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永遠の春  作者: 真魚
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第十六章 松風 1

 春の旱から一転してこの年の夏は雨が多かった。

 外へ出づらい徒然に、私たちはいよいよ『万代の集』の編纂にとりかかった。


 並べ方については時間の順と季節の順、題材ごとの三通りが挙がったまま、誰もが譲らなかったため、結局すべてを採用し、初めの巻では上代の帝や皇子がたの御歌を史書のように並べ、春夏秋冬それぞれの巻を続けたあとで、相聞と挽歌と雑歌の巻を付け加えるということになった。

 初めの歌として、私はあの大初瀬稚武の帝の御歌を選んだ。


 

  籠よ み籠もち ふくしもよ

  みぶくし持ちて この岡に

  菜摘ます児 家聞かな 名告らさね

  そらみつ

  大和の国は おしなべて

  我こそ居れ

  しきなべて

  我こそいませ 我こそは 告らめ 家をも名をも



 口ずさみながら筆を動かしていると、懐かしい明るい初瀬の春の思い出がしきりと蘇った。私はちょうど今の皇子ほどにも稚く、小鹿の郎女はまだ花のように美しく、市原王はのんびりとした優雅な文人で、撫子は朗らかに笑っていた。

 戻れない遠い春――……非時(ときじく)に変わらぬものがないことが私は哀しい。朽ちてゆく美しい有情がつねに惜しまれてならない。


 仏法ではこうした(こころ)を煩悩と言うのだそうだ。



 そうして静謐な夏が過ぎ、実入りの少ない秋が訪れる頃、君はまた橘の大臣を恭仁に残して紫香楽へ行幸なされた。供奉するのはまたも中衛舎人で内舎人は恭仁に残された。



 この行幸は長引いた。平城山の尾根から吹き下ろす風が冷たさを増す冬の初め、今や泉橋寺と大書きされた額を掲げる河原の堂の周囲に屯する優婆塞(ウパーサカ)たちが、行基法師を頭に立てて新道を北へと発っていった。帝はかの法師のために紫香楽に大寺を築かれるのだ――と、恭仁に残る者たちは噂し合った。

 結果としてこの噂は本当だった。十月の半ば、橘の大臣が残留する宮人を朝庭に集め、主君が紫香楽でなされた詔を伝えられた。

「御言は仰せられた。菩薩の大願を発して盧遮那(ルシャナ)仏の金銅像一躯を造り奉れと。国の銅を尽くして像を鋳り、大山を削って講堂となせと」

 位人臣を極めた証の深紫の袍を纏った大臣の声は潮に嗄れた漁夫のように掠れていた――……


 毘盧遮那。

 あのとき我々は初めてその名を聞いた。

 それから長い、永いこと聞き続けることになる巨大な仏の名を。



 明けた天平十六年の正月、我らの歌集の初めの巻の装丁が仕上がった。


まずは橘の大臣にお目にかけようと井手の邸を訪れると、川津に見るも鮮やかな屋舟が停まっていた。反りのある舳の先に黄金の竜頭を飾り、朱の欄干を廻らせ、白壁に碧の格子を嵌めた屋の甍屋根の両端に金の鴟尾を飾っていた。

「何と絢爛(きらら)かな。御座船のようではないか」

 同行の大原今城が感に堪えかねたように呟くと、前を行く福麻呂が我が意を得たりとばかりに頷き、秘密めかした小声で囁いてきた。

「まさに御座船になるのだ。ここだけの話だが、御主人は大君を難波へお連れしようと志しているゆえな」

「またも遷都ということか?」

 訊ねると福麻呂は曖昧な含み笑いを返した。


 我らを主屋の廊で迎えた橘の大臣は、冬に盧遮那仏建立の詔を伝えられた折よりも活き活きとして見えた。

 福麻呂が目配せで止めるのを放って、難波への遷都を志されるのかと訊ねると、喉を反らして呵々と笑われ、志してみようぞと嘯かれた。

「案じるな。勝算はある。大君がそもそも大仏とやらを鋳造ろうと思い立たれたのは、広嗣の叛乱以前に難波に行幸なされた折、河内の智識寺の盧遮那仏を見てからだったと聞いてな、ならば紫香楽に寺を造る前に再び河内の仏像を拝されては如何かと申上げたのじゃ。大君は心惹かれていらせられる。難波へ導いてしまえばこちらのものよ、堀江に舟を浮かべて遊覧をしてもよし、水鳥の遊猟(かり)をしてもよし。仏のことを忘れて心行くまで、愉しまれれば、紫香楽の乞食法師のことなどお忘れになるだろう」

「では、我らの歌の集は」

「今少し急いで編め。難波へは安積皇子もお連れ致す故、巧く運べは夏までには位を授かる筈だ。歌集は祝いに献上する。みな大いに励めよ!」

 大臣は晴れやかな声で鼓舞し、紙やら布やら干し鮑やらを土産にと舟に積ませた。

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