第三十一章 挽歌 1
七月の初め、古麻呂が鎮守将軍として京を発った。
翌日の早朝、文武百官が大宮の朝堂に集められ、仲麻呂卿の口を介して女帝の詔が伝えられた。
「御言は仰せられた。近頃諸王諸臣のうちの逆心のある者が宮を囲むべく兵器を調えていると聞くが、そのような逆臣があろうとは信じがたいため敢えて罰せずに来た。しかし、多くの者が重ねて奏上してくるため、誑かし惑わせる頑なな者どもの心を諭して矯めるべく申し渡すのである」
詔はまだ起こってもいない謀叛を「できれば赦したいものだ」と告げ、身に覚えのある者は心を改めよと諭した。
続けて伝えられた大后の詔では、われら大伴と佐伯の氏がわざわざ大宮の内の兵と呼ばれ、大伴は――古慈悲の正妻の縁から――わが近親でもあるのだから、氏の名を清く保って宮に仕えつくせと念を押された。
初秋とはいえまだ陽の眩い朝だった。
北にはだかる太極殿の一対の鴟尾が鈍い黄金色に耀いていた。
仲麻呂卿は虚ろな御簾を背にして大きな木簡を尺のように掲げ、馬上の将軍を思わせる朗々たる声で今ここにない女帝の言葉を伝えていた。
「歌人どのよ、どうやらことなく収まったようだな」
長い集まりが果てたあとで、旧い知己の誰かが肩を叩いて囁いてくれた。
「ああ。幸いにな」
私は安堵しながら応えた。
――結局のところ、あの粗すぎる謀は始まる前に露見したのだ。
連座した者たちは位階をさげられるだろうが、ともかくもこれで終わったのだ。
私はそう信じていた。
同じ日の夕方、中衛舎人が動いた。
まず捕らえられたのは、橘の大臣と所縁の深かった小野東人と医師の答本忠節だった。同時に気の毒な道祖王の屋敷も兵士に囲まれた。
――この者たちは実際謀に深く関わってはいたのだとは思う。
翌日の午後、古麻呂に仕える家人の一人が京の屋敷に駆け込んできた。
「氏上大人よ、どうか御主人をお救いくだされ! 命ばかりは取られぬよう、藤仲郎にお慈悲を乞うてくだされ!」
家人が泣きむせびながら話すには、古麻呂は不破の関の至るはるか手前の駅屋で待ち受けていた中衛将曹の一隊に捕らえられ、取り調べのために田村宮に引いていかれてしまったのだという。
「分かった。落ち着け。できるだけのことはやろう。家の者たちは無事か?」
「はい」
「では佐保の邸に逃れろ」
私はすぐさま田村宮に走ったが、仲麻呂卿はおろか乙撫子を嫁がせている久須麻呂どのにさえ取り次いで貰えなかった。
多治比の屋敷に向かうと国人が捕らえられたと泣かれた。古慈悲は当人が捕らえられていた。奈良麻呂どのに加えて、塩焼王、黄文王、安宿王もすでに捕縛されているようだった。
私は愕然としていた。
何という手早さだろう!
稲公は上総の国司として任国へ赴いているため、これだけは無事だろうと安心できた。
案じられるのは池主だ。急いで屋敷へ向かうと、妻の於比良女がひどく驚いた顔で迎えにでた。
「於比良女、池主は無事か?」
「無事ではない。田村宮に捕らえられた。それより氏上大人、なぜまだここにいるのだ?」
於比良女は咎めるように言った。
「なぜとは、どういう意味だ?」
「そのままよ! 一族の者を救うため、大伴びとはみな武具をとって佐保の邸に参じよと、大人ご自身が命じられたのではないか! わが子はすでに参じたぞ? それなのに、なぜ大人がまだここにいる!?」
「な、何をいうのだ?」
私は狼狽した。
「私はそんなことは命じていないぞ? 主人が捕らえられた家の子は念のため佐保に逃れるようには伝えたが、武具を取って集えとなどとは」
「しかしあの御筆跡はまちがいなく氏上大人のものであった」
「文で命じられたのか?」
「そうだ」
「私の筆跡で?」
「そうだ」
於比良女が力強く頷いた。「撫子の花に添えられたいつもの大人の文だ。見紛うはずがない」
「――それは、私ではない」
「では誰だ?」
「留女だ。佐保の斎姫だ」




