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第13章 幕間 - 宮下の観察日記

 総務部二年目、宮下亮太には、この数か月、密かに続けている研究がある。


 題して「白石さん定点観測」。研究ノートは、スマホのメモ帳である。


【五月十日】

 熊沢さんの送別会。白石さん、趣味を聞かれて「散歩(駅から家まで)」と回答。座敷の空気が死んだので、とっさに「仕事が趣味みたいなもんですから!」とフォローを入れたが、あれで正解だったのか今も自信がない。白石さんの顔、フォローされたのに、なんか、遭難者みたいだった。


【五月二十六日】

 異変その一。白石さんが持株会の拠出を月十八万から五万に減額したらしい(担当の先輩から聞いた)。月十八万て。そもそもそっちに驚いた。あの人、何を食べて生きてたんだ。減額理由を聞いたら「人生の設計図を描き直す」とのこと。壺を疑ったが、壺にしては金の流れが逆である。壺は買うものであって、積立を減らすものではない。


【六月上旬】

 異変その二。白石さんが、定時で帰った。

 繰り返す。白石さんが、定時で、帰った。

 フロアに走った動揺を記録しておく。田淵課長「白石、体調悪いのか?」、経理の大場さん「ご不幸があったんじゃ」、庶務の川本さん「彼女よ、絶対彼女」。定時退社一回で葬式と交際を疑われる男、白石拓真。日頃の行いとは恐ろしい。

 なお総務内の現在の仮説は次の四つ。①宗教 ②恋人 ③転職活動 ④実は社長の隠し子で帝王学を学び始めた。おれは⑤を提唱したい。⑤宇宙人と入れ替わった。根拠:最近、朝の白石さんの目が開いている。以前の白石さんの朝の目は、開いてはいるが、開いていなかった。


【九月下旬】

 異変その三。白石さんが弁当を持参し始めた。しかも、うまそう。今日の弁当は鶏むね肉の何からしいが、パサパサしてないらしい。「塩と砂糖の水に漬けると保水性が」と語り出したので、途中から聞き流した。すみません。ただ、語っているときの白石さんは、ちょっと楽しそうで、それが一番の異変だった。

 川本さんの「彼女説」が勢いを増す。「弁当は女の影よ」とのこと。おれは反論した。「川本さん、あの人、昼休みに煮干しの在庫の話をしてたんですよ。彼女の影というより、煮干しの影です」


【十月・詳報】

 弁当事件について、詳しく記録しておく。白石さんの弁当は、日に日に進化している。最初の週は「白飯・卵焼き・ウインナー」という小学生の遠足構成だったのが、先週は「鶏むねの塩麹焼き・小松菜のおひたし・自家製の何か茶色いやつ(うまいらしい)」になっていた。恐るべきは卵焼きで、断面の層が週を追うごとに増えている。おれは見た。昼休み、白石さんの弁当を覗き込んだ川本さんが「白石くん、これ、だし巻き? 巻いてるの? 自分で?」と三連続で質問し、白石さんが「巻くのが楽しくて」と答えた瞬間を。巻くのが楽しい。三か月前、趣味を聞かれて遭難していた人の台詞ではない。人間は、変わるときは、卵焼きから変わるのかもしれない。


【十月八日・重要】

 歴史的事件につき、詳細に記す。

 十七時二十分、田淵課長がいつもの付箋書類を持って白石さんの席へ。「白石ぃ、これ明日の朝イチまでにいける? 白石しかいないんだわ」。ここまでは、四季の移ろいのごとき、いつもの光景。

 白石さんは書類を見て、顔を上げて、言った。

「課長、すみません。今日は定時で出ます。予定があるので」

 ──フロアの時間が、止まった。

 コピー機だけが呑気に紙を吐いていた。大場さんはマウスを持ったまま静止し、川本さんは湯呑みを口の手前五センチで停止させていた。おれは見た。断られた田淵課長の顔を。あれは、自動販売機にお金を入れたらお釣り口から手紙が出てきた人の顔だった。

 しかも白石さんは、代わりの担当と手順まで示して帰った。断ったのに、仕事は前より整理されて残った。なんだそれは。そんな断り方が、この世にあるのか。

 その夜、おれは家で考えた。おれは白石さんを「断れない人」だと思っていた。でも違ったのかもしれない。あの人は「断り方を知らなかった人」で、それは、おれ自身のことでもあるのではないか。


【十月末・補遺】

 廊下ですれ違いざま、白石さんに「宮下、社食インスタ、構図が良くなったな。俯瞰と斜め四十五度、使い分けてるだろ」と言われた。見てたのか。しかも、分析されていた。おれのフォロワー三百二十人の中に、白石さんがいた。なんだろう、この、じわじわ来る感じ。おれが観察していたつもりの人に、観察されていた。定点観測、まさかの相互監視である。


【十一月中旬】

 白石さんの作る資料が、明らかにおかしい(良い意味で)。新システムの説明資料、外注のデザイン会社が作ったのかと思った。情シスの人も「外注したら二十万」と言っていた。あと、廊下で白石さんが鼻歌を歌っていた。曲は不明。音程も不明。だが鼻歌は鼻歌である。五月の白石さんの廊下は、無音だった。

 最近、おれは自分のことを考える。おれには何があるだろう。歓迎会の幹事と、社食のインスタ(フォロワー三百二十人)くらいだ。白石さんと五月のおれの距離より、今の白石さんと今のおれの距離のほうが、ずっと遠くなった気がする。焦る。でも、あの人が半年で変われたなら。

 よし。決めた。今度の昼休み、白石さんに相談してみよう。副業のこと。自分に何ができるのかってこと。

 ただし最初に、一つだけ確認させてもらう。


 ──白石さん、ほんとに宗教じゃないですよね?


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