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永遠の春  作者: 真魚
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第三十一章 挽歌 2

 気づいてしまえば成り行きを察するのは容易かった。

 私と留女の筆跡は似ている。


 私は渋る於比良女を説いて、下の子供らを連れて氏寺へ逃れているよう言い含めてから屋敷へと戻った。

 邸では妻が息子の永主を連れて強張った顔で待ち受けていた。

汝夫(なせ)よ、京はどうなっている? 二嬢は無事か? 一族の誰が捕らえられた?」

「今のところ分かっているのは古麻呂と古慈悲と池主だ」

「家の者たちは無事なのか?」

「――幾人かの若い者が武具を持って佐保へ集っているらしい」

「汝夫が命じたのではないよな?」

「当然だ」

「留女は? 斎姫は何をしている」

「分からん。とにかく様子を見てくる。そなたは永主を連れて氏寺へ逃れていろ。ここを頼ってくる者があったらみな寺へ逃れるようにと伝えさせろ」

「分かった」

 妻が存外落ち着いた声で応え、家人たちに指示を出すべく奥へと走っていった。

「父上、わたくしはお供いたします」

 息子がまだ甲高い声で口を挟んできた。

 私は――久々に益荒男めかして――声を立てて笑ってみせた。

「童子の供はいらん。剣をとるのはあと五年待て」

「五年も待っていたら死んでしまいます!」

「死なんよ」

 私は心から笑った。「いいか永主(ながぬし)、命は惜しめよ? 惜しむに足らぬ命など、何に捧げるにも足らん」

 そう告げて頭を撫でると、息子は不服そうに唇を尖らせながらも頷いた。

 この()にとって戦いはまだ輝かしいものなのだ。

 そう思うと心が温かくなった。



 --いつかこの()も父の益荒男ぶりが虚ろな影に過ぎなかったことを知るだろう。私が知り、父が知り、祖父が知ってきたように――……そのときには私は哀しみにむせぶ歌人としてだけ記憶されるのだろうか? 雲雀を見上げて泣きむせぶ名もなき歌人とだけ――




 (あれ)のすべてが哀しみであるなら、われらはなぜ生きなければならないのだろうか?

 



 辻には中衛舎人が居並んでいたが、敢えて官服をまとっていたためか誰何はされなかった。

 奈良坂の半ばで西へ折れれば邸はすぐ先だ。

門前に至った時にもまだ陽が傾ききらず、扉に打たれた三対の鋲が白く鈍く輝いていた。私は馬の背から降りながら叫んだ。

「誰かあるか! ただちに門を開けよ!」

 叫びが終わるか終わらぬかのうちに門が開き、見覚えのある若者が数人飛び出してきた。


「大人よ! 参じましたぞ!」

 晴れやかな声で告げてきたのは千室だった。

 齢を経るごとに稲公に似てくる秀麗な貌を十二の童子のように紅潮させていた。私は曖昧に頷いて馬を託しながら訊ねた。

「千室、妻や子はどうした」

「氏寺へ逃しました。いざことあれば上総の父を頼るようにと言い含めてあります」

「そうか。心強いな」

 人の多い前庭を抜けて石段をあがると、内の庭には女たちが顔をそろえていた。橡染めの衣をまとい、幼い子どもの手を引いたつつましい家の女たちだ。

 怯えがちな眼差しに送られて主屋へあがると、淡い山梔子色の裳衣に身を包んだ留女が待ち受けていた。



「氏上大人よ、ようお戻りになられた」

 留女は繊手に竜の環の剣を携えていた。


「留女――」


「なんだ?」


「そなた、この兄の名を騙ったのか?」


「いいや。語りなどせぬ。ただ撫子の花に添えて文を廻らせただけよ」


「武具をとって邸へ集えと? それが斎姫のすることか?」


「私だってそんなことはしたくもなかったが、氏上が何もしないのだから仕方がないではないか!」

 留女はあまり似合わないはしゃいだ小娘のような調子でいい、無造作な手つきで私に剣を差し出してきた。

「氏上だと仰せなら御佩(みはかし)をお持ちくだされ。いらせられよ。衣を調えてある」


 導かれるまま奥の前入ると、女たちが集って榊の鬘を編んでいた。

御真澄(みまそ)の鏡の前に白い苧麻の衣が拡げてあった。

今の世ではいっそ滑稽なほど古風な氏の祭祀(まつり)のための装束である。

「お着換えなされ。氏の子が集っているというのに、仰ぐべきお方が五位の官服では心許なかろう?」

 同母妹が微かな嗤いを湛えて言った。

 私は怒りを感じた。


 太い袴をはき、膝から下に脛巾(はばき)を巻き、ゆったりとした上衣をまとってから、斜めに合わせる前身頃の三か所についた鮮やかな朱の緒を結ぶ。

 着替えが済むと女らが坐るようにと促した。

 ――なぜかよく分からないまま私は従っていた。

 御真澄の前に坐って黒絹の冠を外すと、留女が細く冷たい指で髻の紐をほどき、背に垂れた髪を梳り始めた。


 櫛は実鬘(さねかずら)の汁に浸してあるようだった。

 その青臭い匂いに、私は遠い昔の父の弔いの朝を思い出した。


「なあ留女よ――」

「なんだ?」

「そなた、何をどこまで知っているのだ? 奈良麻呂どのはそなたに何か打ち明けていたのか?」

「橘の若子は関わりない。――もう若子という齢でもなかろうが」

 留女が嘲るように喉を鳴らし、私の髪を角髪(みずら)に結いにかかった。

「この留女にも目と耳が二つずつあるのだ。日を経るごとに一族が衰えてゆく様を手もなく見るには忍びぬ」

「そのために族人を集めて宮に弓引かせるつもりか? ――斎姫よ、このようなやり方は無益だ。そなたは仲麻呂卿の権力(ちから)を――田村の宮を護り固める八〇〇の兵士の力を分かっていないのだ」

「いいや氏上大人、斎姫はよう分かっている。――昔、長屋の大臣の討たれた春をこの留女は覚えている。藤原の権力(ちから)がどのようなものかは、兄上よりもよう弁えているだろうよ」

「ではなぜ(いたずら)に氏の子を唆すのだ?」

 訊ねても留女は応えなかった。

 低く喉を鳴らして笑うと、冷たい手で私の頬に触れた。

「お目を瞑られよ。利目(とめ)化粧(けわい)を施す」


 留女は土器の小皿に赤土を溶いていた。

 細い指がその土を掬って、私の眦に文様を描いた。


「のう氏上大人――」

 指をうごかしながら、留女が謡うように言った。

「われらの神祖(かもや)たる大久米主の尊が、高千穂の峰に天もりした皇祖(すめろぎ)の遣いとして三輪の山神の姫を妻問うたおりの話をご存じか?」


「ああ」

 私は目を閉じたまま答えた。

 その話は祭祀のたびに坂上の叔母が繰り返していたものだ。

「山神の姫は神祖の目元の入れ墨を見て、そなたの目はなぜ裂けているのかと訊ねたのであろう?」

「そうだ。姫はこう歌ったのだ」

 留女が私の目元に指を這わせながら、低く囁くような声で歌った。



  あめつつちどりましとと など裂ける利目



「なあ氏上、姫は何と答えたのだ?」


 私はむろんその答えの歌も知っていた。



  娘子(おとめ)に ただ逢はむと吾が裂ける利目



 ――私の目が裂けているのはあなたを見出すためだ。


 謡い返したとき目元から指が離れてしまった。

 瞼を上げると、懐かしい愛しい女が笑みを湛えて私を見つめていた。



「ようお似合いだ。大久米主の裔に似つかわしい」



 留女が立ち上がり、牙と翡翠の勾玉を連ねた首飾りを私にかけた。

 磨き抜かれた鏡の面に見慣れない男の顔が映っていた。


「なあ斎姫よ――」

「なんだ氏上大人よ」

「そなた、滅びたいのか? 益荒男の伴の誉れが辛うじて残るあいだに、華々しく散って滅びてしまいたいのか?」


「そうだ」

 留女はあっさりと答えた。「大人だってそれを望んだことはあっただろう?」

 私は応えられなかった。

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