第二百七十三話 名案
「くそっ!! くそっ!!」
三郎は床を拳でたたきました。
そして続けます。
「ええか、勘十郎! カツトシの涙一粒は、おみゃあの命より重いとしれ! カツトシに涙を流させて、おみゃあの命を助けてまったら、わしは弟可愛さのあまりに判断を誤ったと言われてまうだろう。おみゃあを助けてやりたゃぁが、弟だからこそおみゃあを助けられんのだがや。くそっ!」
「カツトシというのは、どのような」
勘十郎さんが、邪悪な顔から不安げな表情にかわりました。
「どたぁーけが! 尾張にすんどって、そんなこともしらんのか! だいたいおみゃあごときが、カツトシを呼び捨てにするんじゃにゃあ! カツトシとは尾張の恩人ぞ! もし尾張にカツトシがおらなんだら、尾張の足軽が数千人余計に死んどる。カツトシがおった戦では、戦死者が両軍合わせて2桁じゃった。カツトシがおらん戦では、何百、浮野の戦いでは1500人が死んどる。もしカツトシがおったら、稲生でも浮野でも、両軍合わせて2桁しか死んどらんわ」
「なっ! 2桁!? しかも両軍合わせて!? ありえない」
「わしの言う意味がわかるだろう。尾張の恩人であり軍神なのじゃ。尾張にとってはわしの命より大切な存在じゃ。おみゃあはそのカツトシに涙を流させたのじゃ!! カツトシに涙を流させた者は、誰でもすべて例外なく死罪じゃ。弟だからこそ助けられんのじゃ。じゃが、安心しろ、武士らしく切腹を許そう」
「な、なんだと! 切腹!?」
「権六! この部屋を好きに使え! かいしゃくはおみゃあにまかせる」
「ま、まってくれ! あにうえー! あにうえぇぇー!!」
わたくしは、勘十郎さんを許す気にはなれませんでした。
三郎は、勘十郎さんに返事をすることなく部屋を出てふすまをピシャリと閉めました。
もし、ここでわたくしが、勘十郎さんの命乞いをしていれば。
「カツトシ! すまなかった!」
ふすまをしめて、わたくしの隔離されている部屋に来ると、三郎は崩れ落ちるように座り込むと頭を下げて言いました。
「いいえ、三郎はなにもわるくありません」
「いや、弟がしたことには、兄であるわしにも責任がある」
「それに、本当の被害者はおキツ様です。わたくしではありません。うふふ、土田から帰ってからは、三郎はおキツ様のところに、ずっと通ってくれています。だから、もう三郎が謝る必要はありません」
わたくしは、三郎の両手を取って、立ち上がらせました。
「三郎、しっかり立てているズラ」
先程までズラーさんの肩を借りていた三郎が元気に立っています。
「ふ、ふむ、さっき大笑いしたからか、体調がいい」
「熱もさがっているズラ」
「ふふふ、まるで仮病みたいデェス」
「仮病だと!! ふむ、それはいい。この事を世間にどう公表しようかと考えていたが、仮病かー。ふむそれでいこう」
「どういうことですか!」
わたくしは、三郎に質問しました。
「ふふふ、世間には勘十郎の切腹の理由が必要じゃ。理由が『カツトシに涙を流させた事』では、他の大名達にカツトシの存在がばれることになる。弟にも隠し通せていた存在を、ここで公表するわけにはいかん。そこで、世間にはわしが仮病を使って勘十郎を呼び出し、だまし討ちにしたと偽の情報を流すのじゃ」
でも世間様が、そんな偽情報を信じるのでしょうか。
だって、険悪な関係の兄の病気の看病に、普通は行かないですよねえ。
あっ!?
「そ、そんなことをすれば、三郎は弟殺しの汚名を受けることになります」
わたくしは、見落としていました。
三郎が弟殺しをしたという風評は面白おかしくすぐに広がると思います。
だから、だまし討ちだったというのは世間に広がりやすいのではないでしょうか。
「ふ、ふふふ、それでいい。それでいいのじゃ。わしが、弟に切腹を言い渡したのは事実じゃからのう」
三郎がくちびるを噛みしめています。
「やっぱり、止めてきます」
三郎の悲しそうな顔を見ていると、怒りが収まりました。
この切腹を止められるのは、わたくししかいないのですから。
わたくしの言葉を聞くと、三郎の表情が明るくなりました。
「終わりましたぞ!!」
権六さんが晴れやかな表情でふすまを開けて入って来ました。
小牧山のふもとの長槍道場では訓練は順調に進んでいます。
尾張北郡の若い衆の体がずいぶん出来上がってきました。
季節は夏から冬になり、外での鍛錬をすると全員の体からモクモク湯気が立ちのぼります。
そして、汗と何かのにおいで、とてもくさいです。
「ふむ、だいぶ仕上がってきたな」
三郎が馬に乗ったまま何度も、アゴをなでながらうなずきます。
満足してくれているのでしょうか?
「……」
わたくしは無言で三郎の顔を見ました。
三郎の目が鋭く吊り上がりギラギラ光っています。
「よし、これならもういいだろう。全員整列しろー!!」
「おおっ! 三郎様じゃ!」
若い衆が素早く整列します。
「あすより、岩倉城包囲戦を開始する。今日は家に帰り体を休めよ。明日は戦準備を整えて、いつも通りくるように! かいさーん!!」
「おおーっ!!」
全員の目がギラギラ輝きます。
返事の声にも気合いが入ります。
安全な戦争なんてありはしないのに、なんで皆こんなにやる気なのでしょうか。
わたくしには理解出来ません。
「カツトシ、少し話がある。屋敷へ行くぞ」
「はぁ」
小牧のお屋敷には、那古屋のお屋敷にいたお女中が大勢来ています。
織田家の血縁者の美女ばかりです。
全員がカツトシねらいです。わたくしにはその気はまったくありませんのに。
そういえば、犬山織田家の信清様も三郎のお姉さんをお嫁さんにしています。
三郎の縁者は美形が多すぎですから。
でも、悲しいことにここにはお秀ちゃんの姿がありません。
お兄さんの勘十郎さんが切腹になった理由が、わたくしだったので恨んでいるのかもしれません。
もし、あの時もう少し早く止めに入っていれば。
わたくしの心に、とげが刺さったように、勘十郎さんの事が刺さったまま忘れられない記憶になっています。
「三郎様、お食事は?」
屋敷に入ると女中さんが、三郎に聞きました。
「いや、いい。生駒で済ませてきた」
「そうですか」
「カツトシ、この籠城戦は力攻めをしない」
部屋に入ると、三郎がすぐに切り出しました。
部屋には藤吉郎と小六さんが入って来ました。
「なぜですか? 城の兵士は残りわずか。1日で落とせますよ」
「ふふふ、通常戦争とは物資を大量に消費してひへいする。ましてや攻城戦で長期戦となれば、勝ってもそのひへいで、しばらく戦ができなくなるほどだ」
「それならばなぜ」
「理由は幾つかあるが。大きな理由は1つ。今川家をだますためじゃ」
「今川家をだます?」
わたくしと藤吉郎と小六さんが、身を乗り出して質問しました。
それを見ると三郎は満足そうに、白湯をすすりました。
「ふふふ、岩倉城ごときに手こずったとなれば、今川家は必ず油断する」
「しかし、それで、織田家がひへいしたら意味が無い」
藤吉郎が言いました。
「藤吉郎! 戦とは頭をどれだけ使うかじゃ。なぜわしが、小牧に道場を作ったか意味がわかるか」
「むっ??」
藤吉郎は、小さくうなると唇をへの字にして、腕を組んで頭を傾けた。
「ふふふ、尾張北郡の若い衆を鍛えるためと、岩倉城の包囲戦をさせるため。岩倉城を包囲する者は、昼間包囲戦をして、夜は家に帰ることができる」
「なっ!!」
藤吉郎と小六さんが同時に声を出しました。
うふふ、わたくしはよくわかりません。
「やっと、わかったか。まあ、カツトシが、わかっていないようだから続けるが、そうだ、岩倉城包囲戦には、1番金がかかる食料の補給がいらんのじゃ。毎日家から通えばいいのじゃからのう」
「す、すごい!!」
天才的です。
この戦は、物資を沢山消費して疲弊するどころか、兵士も家に帰り布団で眠れます。
兵士もひへいしません。
しかも、その兵士は半年以上も訓練した精鋭なのですから。
「くくく、だが、今川家では、恐らく織田家がもたもたしたために、疲弊したと思うことだろう」
わたくしのすごいの言葉で、三郎が上機嫌になっています。
でも、三郎は本当にすごいです。
岩倉で戦いながら、次の戦の事を考えているのですから。
藤吉郎の瞳がキラキラ輝いて「三郎さまー!」と言っています。




