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永遠の春  作者: 真魚
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第二章 犬馬の忠 2

 野辺送りが済むと父の棺は石城の裏手の岩室に納められた。


 墓石に刻む碑の揮毫を、ちょうど同じ頃筑前での任を終えて京へ戻っていた山上前筑前守にお頼みすることになった。

 当代随一の学識と名高い唐帰りの山上億良大夫だ。



 父と親しい交際をしていた前筑前守は、筑紫の頃にいつも来ていた五位の緋の袍ではなく白い喪服で佐保へとやってきた。

 そして私の剣を見ると、ふっと浅いため息を漏らした。

「御佩をお継ぎになったか! 若子には重うないか?」

「いまはやや重くもありますが」と、私は小声で答えた。「じきに慣れるでしょう」

「然様か」

 前筑前守は瞼を伏せて頷き、以前のように私の頭を撫でかけてやめた。



 背後にずらりと長老たちの居並ぶ主屋の板の間で筆を揮った大夫は、酒宴が果てての去り際に、長細い高麗錦の袋を差し出してきた。

「家持ぎみにこの書を差上げよう」

「大夫、忝い。何の書でございますか?」

「歌だ。飛鳥の御代から謡われた秀歌を記してある」

「大夫が記されたのか?」

「然様。末尾のほうには筑紫の頃に大宰府の宴で交わした歌も選んである故、つれづれに紐解いて父御を偲ばれよ」

袋を開けると現れたのは、見たこともないほど美しい紅色の表紙の巻子本だった。

黒木の軸の両端に珊瑚の留め具を被せ、上下に細い金泥の線が引いてある。臙脂と金を織り交ぜた平たい紐の結び目の上に白い題箋が貼られて、鮮やかな朱の字で『類聚歌林巻七』と記してあった。

 その艶やかな装丁を見るなり、私は懐かしい筑紫で目にした唐衣をまとった叔母を思い出していた。

 額に紅で花弁を描き、透き通る領巾を揺らして、濃い紅色の桃花の舞い散る樹下に立つ郎女――……



「なんときららかな――」

 私はため息交じりに嘆じながらその書を手に取った。

「大夫、この書はまるで美しい郎女のようだ」

「郎女?」

「そうだ。赤い桃の花の散る明るい路に立つ、唐ぶりの装いをした乙女のようだ」

 私の心に浮かんでいる誰かがもはや叔母ではなかった。


 海の向こうの明るい庭に立つ、懐かしい、美しい、もう二度と逢えぬ誰かだ。


 その女人(ひと)のことを想ってうっとりと書を抱きしめていると、前筑前守が眦の皺を深めて微苦笑し、優しい手つきで私の頭を撫でた。

「大伴の若子よ、気が塞ぐときには歌を詠みなされ。心寂しいときには歌をお詠みなされよ」


 

 前筑前守のしたためた字句を碑に刻むために、これも亡父と親しく付き合っていた左大弁の葛城王が内匠寮の石工を遣わせてくれた。


「よいよい礼などいらん。ちょうど同母弟の佐為王が寮の長官を務めている故な。佐保大納言の弔いじゃ。あの忌々しい藤原四家も口は挟めまいて!」

 五世の王族である葛城王は、山背の木津川の畔で木場を営むやり手の商人みたいな男だと悪評を立てる者もあったが、鶴のように瘠せた長身の上品な姿に似合わない磊落さに独特の魅力があった。


 黒御影石の墓碑が仕上がると族人たちが縄をかけ、伝来の古歌を唄いながら石室まで曳いていった。

 弔いが終わると、叔母は二人の娘と共に奈良坂の上にある住まいに移っていった。

 

 月が明けて萩が散る頃、父が官位に応じて賜っていた資人を宮へと返すようにと命じられた。余明軍は忌々しそうに萩の花を散らしながら嘆いた。


「私は氏上大人に犬馬のように仕えたかったのだ。末永くずっと仕えたかったのだ。庭の萩はもう咲いたかと病床からお訊ねになったのがつい昨日のことのように思われるのに!」

 資人は散りかけた萩の枝を折って地を叩きながら泣いた。

 この男は君を亡くしたのだと思うと、私の心には不可思議な憐れみが湧きあがった。



 あの頃――


 私は未だ私の君を得てはいなかった。


 それでも君を亡くした益荒男の悲嘆は知っていた。


 まだ恋を知る前の子供が、それでも恋を失う悲嘆を知っているかのように。



 犬馬の忠は恋と同じだ。


 知る者は知る。

 落ちるときは落ちる。


 そこに道理はないのだ。

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