第二百六十三話 いのり
「き、きんきゅうじたいぃー!!」
お屋敷の縁側で、三郎を囲んだ全員が声を上げました。
「まずは、これを見よ!」
三郎はうるしぬりの黒い箱を、大切そうにふところから出しました。
とても大事な物が入っているのでしょう、高価そうな箱です。
キラリと太陽を反射して白く輝きました。
「これは?」
「ふっ、これは美濃一国譲り状じゃ。おやじ殿が、死ぬ前にわしのために書いてくれたものじゃ」
全員が箱の中の書状をのぞき込みました。
「でもさあ、こんな物があっても義龍がすでに支配しているから意味がないじゃないか」
孫四郎がつまらなそうに言いました。
たしかに、孫四郎のいう通りです。
これを、義龍に見せて「美濃はわしのものじゃ」と言っても、返してもらえるとは思えません。
「ふふふ、おぬし達はわかってないのう。おやじ殿はわしがいずれ美濃を攻めることがわかっているようじゃ。わしが美濃を攻めるとき、この書状があることによって大義を得られる。そのための物じゃ」
さすがは、サイトウさんドウサンさんです。
三郎が、人心を気にして行動している事を知っているから、美濃を攻める時の大義の為に書いてくれたようです。
三郎は今も岩倉を攻めていません。
岩倉の城主はおじさんだからです。
おじさんを理由なく攻めればやはり人心は離れます。
清洲の時も、向こうが攻めてきて城を奪いましたが、その城を取り返しただけで、清洲の城を攻めませんでした。
その後、主家殺しをしたので大義のため攻め滅ぼしたのです。
三郎は人心を気にして大義のない戦いをしないのですわ。
この書状のおかげで、美濃の国主からの正当な後継者を名乗れます。
三郎が、美濃国を治める妨害をするのなら、妨害する方が反逆者です。
逆賊を撃つという名目で挙兵できるということですわ。
きっと、死ぬと決意した時、その前に書いてくれたのですね。
わたくしは思わず稲葉山城の方を見ました。
顔を戻すと、三郎も稲葉山城の方を見て頭を下げています。
うふふ、義理の父親の愛を感じているみたいです。
サイトウさんドウサンさんもマモリ様と同じで、三郎を死してもなおマモリたかったのですね。
「まあ、緊急事態かもしれないけど大したことなかったね。驚いて損しちゃったよ」
孫四郎が、つまらなそうに言いました。
「どたぁーけ!! それだけじゃにゃあ! 末盛城下で、権六が足軽を集めている。いくさが始まるぞ」
「まったく! 勘十郎兄様はどこまで欲張りなのじゃ。民に重税をかけて贅沢な暮しをしとるくせに、それでもまだ足りないともうすのかえ」
お秀ちゃんがわたくしのヒザの上で怒っています。
この幼いお秀ちゃんでも民の暮しを心配しているのに、わからない人にはわからないようですね。
勘十郎さんには、貧困に苦しむ民の暮しは見えていないようです。
それにしても、お秀ちゃんは怒っている顔までも可愛いです。
「なるほど、いくさですか。緊急事態ですが、その程度では驚くほどのことではありませんね」
孫四郎がつまらなそうに鼻をほじりながら言いました。
「どたーけが、それだけじゃにゃあ!! カツトシ! ここからが肝心なのじゃ!! よう聞け!」
「は、はぁーっ」
ついわたくしも、どうせたいしたことはないだろうと、気の抜けた返事をしてしまいました。
「美濃の斎藤義龍が明智城に兵を出した」
「えっ!? それはなぜ?」
「おやじ殿を殺した長良川の戦いで、明智家はおやじ殿に味方をした。その報復の為の兵じゃ。恐らく明智一族は皆殺しになるだろう」
「えーっ!! じゃあ、十兵衛さんが危ないじゃないですかー!」
十兵衛さんは、長良川の戦いでわたくし達を助けてくれました。
明智家がピンチなら助けないといけません。
「うむ。だが、わしは兵を動かせん」
「まさか」
「うむ、義龍と勘十郎は通じておる。わしに明智家への援軍を出させる魂胆じゃろう。援軍を出せば、その隙をついて攻めて来るつもりじゃ」
「援軍を出さなければ、恩知らずとなります」
さすがは、勘十郎さんですね。
三郎の弟だけあって、やはり頭が切れます。
この調子なら、岩倉織田家も兵を動かすかもしれません。
「したがって、カツトシ! ダニーとズラーとデェスの3人を連れて明智城へ援軍に行ってくれ! お前達がいないと、こっちの戦いで犠牲者が増えるが仕方がない。織田家の兵1000人分の働きをしてくれ!! たのむ!」
「わかりました。直ちに行ってきますわ!」
「いったー!!」
「はわわ!」
失敗しました。
急に立ち上がったので、ヒザの上のお秀ちゃんを落としてしまいました。
「うふふっ!! お気を付けて!!」
お秀ちゃんは、お尻のホコリを払いながら笑って抱きついてくれました。
「お秀ちゃん、ごめんなさい。では、行ってきます」
わたくしは、走り出そうとしました。
「まてまて、まだ話の途中だ!」
三郎は落ち着き払ってニヤリと笑います。
これ以上、何があるというのでしょうか。
「何を、のんきに。急がないと」
わたくしは足踏みをしながら言いました。
「ふふっ! 明智領内の土田という場所におキツがいる。明智城が攻められれば当然、土田も攻められている。おみゃあは、おキツの救出を一番に行動せよ」
「ええぇぇーぇぇっ!! おお、おキツ様がー!!」
「明智から使者が来て、援軍の必要無しと言ってきた。わしの援軍は間に合わないそうじゃ。だが、それならなおのこと、おキツの命が危ない!!」
「きききき、ききき、きん、緊急事態じゃないですかーー!!」
わたくしは思わず大声で叫んでしまいました。
「だから、わしは最初からそう申しておった」
「た、たしかに」
わたくしと三郎以外の、全員がうなずきながらいいました。
「言っている場合ですかー!! ダニーさんとズラーさんとデェスちゃん!! 行きますわよー!!」
「まてまて、ほれ、地図じゃもっていけ。あと兵糧と水も用意した。持っていってやれ。きっと難儀しているじゃろう」
三郎は、和紙に墨で殴り書きしたような地図と、大きな包みを三つ渡してくれました。
三つの包みは、ダニーさんとズラーさんとデェスちゃんに持ってもらいました。
おかげで、明智までわたくしは自分の足で走らなければならないようです。
わたくしたちは、清洲城を出ると犬山を目指し、犬山からは木曽川沿いを進もうとしました。
「だめダニ。美濃の兵が街道を見張っているダニ」
「明智の人間を全員殺すつもりズラ」
「すごい執念を感じるデェース! こわいデェース!」
「そうですね。と言う事は、山越えをしないといけないですね」
道を使わずに犬山から明智へいくには山越えをするしかありません。
「そうダニなあ」
低い山々ですが、木々がおい茂りヤブをかき分けながら進まないといけません。
「途方もない時間がかかりそうですね」
「ひひひっ!! ダニ」
「ふひひ!! ズラ」
「くすくす!! デェース」
3人が笑います。
そうでした、この3人は大森林の戦闘民族カルッパン族でした。
「カルッパン族は、こんな場所が得意なのですね」
「さすがエイリダニ! オラ達が道を作ってやるダニ! ピッピ、エイリがはぐれないように、一番後ろを走ってやるダニ」
「あんちゃん、わかったデェース!」
うふふ、3人が頼もしすぎます。
ダニーさんとズラーさんが先を進みヤブを切り裂き、獣道を作ってくれます。
おかげで、日が暮れた所で明智の城下が見える所まで出る事が出来ました。
山の中腹で、明智の城下町を見おろすと、犬山から続く山が終わった所にせまい平地があり、その向こうにまた山が見えます。
向かい側の山から、オレンジの光が見えます。
「ありゃあ、明智の城ダニなあ」
「落城したのですね」
「こっちがおキツのいる土田ズラ。土田も燃えているズラ」
「お城だけじゃないデェース」
デェスちゃんの視線の方を見ると集落も燃えています。
激しい乱取りがあったようですね。
明智の人は、村人まで男は皆殺し、女子供は売られるのでしょう。
むごいことです。
明智領は全滅ですね。
「さがせー!! まだ十兵衛が見つかっていない。探してころせーー!!」
松明を持った男達が叫びながら走り回っています。
十兵衛さんは、まだ生きているみたいです。
――おキツ様、生きていて下さい。
わたくしは、燃える土田の城を見つめながら両手を合せました。




