第二百六十七話 思い出の場所
女性は本堂で、男は境内でそのまま休んでいます。
「もう、いかれるのですか?」
小六さんの声がします。
「あっ!? 起こしてしまいましたか?」
十兵衛さんのようですね。
もう、出発するようです。
まだ深夜なのですが……むしろ暗い内に出かけたいのでしょうね。
岩倉織田家は、反信長同盟で義龍とは同盟関係です。
明智家の次期当主とわかれば、捕まって義龍に引き渡されます。
「いいえ、疲れてはいたのですが、自然と目が覚めておりました」
「そうですか」
「ちょっと、お待ちいただけますか。おい! おきろ! 十兵衛殿が出発なさる。おめー達もついていって、川を渡してやれ」
「いえ、そこまでしてもらっては」
「ふふふ、もう起こしてしめーやした。気にしねえで一緒にいってやっておくんなせい」
「長良川の戦いの時も助けてもらって、その上……かさねがさねありがとうございます」
「ふふふ、いえ。俺達川並衆は、道三殿には世話になった。だが、いくさは本職じゃねえ。十兵衛殿と三郎殿が道三殿の、援軍に来てくれて本当にうれしかった。勝ってこねえ、不利な戦にみずから進んで援軍に行く。なかなか、出来る事じゃねえ。男として、手伝いてえと俺の方から協力を申し出たんだ。気にしねえでおくんなせい」
長良川の戦いの時、川にいた船は小六さんの手配した船だったのですね。
「ありがとうございます」
「ふふっ! 山は山賊、海は海賊、川は川並衆。川の渡しは本職です。道三同盟のよしみです。本当に気にしねえでくだせい」
「……」
十兵衛さんは、無言で深く頭を下げました。
「あてはあるのですか?」
「おおカツトシ殿、起きておられたのですか。あてはありません。このまま、北へ向かい、越前へでもいこうかと。ふふ、せっかく浪人になったのです。しばらく自由を満喫しようと思います。カツトシ殿、援軍ありがとうございました。おかげで命を落とさずにすみました。このご恩、十兵衛一生わすれません。三郎殿にもよろしくお伝えください」
そう言うと、お供を連れて、十兵衛さんはお寺の門を出て行きました。
小六さんの子分衆もそれに同行するようです。
「ふふふ、俺も主君、道三殿を失った。義龍には仕える気にはなれねえ。さて、どうするかのう」
小六さんは、そう言ってニヤニヤ笑いながらわたくしを見ます。
「……」
わたくしは、聞こえないふりをして眠ったふりをしました。
「たいへんです!」
早朝、本堂から使用人の女の子が走って来ました。
「どうしました?」
わたくしは、落ち着いて聞きました。
「はい、おキツ様が起きられなくなりました」
「なに! 死んだのか?」
小六さんが驚いて言いました。
川並衆は、小六さん以外連絡用の人数を残していなくなっています。
十兵衛さんと一緒に出ていったのでしょう。
川並衆も義龍の敵ですからね。
バレないように逃げたようです。
「なっ!?」
わたくしは心臓が口から飛び出すほど驚きました。
せっかく、せっかく、再会できましたのに! せっかく!
昨日まであんなに元気だったのに! もうお別れですか?
「ちがいます! とにかくこちらへ!」
本堂に入るとおキツ様は仰向きに眠っています。
でも、呼吸が荒く、汗を大量にかいています。
額に手を当てるとすごい熱です。
おキツ様は、体が弱くて外出時はいつもわたくしが同行していました。
わたくしは、護衛でもありましたが、おキツ様の容体が悪くなった時すぐに対応する、見守り役でもあったのでした。
「無理をしすぎたのでしょう」
わたくしがついていながら大失敗です。
「カ、カツトシ。私は大丈夫です。こ、小折へ、小折へ。五条川が見たい」
おキツ様は、わたくしに気が付いたのか、荒い息づかいで絶え絶えに言いました。
「ダメです。安静にしないと、死んでしまいます」
「そ、そうですか。カ、カツトシから見ても、わ、わたくしは死にそうなのですね。ならば、なおのこと、死ぬ前に一目、小折で五条川が見たいです」
その言葉を聞いて、わたくしはまわりを見ました。
わたくしのまわりには、おキツ様を心配して全員がいます。
「……」
わたくしは1人ずつ目を合わせます。
わたくしと目があった人は悲痛な顔をしますが、うなずきます。
全員がうなずいてくれました。
わたくしがおキツ様と同じ立場なら――
きっと、死ぬ前に一度故郷の思い出の場所が見たい。
そこまでは、絶対に死ねない。
そう思うでしょう。
「おキツ様、苦しいと思いますが、我慢出来ますか?」
「も、もちろんです。ハアハア」
「行きましょう。思い出のあの場所へ」
朝食はお寺が用意してくれました。
お寺には、三郎が用意してくれたお金を寄進しました。
おキツ様も、お粥を口にしましたがそれ以上にもどしてしまいました。
「いよいよだめだなあ。こりゃあ、小折までもつかなあ?」
小六さんが何気ない一言を言いました。
全員が殺気を込めた目で小六さんをにらみ付けました。
おキツ様はわたくしが、おぶって小折を目指します。
会話は出来ませんが、背中におキツ様の体温を感じ、呼吸を首筋に感じていると、懐かしい思いが次々よみがえってきます。
五条川の緑のじゅうたんにおおわれた土手で、風に髪をゆらした美しい姿。
わたくしの脳裏に浮かぶおキツ様は幼くて、胸はまだわたくしくらいしかありません。
川では、ダニーさんとズラーさんとデェスちゃんが楽しそうに魚を捕まえています。
ずっと続くと思っていました。
突然の別れの前、おキツ様は全裸でした。
わたくしは、女性なのにおキツ様の裸に見とれてしまいました。
とても、美しかった。輝くようにうつくしかった。
女神の様に……女神……?
わたくしは、小指の爪の紋章のことを思い出しました。
むり、むり、絶対に無理、いくらマモリ様でも。
それでも祈らずにはいられませんでした。
――マモリ様、おキツ様をおマモリ下さい。
気のせいですが、小指の紋章に反応があったような気がしました。
休みを多くとりながら、おキツ様に無理をさせないように移動したら、空が赤くなっています。
「きれいな夕日、赤い五条川も素敵です」
おキツ様が小さな声で言いました。
その時、風が後ろから吹いてきました。
おキツ様の香袋の匂いがしてきます。
やさしくて甘い香りです。
「さあ、帰りますよ」
「もう少し」
おキツ様の頭が背中にあたるのを感じました。
泣いているようです。
背中があたたかくぬれていくのがわかりました。
「ふーやれやれ、やっとついた」
おキツ様を小折城の中門まで連れて行くと、生駒屋敷の使用人におキツ様を引き渡して、お別れしました。
あれほどあった熱が、別れるときには下がっていました。
――まさか?
まさかですよね。
小折城の小さなオンボロ足軽長屋に戻ると、小六さんが一番に中に入りました。
「カツトシさん!!」
中には、孫四郎と藤吉郎がいました。
2人が同時に言いました。
「って、だれだ、このおっさん?」
藤吉郎が言いました。
「この方は、小六さんです」
「小六? まさか川並衆の頭領か!」
藤吉郎はさすがですね。
名前は知っているようです。
「しっ、かし、汚いボロ小屋だなあ。ここが本当にカツトシ殿の家か」
「うふふ、そうですわ。ここが正真正銘我が家です。とても心が落ち着きます」
おキツ様がもどった小折城の我が家は、ボロですが少し明るくなった感じがします。
ボロ小屋ですが、ボロ小屋までおキツ様が帰ってきたことを喜んでいるようです。
「そ、そんな事より! カツトシさん、報告があります」
孫四郎が言いました。




