第59話:エルフの男
「私の名はシュラグ、復讐に囚われたただの哀れな鬼だ」
エルフの男──シュラグはそう言う。
その目は疲れ切り、絶望した男のそれだ。
「俺はヴァニだ。こっちの子がノエル、それからセスカ。それと──」
フィリアを紹介しようとして、俺の思考は真っ白になった。
彼女は、いつの間にか姿を消していた。
「もう一人いるのか?」
「ああ、さっきまではそうだった。だが……」
「あまり意味のない嘘を吐く必要はない。私が観察していた限り、君たちはずっと三人だった」
そう言われ、更に混乱する。
「そんな! フィリアちゃんは確かにここに──」
「…………」
喰ってかかろうとするノエルを止め、俺は静かに首を横に振る。
今は話をややこしくしない方がいい。
目の前の男は武器を持っていて、返答次第では牙を剥いてくる可能性があるからな。
「それで、君たちがここへ来た目的はなんだ? 仲間がどう……とか言っていたが」
「ああ、その通りだ。俺たちは腕の立つ弓士の噂を聞いて帝都からここまで来た。アンタがそうなんだろ、シュラグ? 頼む。その力を貸してほしい」
俺はそう言って、シュラグに頭を下げる。
彼は暫くの間無言でそれを見つめていたが、やがて諦めたようにため息を吐くと、構えていた弓を背中に収納した。
「とりあえず、ついてきたまえ」
森の奥へと歩いていくシュラグの背中に、俺たちはついていった。
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彼に案内された先は、森の中に佇む小屋のような一軒家だった。
小屋の壁には皮を鞣す台が置かれ、軒先には獲ってきたであろう兎などの獲物が吊るされている。
「質素な場所ですまないが、歓迎しよう」
「感謝するよ」
「ありがとうございます」
「…………」
招かれて小屋の中に入ると、そこは思っていたよりも広かった。
日の当たるリビングに通され、テーブルに着く。
シュラグはキッチンに立ち、俺たちに背を向けながら言った。
「話は聞こう。だが、それだけだ。すまないが、茶を飲み終えたら帰ってくれ」
そこから感じるのは明確な拒絶。
いや、話を聞いてくれるというだけでも彼の元来の優しさは伝わってくる。
復讐に狂った鬼……と自分で言っていたが、それがどれだけ、今の彼の人格を変えてしまったのだろうか。
「へぇ、これは……!」
「美味しい……!」
出されたハーブティーに口を付けると、それはまさに絶品だった。
渋みのある茶葉の香りに、それでいてどこか爽やかな上品な香り。
それが鼻に突き抜けて、最後に香るのは優しい緑の味だ。
セスカも目を丸くしながら飲んでいた。
「これは……マディアが入ってるんですか?」
「ほう、良く気付いたね。その通りだ」
マディアというハーブは、自律神経を整え、精神を落ち着けてくれる作用がある。
と、聞いたことはあるが、実際にどんなものかは知らなかった。
一発で当てるノエルは凄いな。
シュラグは俺たちの向かいに腰を下ろすと、同じようにハーブティーを口に含む。
「それでは改めて自己紹介をしよう。私はシュラグ。ただのシュラグだ」
「俺はヴァニだ」
「ノエルといいます」
「アタシはセスカ……セスカ・イープロイよ」
セスカの名乗りを聞いて、シュラグは目を細める。
「イープロイ……どこかで聞いた覚えがあるな」
「西の国の有名な貴族だからでしょうね」
「えっ! セスカさんって、貴族だったんですか!?」
ノエルが驚いたように目を見開いた。
「元よ、元。アタシはもう家を追い出されて、帰ってないから」
「それでも家名を名乗ることは許されているのだな」
「どうだかね」
セスカは肩を竦めてそう言った。
その表情には、いつかの昔に彼女からその話を聞いた時のような寂しさ、悲しさは見えない。
その様子をじっと確認した後、シュラグは俺に顔を向けた。
「それで、詳しく聞かせてほしい。何故君は、私をパーティに加えようと?」
……来たか。
俺はカップを置き、机の前で手を組む。
「正直に言う。俺一人で彼女たちを守ることに限界を感じてるからだ」
「ヴァニ……」
「ヴァニさん……」
それから俺は、昨晩バロンにしたのと全く同じ話をした。
それから、その心配は主にノエルに向いていることも。
何故ならセスカは同じ近接ポジションのため、カバーできるからな。
シュラグは俺の話を聞き終え、紅茶を一口飲んだ。
「なるほど。つまり君は、自分以外にも仲間を守れる人員が欲しいのだな?」
「ああ、そういうことになる」
しかし、シュラグは失望したようにため息を吐いた。
「ヴァニ。君は二つ勘違いをしている」
「二つ?」
聞き返すと、シュラグは頷いて静かに俺の目を見つめる。
「一つ。君は〝守る〟ことに執着しているようだが、君の仲間たちをよく見たことは本当にあるか?」
「それは……当たり前だ」
「私にはそうは思えない。ノエル、そしてセスカは、本当に君が手を引いて守らなければならないほど弱い存在なのかね?」
言われて思い当たる節はある。
彼女たちだって、千剣の迷宮内でもそれ以降も、鍛錬は一切怠っていない。
強いか弱いかで言えば、充分すぎるほどに強いだろう。
「これはお節介だがね、〝守る〟ということだけが〝愛〟ではないよ。背中を、命を預け合って戦うのであれば、何よりも大切なのは信頼だ」
「分かってる。分かってるさ……だが、この前みたいに二人の手に負えない相手が現れて、俺がその場にいられなかったら……」
その時、俺の手がセスカに握られる。
「ヴァニ……心配かけてごめんなさい。でも信じてほしいの。アタシはもう、あの時みたいな失敗は絶対にしない。生きて、これからもアンタたちと一緒にいたいから。だから──もっと強くなるわ」
「私もです、ヴァニさん。守られてばかりで自分一人では何もできない今までには、お別れしたいです。絶対に強くなって見せます」
「お前ら……」
その様子を見届けていたシュラグは、フッと笑う。
「強かなお嬢さんたちに恵まれているようだ。どうだね、ヴァニ君。それでもまだ、君の主張は変わらないのだろうか?」
「俺は……」
正直なところ、今の時点ではまだ不安が残る。
これからのことを考えるならば頼もしいことこの上ないが、それでも今、現在という点においては。
「それから二つ目。私はもう、誰かのために戦うことができなくなってしまった」
シュラグはそう言うと、椅子から立ち上がって壁際の棚に歩み寄る。
そしてその上から一枚の写真立てを持ってきた。
その中には若かりし頃のシュラグ、そして同じく金髪の美しく優しそうなエルフの女性が写っている。
「私には最愛の妻がいた。名前をシオンという。彼女の存在は私にとっての全てで……私はどんな犠牲を払っても彼女を守りたいと思っていた。しかし、ある日──妻は謎の男たちに殺された。残酷にね」
「っ…………」
ノエルが隣で息を呑むのが分かる。
「それ以来、私の弓は守るための弓から、復讐の道具と化した。もはやこの身は、シオンの命を無慈悲にも奪ったあの男どもを殺すためだけにあるのだ」
俺の目に映るシュラグの顔は、復讐鬼のそれだ。
瞳からは光が抜け落ち、冷徹な殺人者の目をしている。
きっと彼は、いつかその復讐が果たされる日まで止まれないだろう。
「だが、教訓も得たのだよ」
「教訓?」
シュラグは頷く。
「ヴァニ──大切なら何が何でも守り抜け。君自身の手で、君の全てを賭して」
その言葉は何よりも深く、俺の心に突き刺さった。
「でも、でも──シュラグさん、その男たちの手掛かりは何かあるんですか?」
「……残念ながら、たったひとつしかない」
「その、一つというのは……?」
次のノエルの問いかけに答えたシュラグの口から聞こえたのは、しかし俺たちにとっても聞き逃せない言葉だった。
「【終末の使者】──奴らは確かにそう名乗っていたよ」




