中に入ってカウンター業務って、確かに聞いた。電話越しに聞く声は優しい――、なんてことまったくなくて、あくまでブレずに通常営業の塩彼氏から。
『明日、夜、会いに行ってもいーい?』
電話を掛けた時、中のカウンターでお酒でも作ってたんだろう、こっちにまでガンガン響きまくりの音楽に負けないようにしゃべったら『いーけど朝までのシフトでカウンターも入るから、あんま構えねーぞ』って。
『そっか、じゃ友達と遊ぶからいいや』
卒業式ってちょっととくべつなイベントな気がして、でもお兄さんはそうでもないっぽい。三月の半端な日付、週ナカのその日が何の日かなんてちっとも意識してなくて、どうやらただの平日扱いだもんね。せめて高校は出てもらわねえと、って言ってたくせにさ。
『卒業、おめでとう』の言葉とか花とかディナーとか用意してくれるような人じゃないって知ってるからそういう期待はしてない。それでもちょっとでも会えたら嬉しかったのになって、残念に思ってたら。
『なんか用か、ど平日にわざわざ来たがるなんて』と少しだけ心配そうに聞いてくれた。二十歳未満は扉の中に入れないって分かってて突撃してた時はめちゃくちゃ鉄壁の守りだったくせ、こうして大人しく引けば引いたで気にするの、なんなのほんと。
面白いひと、と思いながら『うん、明日卒業式だから、会えたらいいなって、』と云いかけた私の言葉に『あっそ。忙しいから切るぞ』って被せられて、塩モードのまま通話を切られた。
お兄さんの仕事中に、わがまま云わないようにしてるつもり。だからいい彼女ぶりたい私は『分かった、じゃあお仕事がんばってね』、『じゃあまたね』で電話を終わらせようとしてたのに、それ聞かないでぶっちぎらないでよー! って、昨日の夜はぷんぷんしちゃった。
まさか、ちゃんと聞いててちゃんと時間作ってくれるなんてね。どうしたのお兄さんバグってんじゃないの、とか云いたくなる。
うそ。云わないよ。覚えててくれて嬉しいもん。
ニコニコして、繋いだ手をぶんぶん振ったら「分かりやすいやつ」って、『ヘっ』て顔した。そうされたって平気だよ。
「お兄さんが分かりづらい分、私が分かりやすくしててちょうどいいの!」
「あっそ」
そんな憎まれ口叩くくせに、繋いだ手は離さないんだから。
それにしても、春が近いなんて信じられないくらい、夜はまだ全然寒い。触れたものをスパスパ切っちゃいそうに冷たい空気の中、私はコートもマフラーももこもこで、なのにお兄さんは夏以外は年中着ているぺらぺらのモッズコートで、なんでこの人こんなんで平気なんだろ。
「寒くないの?」
「寒いに決まってんだろ」
「でもあったかい服装しないじゃん」
「俺はそういう雪だるまみたいなかっこはヤなんだよ」
「誰が雪だるまじゃい!」
こんな会話なのに、楽しいのもほんとなぞ。
うそ。なぞじゃないよ。
私がお兄さんを好きだから、楽しいの。
フンフーンて鼻歌唄いそうモードな私を見ないで前を向いたまま、坂を上りながら「今日、」ってお兄さんが云う。
「卒業式つってたろ」
「うん」
「だから替わってもらった」
「うん?」
ああ、『なんで仕事って云ってたのに私と出られたか』の答えねオーケー。それは分かるけど。
「どこ行くの?」
「どこがいい?」
「お兄、」
「あーもうそれナシな、ちゃんと呼んで。知ってんだろ」
分かってるけどそんなの恥ずかしいじゃん、という苦情は聞こえないフリをされた。
「どこ行く? ファミレスとか漫喫とかはオススメしかねるけど」
「なんで!」
だって、と笑う唇は、『へっ』とも『イヤーな顔』とも違う。
「全力で口説くから」
耳元に声を流し込まれて、聞きなれたはずのそれは間近で聞くとまた違う魅力があるってことに気付く。
赤い顔、どうか気付かれないで。上手に夜にまぎれててよ。
どこいく? って聞きながら、お兄さんの足はもう場所を定めてあるみたい。
でもそれって、すぐ近くにあるホテル街とは別方向で、私の頭は彼の全力っていうのが何かをまだ分かっていない。
「あの、……ねえ」
苦しみ紛れのそんな呼び方を、いつもの『へっ』っていう笑いで受け止めてくれるこの人は、もしかして、……もしかしなくても、おとなな人なのかもしれない。
「なんだよ」
「丸山町、行かなくていいの?」
「俺を、彼女が卒業した瞬間にラブホに連れ込んで処女を奪うサイテー彼氏にしたいなら行こうぜ」
「そーゆうことじゃなくって!」
もう、どうして話をまっすぐにしてくれないかな。むすっと怒ってる間に、たまに二人で来る小さな公園へついた。冷たいベンチにならんで座る。
お兄さんが、前を向いて猫背で座って、でも手は繋いだまま、独り言みたく云った。
「お前はかわいいよ」
「……アリガト」
「でもバカだからテキトーに優しくすれば情と恋愛感情ごったごたにして簡単に体許すだろうなって思ってる」
「失礼な!」
「でもそうだろ、今日だって俺が『もういいよな?』って云えばいいも悪いも分かんねえくせに『うん!』とか云ってたろ?」
――それは、そうかも。
「それじゃつまんねーしヤなんだよ。せめて、店で毎週俺の二十歳センサーをかいくぐって潜り込もうと無駄に頑張ってた時とおんなじくらいの気持ちがそっちにもないと」
「……めんどくさい人だね」
「実はそーなんですよ」
「てか、無駄って云った! 人の涙ぐましい努力を!」
「無駄極まりねーだろあれは」
無表情で云ってのけたくせ、目が合うと優しく笑う。繋いだままの指がウインドウチャイムを鳴らすようにしゃらんしゃらん遊ばれて、なんだかすごくくすぐったい。
「おままごとみてーな付き合い方はいったん仕舞いだ」
「うん」
ほら分かんねえくせに即答しやがる、というボヤキはスルー。だって、待ってたもん。待ちわびてたんだもん。
扉の向こうに行けるのは二十歳になってからだから、まだまだ先。でも、一〇時を待たずに家に帰されるのとか、小さい子にするみたいな、おでことほっぺへの優しいキスだけなのは、もうやだよ。
もっと本気をちょうだいよ。なにが本気なのか全力なのかは分からないけど、手加減はもういりません。卒業したんだから。
そんな気持ちで見つめてたら「コドモのピュアーな目力怖えーよ」とまた憎まれ口を叩かれた。コドモとか云わないでって抗議しようと思ったのに、繋いでた手をぎゅっと恋人繋ぎにされたらどうでもよくなった。単純?
「これから、少しずつ慣れるようにあちこち触ったりするけど、嫌な時はいやって、怖い時は怖いって云えよ、こっちに我慢も遠慮もすんな」
「うん」
「照れくさいだろうけど、俺とのことで親にあんま嘘つくな、一回つくと次もつくようになるから」
「わかった」
「なるべく防ぐけど、酔っぱらいのキス魔は男も女もある程度客にいるから、顔とかシャツとかに口紅付いてても抱きつかれて匂い移っててもあんま怒んな」
「それはコドモじゃなくても無理だな多分」
私の返事に『へっ』って笑う彼氏。
てか、全力で口説くっていうより、これからの心構え、みたいな。
それってつまりこれからは今までよりもっとちゃんと付き合おう、って、そう云われてるみたいな。
あそびでもまぐれでもなく。
――わー、なんか照れてきた。
顔を片手でパタパタ仰いでたら、「いちいち照れんなバカ」って、塩なはずの彼氏がくしゃっと笑う。その笑い方も顔もちっともジェントルじゃないし、イケメンじゃないしむしろ目つき悪いし。なのにどうしてこんなに、ミラーボールみたくキラキラして見えるんだろう。扉の向こう側にあった手の届かない眩さが、いま、この人のちいさな黒目の中にぎゅっと凝縮されていて、私は目が離せない。
あぁ、好きだ、と思った。
塩対応で憎たらしいくせに実はとても紳士でいてくれた『お兄さん』の好ましい部分とは違う、今日はじめて見せてくれた男のひとの顔。今日までそれを見せるのをわざわざ足踏みして待っていてくれた。
お兄さん、とはもう呼べない。慣れ親しんだその呼び名を禁止されたからじゃない。
ねえ、なんて曖昧にも呼べない。だって呼びたい。呼んでよくなったんだもん。
「一海さん」
がんばって勇気を一粒残らずかき集めて、ようやくそう口にした。そしたら、ふわっと優しい顔して、「なんだよ、くるみ」って超ナチュラルに、――たい焼きか何かが入った紙袋を無造作にばさっと渡すみたいに、当たり前に呼び返されて猛烈にくやしくなった。
「なんて憎たらしい……」
「やっと人のことちゃんと呼ぶようになったかと思えばその言いぐさかよ」
『へっ』って笑って、伸ばされる手。あ、鼻つままれる、って思ったら。
「……何すんの」
「キスして『何すんの』って云われんの初めてだな」
「ほんと、憎たらしい!」
座ったまま地団太踏んで悔しがってしまうよ。なによなによ、私なんか初めてだらけだよ、彼氏をかっこいいって思っちゃったのも、男の人を名前で呼んだのも、名前で男の人に呼ばれたのも、大事なものを触る手付きで触れられて、キスしたのも。
一海さんの、キスにまつわるたった一つの初めてだって、悔しいけど嬉しいんだよ。
どんな顔してどんな気持ちでいたらいいのか分からなくて背を向けた。すぐにのし、と肩に腕がのっかる。
「重たいよ」
「こっち向けよ寂しいだろ」
「そんなこと思ってないくせに」
「思ってるよバカ」
「いちいちバカって云わないでよ」
「じゃあいちいち拗ねんなよ」
そんなの無理、ってとんがった口は、後ろからのばされた一海さんの指先でとんとんとん、って小さくノックされれば、溶けてふにゃんと柔らかく笑った。そしたらとんとんしてた指が、唇を上下に挟む。
なにすんの、っていう抗議さえ、後ろあたまに落とされたキスで立ち消えた。燃え盛る花火をじゅっと水に漬けたみたいに、なんてインスタントな私。
ねえ、これが、『全力』? ――いや、きっと違う。
たぶんもっとずっと、私の想像よりうんとスペシャルなんじゃないかな。今日はその予告編だ。口が悪くて塩でちっとも分かりやすくないけど、強引なことはしないから、少しずつ全力でくどいてくれるんでしょ?
アドベントカレンダーを、まいにち一枚ずつぱかって開くみたいに、私を開いて。
ちいさな扉の向こうに待ち構えているものが何かは分かんないけど、キラキラしてるに違いないね。一海さんがくれるものだからね。
なんて思いつつ、初めてかつ慣れないことで頭はすぐにいっぱいいっぱいになる。不安もある。これからどうするの、とか。
でも、怖がらなくていい。
一海さんが『へっ』って私に笑いかけてくれるなら、それはどんな高級なディナーよりも素敵な未来に行けるはずだから。
「かずみさん、すき」
逃げるように早口で云うと、後頭部にキスを落としてた唇が、はあ、と熱いため息を髪に漏らした。
「いちいちかわいくて死ぬだろ俺が」なんて、どこまで本気か分かんない台詞と、後頭部に密着したまま喋る唇。肩から背中に伸し掛かってた腕(と、唇をいたずらしてた指)は、ふわんと私のお腹の前で組まれた。
「ちゃんとキスしてーなー」
「……」
「顔見てーなー」
「……」
「くるみ」
「……!」
いちいちときめいて死ぬのは私の方だってば。
ゆーっくり、ゆーっくり振り向いてたら、「遅せーよ」って笑った彼氏が大きく手を広げて待ってた。その首根っこにかじりつく勢いで至近距離から抱きついて、ジーンズの太腿の上によじ登った。「重っ」とか云わないの。ほんとデリカシーないんだから。でも分かりにくく優しいとこがチャームポイントだってこと、他の誰にも気付かれたくないな。振り幅があるほどギャップ萌えしそうだし。マニアってけっこうどこにでもいるし。
ね、いつまでこうしていられるかな、私たち。
一生一緒、なんて無理って分かってる。なのに『ずっと』って望んでしまうのはどうしてなんだろうね。なんだか切ない。
さっきのキスは、煙草の味がした。でももう薄れちゃった。苦いのヤなのに、早くもう一度して欲しい。
「一海さん、」て甘さの隠せない声で呼んで目を覗き込んだ。私が映り込んでる。笑ってる。
このまま自分を閉じ込めちゃいたい、と思ってじいっと見つめてたら「……そういうとこが怖えーよ」って、真面目な顔した一海さんが、向かい合うかたちで跨いでる私の腰をぐいと引き寄せて、下からキスをくれた。うわあ、二回目のキスだ。
少しかさついた唇。離れ間際にぺろりと舐めたら、「お前なあ」って怒った声で、あっという間に三回目が来た。舌を根っこから食べられちゃうような勢いで四、五、六回、……もう数えていられない。
ちゅう、と慣れない唇と舌を合間合間に返せば、「どヘタクソ」なんて悪態つくくせに、一海さんはちっともキスをやめなかった。楽しそうに、おいしそうに。
いとおしそうに。
いっとき雨がやむみたいに唇が離れたタイミングで、すき、って、さっきよりも照れずに伝えたら、声も丸ごと飲み込むみたいな口づけさえ、くれた。
「あ――まじ怖ええ」
唇がじんじんと腫れあがる(見てないけど絶対そう)ほどキスしまくった後、『冗談じゃなく重くて限界』なんてひどい言葉でベンチに下ろされると、一海さんがいつものそれをまた口にした。
「怖いなんて思ってないくせに」
「思ってるっつーの」
「どこが!」
人のことさんざんコドモ扱いしといて。またどうせ、煙にまくみたいな憎たらしいことを云うに決まってる。そう決めつけた私の耳に聞こえたのは、意外にも静かで正直な声。
「……くるみはまっすぐでイエスとノーしかカードがないから、今こうやって『一海さん好き好き超あいしてる♡』ってグイグイ来てるのが、好きじゃなくなった途端ぜんぶフッと消えるかと思うと怖ええんだよ」
「……なに今からそんなこと気にしてんの」
「お子様には分からんだろうなあ」
「てか『一海さん好き好き超あいしてる』とか……!」
「んー?」
ニヤニヤしやがって。見てろよ。私の剛速球のストレート、ちゃんと受け止めてよ。
「思ってる、よ」
ああっ、ドヤ顔で云ってやりたかったのに、やっぱり土壇場で照れてしまった。
チクショウ、塩彼氏は『へっ』てしてるにちがいない。勝手にムカついて、とんがり口でじろっと見やれば。
「……だから、怖ええよそういうとこが」
彼氏は、私に近い方とは反対の手で顔の下半分を覆うように、掌を口にやってた。照れさせることができて、満足です。今日のところは。
実にいい気分だったので、とてもおおらかに提案してさしあげた。
「明日からずーっと毎日『好き』って云ってあげようか?」
「打算的なのは萎える、毎日やられたら慣れる」
ほんっと、憎たらしい。
そう思ってるのは本当なのに、やっぱり私は一海さんの小さな黒目の中に、またキラキラを見つけちゃうのでした。




