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永遠の春  作者: 真魚
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第三十一章 挽歌 3

 髪と衣の支度を済ませて表の間へ戻ると、鮪麻呂を頭とした家人たちの手で武具(もののぐ)が調えられていた。


 靭を負い、左手首に革の鞆を嵌め、藤巻の大弓を握って外へ出ると、すでに陽が西へ傾ぎかけ、内の門の左右に篝が焚かれていた。

燈火の傍にまだ女や子供たちがいた。

「みな屋の内へ入れ。斎姫の傍に」

「はい氏上大人」

 女たちがみな奥の屋へ入るのを見届けてから門を出るなり、一斉に歓呼があがった。

「氏上大人、氏上大人!」

 まるで時ならぬ祭祀のような賑わいだった。

「みな静まれ。外に声が聞こえよう」

 石段を下り切ったとき、人の群れのなかに十四、五の少年が混じっているのが見えた。

「そこの童子――」

 奥の屋へ入っていろと口にしかけたとき、その児が見覚えのある蕨手の小刀を手にしていることに気付いた。

 昔、於比良女に与えた武具だ。


「――池主の子か?」

「はい」

 少年が思いつめた表情で頷いた。

 よく見れば隣に立っている浅黒い膚の青年は古麻呂の息子の継人だった。

 まるで少年を護るように肩に手を乗せ、殆ど睨みつけるような面持ちで私を見つめている。

 私は思わず笑った。

「よう参じたな! 静かに待っておれよ」

 告げるなり若者たちは安堵したように笑った。

「大人、何を待つのだ?」と、千室が訪ねてくる。

 そんなことは私にも分からなかった。

「――いずれ宮から使いが来よう。その口上を聞く」


 

 私たちは静かに待った。

 門前に焚かれた篝火の爆ぜる音ばかりが大きく聞こえた。

 やがて完全に陽が落ちるころ、右手の坂の下からいくつかの蹄の音が駆け上ってくるのが聞こえた。


「――兵部大輔よ、何をしている! 氏人を集めて宴をするのはとっくの昔に禁じられていよう! 御言は仰せられた! 今すぐこの門を開け! 宮へと引っ立てるぞ!」


 ガラガラとした東国訛りの声が扉の外から怒鳴った。

 千室が顔色を変えた。

「なんと無礼な――これが大伴の氏上に対するやり方か?」

 その言葉を皮切りに、背の後ろに並んだ族人たちもざわめき始めた。

 そのうちに誰かが怒鳴った。

「黙れ東夷(あずまえびす)ども! 宮とは一体どこだ! どこの屋に帝がおわすのだ!」

「八隅知し吾が大君は田村宮にいらせられる!」

「なにが田村宮だ! 女帝の褥を温める男妾の住処ではないか!」

 継人が嘲り笑った途端、どっと嗤い声があがった。

「今の世のどこに君がある!」

「君などどこにもおらぬ!」


「――兵部大輔、どういつもりだ! この嘲りの報いは高くつくぞ!?」


「みな静まれ、静まって話を――」


 私が必死に押しとどめようとしても、族人は全く従わなかった。

 見れば千室も嗤っていた。池主の子さえ女帝を嘲り笑っていた。


 私は己が天と地のあいだにたった独りで立っているのを感じた。



 ――これが私の氏の子なのか? この粗暴な人の群れが?



 そう思った刹那、私は寒さを感じた。

 同時に怒りも感じた。


 ――私を上と仰ぐならそなたらは従わねばならぬ。仰がれるものは木偶ではないのだ。君は木偶ではない。


 怒りと怖れと悲しみがないまぜになった心地のまま、私は竜の環の剣を抜き、刃を掲げて命じた。


「みな静まれ! 静まり、上の声を聞け!」

「おお――!」


 熱を帯びた歓呼が返ったあとで、再び静寂が戻った。

 私は一同を見回してから続けた。


「いいかみな、我らは上代から君の御門を御守りしてきた靫負の氏なのだ。われらは君の御言葉に従わなければならぬ」


「氏上大人、何を仰せになる」

 千室が狼狽えた声をあげた。

 私はそちらを睨んだ。

「黙れ。聞け。われは長く大君の辺にこそ死ねめと歌い継いできた。ならば、大君が命じるならば、武具をとらずに死なねばならぬ。それこそがわれらの誉れだ」


 いつのまにか完全な静寂が戻っていた。

 篝火の爆ぜる音が聞こえた。


 そのうちに誰かが謡い始めた。



  大伴の

  遠つ神祖(かもや)の その名をば 大久米主(おおくめぬし)と 負い持ちて

  仕えし(つかさ)

  海行かば 水漬く屍

  山行かば 草生す屍

  大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ



 見れば謡っていたのは池主の息子だった。

 赤い緒を巻いた短刀を右手に握り、眉根に深い皺をよせ、大粒の涙をぽろぽろと零しながら唇を動かしていた。

 涙に震えるその声がようよう謡い終えると、一拍の沈黙のあとで男たちが一斉に謡いはじめた。

 拍子に合わせて足を踏み、弓弦を鳴らしながら、天を仰いで吼えるように泣きながら歌っていた。


 ――それは益荒男の慟哭だった。

 君を失くした益荒男たちの最後の挽歌だった。



「――中衛舎人よ、待たせたの! いま門を開けるぞ!」

 剣を鞘へと戻しながら門前へ進んでいたとき、内の門のほうから女たちの歌声も聞こえてきた。

 一対の篝火のあいだを抜け、滑らかな閂をうごかして門扉を開けると、すぐ外に松明を手にした中衛舎人が居並んでいた。


 あまりに古風な私の装束によほど愕いたのか、あれらは一、二歩後ずさってから、思いもかけないほど恭しい仕草で頭を低めてきた。

「あ――大伴の氏上大人よ。御言の仰せでございます。畏れながら、御手の武具をおろされ、宮へとおいでなされ」

 私は箙を下ろし、弓を添えて手渡してから、竜の環の剣を外してひざまずいた。


「君の仰せのままに」


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