第三十二章 言祝ぎ
……燈火の油がついに尽きた。
手許がふっと暗闇に沈み、私は夢想から醒める。
右手から幾筋かのか細い微光が射している。
板壁の隙間から零れる朝の陽だ。
どうやら一夜中眠らずに過ごしてしまったらしい。
暗がりに馴れた目を明るみに向けると、淡い微光のなかに一山の巻子が見える。
黒木の軸に檀紙を巻いた十九の歌の巻だ。
いま手許にある一巻を加えればちょうど二十になる。
生糸のような微光に照らされた冷たい板の間の隅に、私は私の半生が積み上げられているのを見る。
あれらに記されているのは文字通り私の半生だ。
交遊たちと語らって古今の秀歌をどう並べるか言い争いながら記した初めの数巻はいざしらず、後ろのほうは殆ど私の日々の覚書のようなものだ。
私が剣を下ろした翌日、戒められていた者の多くが獄中で死んだ。
伝わってくる死にざまはみな無残なものだった。
黄文王は名を「誑」と、道祖王は「惑」を変えられた挙句に、杖で討たれて死んだらしい。奈良麻呂どのも死に、古麻呂も死に、池主も死んでしまった。古慈悲と多治比国人は流罪になった。――ああ、それから佐伯全成だ。全成は任国の陸奥にいたのに、そこで尋問を受けたあとで首を吊って死んだらしい。
八月には、稲公が――謀叛の鎮圧に功があったとして――従四位下大和守に任じられた。
秋の半ばには右大臣の豊成公が、子息の一人が謀叛に関わっていたとされ、勅によって大宰府の員外の帥に任ぜられて京を追われた。同じ南家の仲麻呂卿が、兄であり藤原の氏上である豊成公を退けたのだ。
私はひと時中大弁になったが、明けた六月にこの因幡守に任じられた。
稲公への優遇に比べて、これは左遷というべき人事だ。
山陰道に属する因幡は七郡からなる上国だが、水に乏しい土地柄のために拓ける田が少なく、実入りは同じく七郡だった越中の半分にもならないのだ。
――仲麻呂卿は氏の結束を敢えて乱そうとしているのかもしれない。大伴や佐伯や紀氏といった古い氏族が族人を集めて叛くことがないよう、敢えて身内で相争わせようとしているのかもしれない。
祝いよりはむしろ慰めの言葉に送られて京を発つ前に、私は氏寺を訊ねた。
寺には留女がいた。
謀叛に連座して親を亡くした家の子らの多くもまだ身を寄せていた。子らは私が行くと父親が戻ってきたように喜んだ。幸いみなそう痩せてはいなかった。
「斎姫よ、氏の子らを頼むぞ」
わざと堅苦しく声をかけると、留女は眦に皴をよせて笑った。
「任せろ氏上大人。よう公事に励めよ」
……――結局のところ、あれをあまり憐れみすぎるのはよくないのかもしれない。
留女は望んで家に留まり、望んで氏の子らの世話を焼いているのだから。
私はせいぜいあれのためにも励んで、因幡で財を拵えて真珠の鐶でも贈ってやるのがいいのかもしれない。
そのためにも生きねばならぬ。
今はただ生きるだけでも難儀する世だ。
私が因幡に発った翌月、病に伏した大后の枕辺に侍るためにと女帝が高御座を退かれ、長らく田村宮に住まい続けていた大炊王が新たな帝となった。
仲麻呂卿はこの新帝の勅によって「恵美」なる姓を賜り、名を「押勝」と改めた。
紫微内相中衛大将恵美押勝朝臣。
なんとも長々しい名だ!
……――光が明るさを増している。
耳を澄ましても雪の降る音がしない。
どうやら止んでいるらしい。
外はどんな具合かと立ち上がって蔀戸をあげるなり、鮮明かな朝の陽射しとともに冴えた冷気が流れこんできた。
「ああ、清々しいな――」
私は思わず口にしていた。
庭は一面の雪模様だった。
純白の地面が朝日を照り返している。
庇の縁に並んだ氷柱が陽射しを透かして輝き、先端に光の粒を凝らせている。
輝き渡るもの――まさしく輝き渡るものだ。
「君よ。この世は輝いております」
私は遥かな浄土におわすかもしれない御方に申し上げた。それから、今日の新年の拝賀のあとで披露する歌を考えにかかった。
何と言っても私は君の歌人なのだ。
爽やかにして明るくおおらかな、万葉の春にふさわしい歌を考えねば。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
了




