第十九章 地震 1
万燈会の翌日、金光明寺から山梔子色の袈裟を纏った三人の僧が佐保を訪れ、大宮からの内々の報せだと前置きをして告げた。
「御言は仰せられた。天平十七年正月を以って正六位上内舎人大伴宿禰家持に従五位下を授けると」
有難き幸せと私は平伏した。
歯噛みしたいほどの妬みと憎しみを腹の底に隠して、あの乞食者どもに頭を低めた。
私が初めて紫香楽で緋の衣を纏った天平十七年の正月、行基法師が「大僧正」なる耳慣れない位を与えられた。そして、宮の南の甲賀寺の傍らに、あの巨大な毘盧遮那の骨組みが築きあがろうとしていた。
「この骨に更に土を被せて中型とするのだそうじゃ」
歌集めにしばしば顔を見せていた名の高い文人で、紫香楽の造離宮司を務めた功で外従五位上を授かったばかりの高丘河内が、目元の皺を更に深めて仰ぎながら説明した。
「首皇子と仰せられた頃から大君は仏の事に深く心を寄せておいでだった。大人は知らぬだろうが、私は山上の朝臣や佐為王と共に皇子に学を説いていたのだぞ?」
河内は稚気を滲ませて得意げに笑い、不意に千年も齢を重ねたかのように溜息をついた。「あの頃は思っていたものよ。聖徳溢れる吾が皇子が高御座に着かれた暁には穢土も楽土となろうと」
寺地には鍛冶場の煙が流れて、回廊の周りには獣の巣のような伏屋が群がっていた。煙が目に染みたのか河内が眦を拳で擦り、ふと思いついたように訊ねてきた。「大人はかの歌の木簡を未だ持っているのか?」
「ああ」
「棄てられよ。此方へ参じたからにはな」
河内が掠れた声で云い、啼くとも嗤うともつかない調子で喉を鳴らした。
私はその夕、櫃の底から件の木札を取り出し、膝に当ててへし折ってから、宮の二方を囲む濠の北の端に棄てた。
水仕女たちが汚物を棄てているらしい一画で、諸国からの調につけられた荷札も多く捨ててあった。
屎尿の臭気に耐えかねて口と鼻を押さえると眦から涙が溢れてきた。
授位と共に内舎人の任を解かれた私は散位となったため、任官の沙汰があるまで寧楽へと戻ることになった。
同じ年の四月の初めに紫香楽で大火があった。甲賀寺の東の山から出た火は半月近くも燃え続け、梅雨の走りの小雨が降り始めるまで鎮火しなかった。
この大火が不吉と見做されたのか、同じ月、日嗣の姫御子を呪詛した咎で伊豆の三嶋に流されていた塩焼王が紫香楽へと呼び戻され、諸国の昨年の田租を免除するとの詔が下された。
翌月に初めの地震が起こった。
五月の朔日から連日のように止んでは続いた地の揺れは五日に最高潮に達した。佐保でも主屋の瓦が落ち、厨の甕や土器の類も多くが割れてしまった。亡父の蔵書を納めた奥の間の書房には一面に巻子が散らばり、唐渡りの希少な硯が幾つか毀れた。
断続的に一昼夜続いた揺れが収まった六日の朝、坂上の邸の様子を見に向かうと、叔母が白麻の浄衣に身を質し、枕辺に据えた斎瓮に躑躅の花を盛り上げて神祖に祈っていた
取り乱しているかと思った妻は存外落ち着いた声音で邸の者たちの安否を尋ね、南の田村の庄に住まう同族のもとに嫁いだ同母妹の二嬢の安否も確かめて欲しいと頼んできた。
翌日に紫香楽から右大弁の紀飯麻呂が寧楽へと遣わされてきた。
大宮人が再び寧楽へお戻りになるのだと人々は欣喜雀躍し、五月の田植えの時季だというのに争うように洛中へ馳せ参じた。
諸寺の僧たちも浄人と童子を伴って争うように集まったため、朱雀大路は時ならぬ祭祀のように賑わった。私も族人を率いて朱雀門へと向かい、階に散らばる瓦を取り除けて掃き清めさせた。
翌日からも地震は断続的に続いた。
紫香楽の宮の周辺では再び火事が生じ、淡海から千人の人民を集めて消火に当たらせているという話が聞こえてきた。
十日には四大寺の僧たちが掃き清められた寧楽の大宮に集って大般若経の読経を始めた。
同じ日の朝早くから、弊衣蓬髪の人の群れが平城山を越えて進んできた。
車に家財を山積みにして帯刀の護衛をつけた市人もあれば、腹ばかり膨れた痩せた子の手を引く媼のような母親もあった。
鉦も打たず、乞食者の歌も唄わずに黙々と歩む人々はみな疲れ切って見えた。
物見の報せを受けた書持がすぐさま門を閉ざさせ、外の垣の縁に弓を持たせた家人を並べた。
「食を乞う者には恵んでやりたくはあるが」
内の門へと登る石段の上から坂の様を見おろしながら書持が溜息をついた。
「致し方あるまい。一人恵めば引きもきらずに求めて来るだろうしな。――われらに一切衆生は救えん。救えるのは族人だけだ」
私は自分自身に説くような心地で諭した。
――己の一族をのみ護るということは、そのほかすべての者たちを外へと閉めだすことだ。餓えて疲れて腹の膨れた幼い子どもが泣いていても、頑なに門を閉ざし続けるということだ。




