第十七章 母の歌 1
奈良麻呂どのが安積皇子の死を難波へ報せに発った翌日、大市王と紀飯麻呂が弔いの支度を調えるために遣わされてきた。
山辺に桜の咲き誇る春の最中、皇子の骸は和束川を遡った先の谷間にまるで自然の陵墓のように盛り上がる小さな岡地の頂で焼かれた。
金壺眼の帳内が青空へ立ち昇る煙を仰いで山犬のように咆哮していた。
私は皇子のために二つばかり長歌を拵えたものの、桜や鮎といった春の風物を型通りに並べた月並みな歌しか作れなかった。
皇子の弔いが住むと、私は重い気鬱にとらわれ、喪服のまま佐保へと戻った。
翌月に兵部卿を務める摂津の牛養が訪ねてきた。
「久しいな佐保の大人よ。その服喪は安積皇子のためか?」
「ああ。摂津の大人は恭仁の留守居役に任じられたそうだな」
「他にも四人いるがな。南家の仲麻呂は難波へ行ったぞ。寧楽の豊成もだ」
牛養はそこで言葉を切り、広いばかりの板の間に視線を廻らせた。
「大人よ、耳目はお気になさるな」私は苦笑して告げた。「この邸にさして家人はおらぬ。主が六位ではな!」
「氏の御佩を預かる身がつまらぬ卑下をなさるな。もしかの皇子が高御座に上っていたら、間違いなくそなたはは今ごろ大織冠を賜っていたであろうよ」
牛養が投げやりな声音で云い、浅い溜息をついてから、私の貌を覗き込むようにして訊ねてきた。「なあ佐保の。もし――もしだぞ? もし仮に大君が南家の兄弟に唆されて碌な供もつれず紫香楽に行幸なされたとしてだ。難波に残る橘諸兄が族の兵を集めて参じよと命じたらいかがする?」
「命じる理由によるな」
「太上天皇の勅であったら?」
「勅とは帝の御言葉であろう?」
「その通りではあるが」
牛養が苦笑して生際を掻いた。「では、そなたはあくまでも大君の御言葉にのみ従うというのか? たとえ大宮が藤蔓で十重二十重に絡め取られていようと」
「ああ」
私は深い虚しさと共に応えた。牛養はしばらく口を噤んでいたが、ややあって潜めた声で訊ねた。「では、もし安積皇子が存命であったら? 橘がかの皇子を奉じて大君に叛旗を翻していたら、そなたはどう動いたのだ?」
「――どうもなにもなかろう!」
私は苛立ちをむき出しにして答えた。「皇子はすでに亡いのだ! わずか十七で、御父君にさえ顧みられず、お一人で亡くなられたのだ!」
掌に爪を食い込ませて声が震えるのを堪えながら応じると、牛養が眼を見張り、極まりの悪そうな面持ちで詫びた。「相済まぬ。御主人を亡くした益荒男に心ないことを訊ねた」
牛養の読みは果たして当たった。
二月の末に君が三嶋の路を通って紫香楽へ赴かれた三日後、橘の大臣が太上天皇の勅と称して難波を皇都に定め、京に戸籍を持つものは恭仁と難波を往復するようにと宣べた。
同じ頃、寧楽の南家の邸から梅の枝に結んだ恋歌が届けられた。
仲麻呂大夫の数多い息子のどれかからで、愕くべきことに留女にではなく乙撫子にあてたものだった。
「南家の郎子からは昨年からしばしば歌が届いている」
陽当りのよい廊に坐って錘を廻しながら留女はこともなげに話した。「お報せしようかとも思ったが、氏の大事の続く折に、妾の子の嫁ぎ先なぞで煩わせるのは如何かと思ってな」
「嫁ぐなどと。あれは未だ五つだろうに」だ
「六つよ」
留女が呆れたように喉を鳴らし、糸が絡んだのか眉を顰めて指先を陽にかざした。
「本当にあれへの歌なのか? そなたへの求婚ではないのか?」
「兄上、南家の郎子は十五、六だぞ? 私のような媼に歌など寄越すものか」
「そなたはまだ花の盛りであろう?」
呆れて応じると留女はまた鼻を鳴らし、糸を咥えてかちりと噛み切った。「何が盛りなものか! 女の花の盛りは短いのだ。求める男のあるうちに惜しまず与えるがよい」
留女は馴れた手で紡錘を廻しながら顔も向けずに話した。




