第四章 荒神 2
ところで、藤原四家の死者はあの年一人では終わらなかった。
初夏の房前卿の死を皮切りに、秋の初めには京家の麻呂卿が、八月には南家の武智麻呂公と式家の宇合卿が倒れた。
相次いで届く藤原四家の長たちの病死の報せを私たちは呆気にとられたまま聞いた。
まるで本当に何かに呪われているような死に方だったのだ。
――今にして思うと、あの時、藤原四家の公卿たちだけがバタバタと死んでいったのは、他の多くの官人が命あってのものだねばかりに務めを投げ打って山辺の庄へと逃れていたなかで、あの一族の者たちだけは、巌に齧りつくように洛中にとどまり続けていたためではないかと思う。藤原の権力の源は宮での位階にあったから、疫病の神がどれほどの猛威を振るおうとも、宮を離れるわけにはいかなかったのだろう。
藤原四家の長がみな死に絶えると疫病は潮のように引いていった。
私はその年のうちに佐保へ戻ると決めた。
そのときに至ってようやくに撫子を傍に置きたいと思った。
その気になって捜させると、京育ちの孤児の娘は簡単に見つかった。
あの疫病の最初の頃に父親が死に、その妾だった母親も死んだために、母の兄を戸主とする家で婢のようにこき使われているのだという。私は絁一疋と引き換えに譲り受けた。
庄の屋で顔を合わせるまで、撫子は自分を求めた者が私であったことを知らなかったようだった。同母妹の古い紅の裳をつけて髻の根元に白い残菊を髪挿した姿で全身を強張らせて平伏していた。私はわざと鋭い声で命じた。
「娘、顔をあげよ」
撫子がおずおずと顔をあげ、私を見るなり零れるほど目を瞠った。
「――跡見の若子、か?」
思った通りの愕きだった。
私はすっかり嬉しくなり、膝をついて撫子の手をとった。
「そうだ。私は跡見の若子で、大伴の氏上だ」
「――若子が?」
撫子が呆然としたように応じた。途端、奥に控える留女が鋭い声で咎めた。
「婢、無礼であろう! 氏上大人と呼ばんか!」
「留女、撫子は婢ではない!」
私は慌てて同母妹を制した。
「ああ撫子、気にするな。私のことは何でも好きに呼べ。なあ撫子、喜べ。そなたは私と佐保へ戻るのだ」
「佐保へ?」
「そうだ」
「佐保で、わたくしは何をするのですか?」
撫子が慄く声で呟いた。
微かに震える唇を見たとき、私は全身を雷に貫かれたような気がした。
目の前の怯える撫子――巣から落ちて羽を痛めた小鳥のように痛々しい存在を、腕の中に閉じ込めて護りたくてならなかった。
この娘には何も辛いことはさせたくない。
ただ美しい花のなかで幸せに暮らさせてやりたい。
そんな娘が傍にさえいれば、私のこの寂しさもだいぶ和らぐ気がした。
私は両手を伸ばして撫子の頬を包むと、できるかぎり優しく見えるように眦を細めて笑いながら囁いた。
「何もせずともよい。ただ、この家持の傍にいて、心安らかに暮らしていればよい」
私は撫子が歓びのために泣いてくれるかと思っていた。
だが、撫子は泣かなかった。
ただじっと目を見開いたまま私を凝視し、じきにぐしゃりと顔を歪めて応えた。
「――氏上大人よ、お言葉のままに」
その瞬間、私は心にぽっかりと穴を穿たれたような気がした。
手に入れたはずの愛しい娘は、触れた瞬間、見も知らぬ婢に代わってしまった。




