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永遠の春  作者: 真魚
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第二十一章 雪の宴

 明けた天平十八年の正月の朔日は雪が深かった。

 主屋の沓脱へ足を踏み下ろすと、膝まで蔽う藁沓の半ばほどもが埋もれ、厩の馬が外へ出るのを嫌がった。

 この様では朝賀は取りやめではないかと危ぶみながらも、夜明け前から家人らを起こして久々に浅緋の袍を纏った手前もあり、私は雪を踏み分けてようよう宮へとたどり着いた。


 内舎人の頃と異なって脇門ではなく正面の門の階をあがり、これが我らの名負いの門よと心中秘かに興がりながら朱雀門を潜ると、太極殿へと続く大路の真中に細々とした踏み分け道が生じていた。

 供と馬とを外へ残した私は、かじかむ手を擦り合わせながら雪の間の路を辿り、軒の氷柱の先から滴る雪解け水に冠を濡らしながらもようやっと朝集殿へと至った。



 濡れた藁沓を剥ぐように脱ぎ、黒革の沓に履き替えて殿へ上がると思った以上に人気が疎らだった。上座に深紫の衣を纏った橘の大臣が不機嫌そのものの面持ちで坐し、南家の兄弟が左右に並んでいた。

 下座に据えられた火鉢の傍へそそくさと歩み寄ると、袍の裾を抓んで乾かしていた高岡河内が潜めた声で感嘆した。

「おう家持どの。何と佐保からいらせられたか!」

「そこまで驚くことはなかろ。佐保は初瀬の山奥ではないぞ。何故こうも人が寡ないのかの?」

「この雪であるからのう」

 かじかむ指を火で炙りながら待っていても人は疎らなままだった。じきに宿直の内舎人が現れ、気の毒そうな顔を隠さずに朝賀は中止になったと告げた。


「やはりな!」高岡河内が肩を竦めて立ち上がろうとしたとき、橘の大臣が響きのよい御声で呼ばわった。

「諸王諸臣しばし待たれよ! 益荒健男が雁首揃えて何もせぬという手はない。これより西院に参上しようぞ!」

「太上天皇の御在所に何用あってか?」

 浅紫の衣の豊成卿が裏返った声で訊ねると、橘の大臣は呵々と笑って応えた。「決まっていよう、雪を掃くのじゃ!」

「わ、儂らがか?」

「おうとも!」



 呆気にとられる一同を後目に大臣は遣いの内舎人に命じて頭数分の藁沓と蓑と竹箒を運ばせ、そそくさと紫衣を脱がれた。

「みな仕度せい! その身形では雪は掃けぬ。お、巨勢の翁は御慎みなされ。老骨に寒さが堪えよう」

 白髪の大臣が大真面目に告げると、御齢七十七にならんとしていた奈弖麻呂卿が声を立てて笑い、「橘の若子が生意気を申す」と言い返しながら袍を脱いだ。



 そんな具合に衣を替えて私たち本当に中宮の西院へ向かい、氷の張った池の畔や軒下の雪を掃きにかかったのだった。


 白い息を吐きながら箒を動かしているうちに寒さが消し飛んだ。

 私は躰の奥底から久しく感じていなかったふつふつとした歓びが湧き上がってくるのを感じた。

 じきに、外の賑わいに気づかれたのか、太上天皇が廊へと御姿を見せた。


 雪に紛うほど白い御髪を環のように結い上げ、髻の根元に常盤木を髪挿し、若草色の衣に白い裳を重ねた嫋やかな御姿を仰ぐなり、橘の大臣がはっと動きを止め、背筋を正して向き直り、深々と頭を低めた。


「八隅知し吾が姫御子よ、庭先をお騒がせ致す!」

「諸兄は何をやっているのじゃ? 雪の白髪の頭をして雪まろげでも拵えるのか?」

「我が君の御求めとあらば」

 大臣が畏まり切って応えるなり、太上天皇は鈴を転がすような御声で笑われ、傍らの巨勢の中納言を見とめて眉を顰められた。「何と奈弖麻呂までか! 殿上人が顔を揃えて何故雪なぞ掃いている」

「この雪で朝賀が取りやめになった故」

「またも(おびと)の気紛れか! あれも詮方ない」

 太上天皇は主君の御名を呼びつけにして嘆き、庭の一同を見渡して晴れやかな御声で呼ばれた。「みな殿に上がれ! 火にあたり酒を食らえよ」



 太上天皇の御在所の殿はさほど広くはなかった。大臣参議と王たちが大殿の内に招かれ、四位以下の者は南の細殿に並んだ。

 もっとも下位の私のところまで酒杯が回ってくるまでには時間がかかった。ようやく賜った盃から甘い澄み酒を啜っていたとき、愕くべきことに君がお渡りになられたのだった。


 君は金糸銀糸で一面に刺繍を施した赤い衣を纏われ、方形の辺から幾筋もの珠の緒の垂れる重たげな冠を被っていらせられた。

奥の薄縁の上に坐された太上天皇の傍らの床几に腰を掛けられ、しばらくわれらを見渡されてから、独り言のように呟かれた。


「みな雪を詠え」


 宴の席で君が好んで歌を求められることはよく知られていた。

初めに橘の大臣が予て支度をしてあったのだろう歌を捧げ、同じく支度があったらしい紀の氏の大夫二人が捧げた。

これは君の近侍として供をしてきた歌詠みの葛井諸会がいかにも目出度げな言祝ぎ歌を披露した後で、大臣が不意に私を顧みて訊ねた。

「大伴の若子は詠わぬのか? 歌の名手であろう」

「ほう」

 君が興をそそられたような御声を上げ、大臣の視線を追って私に御目を向けられた。私は身の内で百の軍鼓が打ち鳴らされている気がした

「――そなたは、ああ――大伴の? 名は何と申したかの?」

私は雷に打たれたように顔をあげた。

「家持でごさいます」

「大伴の者は殿でも剣を佩くのか?」

「益荒男の伴ゆえ」

「益荒男が歌を好むか」

 主君が揶揄い交じりの御声をあげられ、「ひとつ詠んでみよ」と促された。

私にも予て支度の初春の歌はあったものの雪は読み込んでいなかった。

咄嗟に言葉を失くして視線を泳がせると、軒に列なる氷柱の先から光を宿した水の雫が落ちて砕けるのが見えた。私は必死で言葉を捜した。じきに手許に薄くそがれた木簡と筆が廻ってきた。



  大宮の 内にも外にも 光るまで

  降らす白雪 見れど飽かぬかも



 どうにかまとめた詩句を書きつけながら詠みあげると、君が微かな笑みを浮かべて訊ねられた。

「今拵えたのか?」

「いかにも」

「よい歌だ。そなたの素直な心の内がよう透けてみえる」

 君は莞爾と微笑まれ、私の盃に酒を足すようにと内豎に促された。

澄み酒は冷たく甘かった。


 二月後の春の最中に宮内少輔に任じられた。



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