第二百二十七話 破壊龍の伝説
「ふぐっ、うっぐうぅぅっ! ぐっくっ」
マッチャさんの額に大粒の汗が浮かび上がります。
眉間に深いしわが入り、強く歯を食い縛っています。
「マッチャよ! 大丈夫か?」
猛烈な勢いで飛びながらシラタキ様が、マッチャさんを気遣います。
眼下には大森林の濃い緑が広がります。
後ろを振り返っても、もう地平線まで濃い緑しか見えません。
「ジラダキざば、だ、だうじょうぶれす。じんばいをおがげじで、ぼうじわげありばぜん。ふぐっうっぅぅ」
マッチャさんは、うまくしゃべる事も出来ないようです。
でも無理をしてでも、シラタキ様に返事をします。
「マッチャさん、話してはいけません。安静にしてください」
僕は胸に抱きかかえるマッチャさんに言いました。
苦しそうなマッチャさんに、僕がしてあげられることはなさそうです。
額の汗だけ拭き取りました。
「しかし、おかしいのう。ワラワ達龍族は、こんなに急にあの日は来ないはずなのだがのう」
「どういうことですか?」
そういえば、あの日とは、いったいなんなのでしょうか?
僕にはさっぱり見当がつきません。
「ふむ、ワラワ達は、あの日が来る事は数日前からだいたいわかるのじゃ。じゃから自分で準備が出来る。それがこのように急にくるとはのう……おおっ見えてきた! あそこじゃ」
数日前から来る事がだいたいわかる、体調の変化ですか。わかりません。
大森林の上を何時間か飛んでいましたが、高い山が見え始めると山と大森林の境目に急降下します。
この断崖絶壁の向こうの山岳地帯が龍族の住む集落です。
山頂は雲の上に隠れています。
空を飛べない者は、この山脈を越えるだけでも途方もない労力がいります。
「他の龍族に見つかりませんか?」
「ふふふ、姫様は龍族がどこに住んでいるのかまでは知らないのじゃな。龍族はこの山のずっと向こうに住んでおる。こんな所にいる者などおらんから、会うことはまずないじゃろう。おおっ!! あれじゃ! あの岩をどけると洞窟がある」
シラタキ様は大きな岩の前で僕の顔を見ました。
「これですか?」
僕はポンポンと岩を手のひらで軽く叩いて、質量を確認しました。
――まあ、これならいけそうです。
僕は人間の姿になったシラタキ様に、マッチャさんを預けると巨大な岩を両手で押した。
シラタキ様は僕の姿を興味深そうに見つめています。
「うおっ!! 姫様はすごいのう、ワラワが苦労して置いた岩を軽々とどけるのじゃのう」
シラタキ様が驚きの表情の後に、大きなため息を1つしました。
「おおっ!! 本当に洞窟がありました。でも、小さな穴ですね」
「あたりまえじゃ。龍人になれる者しか入れん。ここはワラワだけの秘密の基地なのじゃ。さあ、いくぞ! あぁっ、岩のフタを忘れないようにのう」
「はい、わかりました」
すこし狭い洞窟を進むと、とつぜん広い場所に出ました。
地底湖です。
地底湖の水は、とてつもなくすんでいて、何メートルもある湖底の砂が一粒ずつ判別できるほどです。
「マッチャよ、ついたぞよ!」
「ぁ……はぃ」
マッチャさんが弱々しい声を出しました。
シラタキ様が僕をマッチャさんのそばから遠ざけます。
マッチャさんは横になったまま、細く目を開けて僕の方を見ました。
そして、安堵の表情を浮かべると、龍の姿になりました。
濃い緑色で、まるで抹茶のような色の美しい龍になりました。
そして、水の中に入ります。
「ワラワ達龍族はこの時が、一番死亡率が高いのじゃ。いや、むしろこの時以外にはほとんど自然死はないのじゃ。だから、この姿は誰にも見せないものなのじゃ。おおっ! はじまったぞ!!」
マッチャさんの背中が割れました。
ゆっくり、ゆっくり、小さく体が動きます。
やがて、新しい体が割れた背中から少しずつ出てきます。
ゆっくり、ゆっくり、慎重に出てきます。
あの日とは、脱皮の日ということのようです。
長い時間が過ぎました。
そして、ひとまわり大きくなった龍の姿の、マッチャさんが湖底に横たわります。
硬いうろこにおおわれた龍族の脱皮は、カニやエビに似ているのかもしれません。
「ワラワ達龍族は、脱皮直後には体がやわらかくなる。この時ばかりはうろこまで食える。頭の先から尻尾の先まで刺身で食べられるのじゃ。しかもうまいぞ。どうじゃ味見をしてみるか? ひひっ」
水の中でマッチャさんの体がビクンと動きました。
「なんてことを言うのですか。マッチャさんは僕の大切な仲間です。絶対に食べませんよ。そんなことを言うとシラタキ様の脱皮の時は尻尾の先を味見しますからね」
「ひゃははは、それは出来ない話じゃ。なぜならワラワは、もう何千年いや何万年、うーーんどの位たったかわからんほど脱皮がきていない。もう成長は終わってしもうたのじゃ。なにしろ年寄りじゃからのう」
「そうなのですか」
僕はシラタキ様が、死を覚悟している事をさとった。
寿命を感じているのかもしれません。
「ふふふ、姫様。そんな顔をしなさるな、ワラワはもう十分生きた。思い残すことはなにもない。最後に姫様に会えて楽しかったのじゃ」
まるで、今死ぬ人のような言い方です。
何か話題をかえたいなあ。
「……そういえば、マッチャさんは、こんなにかわいい、いい人なのに。なぜ王都を破壊したのですか?」
僕達王国の人間は、破壊龍ジャスの伝説は物語として聞いている。
千年以上昔、突然濃い緑の龍が王都に舞い降りて「われの名はジャスだ! 貴様ら人間共はわれの逆鱗にふれた皆殺しにしてやる!!」そう言って、王都を1日で全て破壊したという誰もが知っている伝説の物語だ。
何万人もの人が被災して苦労をしたから、龍は決して怒らしてはいけないという話だった。
「ふふふ、あれか。あれはのう、ジャスのかわいがっていた部下の龍の脱皮を、たまたま人間の狩人が見つけてのう。柔らかい龍を殺して食ってしまったのじゃ。その肉の一部を当時の国王に献上したのじゃ。国王もたいそう気に入ってのう、うまそうに食ったと聞いた。それをジャスが知ってしまってのう。王都で暴れまくったのじゃ。ジャスは強くてのう、止めにきた龍族にまで手を上げたのじゃ。仕方なしにワラワがぶん殴って、気絶させて連れ帰った。それ以降ワラワの配下になって、ずいぶんまるくなったのじゃ」
水の中で静かにたたずむ、濃い緑色の龍の目がぎょろりとこちらに動いた。
水が澄んでいるので、水の中に沈む龍の姿が丸見えだ。
ここで、見ている分にはもう普通に見える。
「シラタキ様、もうマッチャさんの体は普通に見えますが、まだあれでも柔らかいのですか?」
「ふむ。脱皮した者は、丸一日は柔らかいままじゃ。その後、少しずつ硬くなる。1週間は安静が必要じゃ。ぬっ!!」
「どうしたのですか?」
「ぐっ!? こ、これは!!」
「これは??」
「ワラワも脱皮がはじまったのじゃーー!!」
「ええっ!!」
「す、すごいのう。こんなことは初めてじゃ! こんなに前触れもなく突然やってくるのかああぁぁぁーーー! ぐわああああぁぁぁぁぁーーっ!!」
シラタキ様はそういうと、白龍の姿になり水の中に入ってしまった。
マッチャさんの時と同じように脱皮が始まった。
僕は、か弱い龍2名から1週間は目が離せなくなりました。
「マモリ様……姫様! 少しよろしいですか」
私は、地底湖の澄んだ水の中の、純白の龍と濃い緑色の龍を見つめる、マモリ様……姫様に話しかけました。
「どうされました、安土様」
「はい、少し報告したいことがあります」
「うふふ、ちょうど退屈していたところです。教えて下さい」
「はい、では、私の見てきたものをお話ししますニャ」
私はとって付けたようにニャをつけた。
姫様と2人の時は付けるのをやめましょうか。




