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永遠の春  作者: 真魚
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第十七章 母の歌 2

 六つの娘に恋文を寄越した奇特な南家の郎子の名は「久須麻呂」というようだった。

「母御はどこの氏なのだ?」

「知らぬ。が、南家の大夫の子であることは間違いないはずだ」

 蝉の翅のように薄い上等の紙に記された歌の出来はまずまずで筆跡も悪くはなかった。


 とえりあえず代作の返歌をしたため、文を結ぶ花の枝でも捜そうと外へ出ると、麗々と白く鮮やかな春の陽射しが降り注いできた。


 石垣の際の山吹が黄金色の蕾を疎らに綻ばせ、右端に一本だけ植わった山桜の根元に雪の斑を思わせる花弁が散っていた。主屋の西を廻って苔生した石段を上っていたとき、行く手から微かな歌声が聴こえてきた。



  うぐいすの 卵の中に ほととぎす

  ひとり生まれて 己が父に 

  似ては鳴かず

  己が母に

  似ては鳴かず


 声は高くぎこちない童女のものだった。

 続きを思い出せないのか、似ては鳴かずと唄ってはしばらく口を噤み、また初めから唄い直している。

 私は何かに駆り立てられるような心地で石段を駆けあがった。


 柔らかな若葉を茂らせる萩の灌木の間を抜けると、北の石垣の際に開けた裏庭へ出た。垣のすぐ際まで平城山の木々が迫って、右端の旧い井戸の周りに薄紅色の堅香子か群れ咲いていた。

 歌の主はその井戸の傍らにいた。

 肩で切りそろえた黒髪を弾ませ、小さな草鞋を履いた足で、襤褸布を紐で括った毬らしき塊を蹴り上げては受け止めていた。

 童女の纏う橡染めの衣は粗末だが清らかだった。

 裾と袖口に朱の糸で梅のような小花が縫い取られていた。


 童女は唄いながら無心に毬を蹴り上げていたが、じきに気づいて動きを止め、兎の仔でも抱くように古びた毬を抱えて向き直った。

 前髪を厚く切り下した貌は幼いながらも秀麗だった。

 瞬きの少ない真黒な眸が真直ぐに私を見上げてきた。


「――乙撫子、か?」

 訊ねると眉根に皺が寄った。私は慌てて告げた。

「怖じるな、私はそなたの父だ」

「父?」

「そうだ。父だ。今の歌は誰に習った?」

 口にするなり胸の底から熱い泡のような何かが湧き上がってきた。

麗らかな春の陽に照らされた乙撫子の髪が揺れていた。娘は眉根に皺をよせて俯いていたが、じきに小声で応えた。

「奥の郎女が教えてくだされた」

「奥の郎女?」

「ああ」乙撫子は重々しく頷き、重大な秘密を打ち明ける声音で続けた。「郎女は歌の巻を持っているのだ。古今の歌がみな記されている」

「皆とは大したものだなあ。その巻は何処にあるのか?」

 訊ねると乙撫子は眉間の皺を深め、上唇を吸い込むようにして俯いて考え込んだ。

 私は思わず笑った。

「案じるな。歌の巻はこの父も持っているから、奥の郎女の巻を取り上げたりはせぬよ」

「まことか?」

「まことだ。ただ、気にかかるのだ。あのほとどぎすの歌は、この父の持つ巻には記されていないのでな。少しばかり見せてもらえんかのう?」

 背をかがめて深刻そうに告げると、乙撫子は真剣に考えこんでから、きっと眉を吊り上げて訊ねてきた。

「父は手はきれいか? 巻を汚しはせぬか?」

「汚しはせぬ、汚しはせぬ、むろん破きもせぬよ?」

「そうか――」

 娘はまた深刻そうに考え込んでから、ややあって重々しく頷いた。

「なら見ろ」

「どこにあるのだ?」

「奥の(おも)の間の櫃だ」

「母の間?」

「知らんのか?」と、娘は得意そうに問い返した。「機の間のことだ。奥の郎女が教えてくだされた。この乙撫子の母はの、いつも奥の機の間で布を織っていたのだと。邸で一番巧みな織り手であったのだと」

 そう告げる娘の顔は誇らしげだった。

 奥の郎女というのが誰であるのか、私にはさっぱりわからなかった。

 やはり留女なのだろうか? 


 乙撫子は歌の続きを知っていた。

堅香子を摘みながら口ずさむのに続けて唄ってやると、前歯の一本抜けた口を開いて声を重ねてきた。

小さな背をかがめて花を摘む姿がまるで稚い撫子を見るようだった。日暮れの前には戻るようにと言い置いて前庭へ向かうと、花の無い山梔子の茂みの前に同母妹が立っていた。

張りのない白い衣に淡い黄の裳を重ね、褪せた朱の緒で髪を束ねた細く長い背を私は初めて見るような心地で眺めた。



「――のう留女よ」

 滅多に口にしない名を呼ぶと、馬の尾のように髪を弾ませて同母妹が振り返った。眉の間に皺を寄せた表情が可笑しいほど乙撫子と似ていた。

「そなた、歌の巻を持っているのか?」

「歌の巻?」

「乙撫子が云っていた。奥の郎女は機の間の櫃に古今の歌を記した巻を持っていると」

「ああ」同母妹が苦笑して眼を逸らした。「あの婢の死んだあと、今のように気鬱に沈んでいた兄上の書き散らした歌がやたらと散らばっていたからな、暇をみつけて糊で継いで巻いておいたのだ」

 留女は顎を俯けて口早に話し、不意に用途を思いついたように山梔子の若葉を摘み始めた。縁のすり切れた袖口から筋張った腕が突き出し、骨の目立つ手首に巻貝を輪切りにした古風な白い鐶が嵌まっていた。

 私は胸にほのぼのとした温かみが広がるのを感じた。

 留女はあの娘を気にかけ、大事に育ててくれているのだ。

「――のう留女。いろいろ世話をかけるの」

「お気になさるな。家の女の務めよ」

「乙撫子の先についてはみなそなたに任せる。良い縁があれば嫁がせてくれ」

「ああ」

 留女が顔を向けないまま頷いた。

私は甘く濃い山梔子の花の芳香を思い出した。

「橘は――」

 思わず口にすると留女が肩を強張らせた。

私は慌てて取り繕った。

「橘を植えるか? あの唄のように、植えればまたほととぎす が訪れるやもしれぬ」

 軽い口調を拵えて告げると、同母妹は喉を鳴らして嗤った。「橘はいらぬ。あれはやたらと虫がつく」



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