第十五章 五節
私にとっては幸いなことに、あの夜、佐保の邸には何者も匿われてはいなかった。
後から聞いた話では、塩焼王ご自身が女たちを連れて鵤から龍田道を経て難波へ逃れようとしているところを、峠で待ち伏せしていた中衛舎人の一隊に捕らえられたらしい。
王はそのまま寧楽の獄に留められ、月が明ける前に伊豆の三嶋へと流されることが決まった。
この呪詛事件には今一人、表沙汰にされない首謀者があると専らの噂だった。
君の実の姫御子であり、安積皇子の同母姉に当たる不破内親王である。
塩焼王はこの姫御子の夫だったのだ。
王と共に捕らえられた四名の女もみな不破内親王の女嬬だったという。
この事件の後、不破内親王は無品に落とされ、母の県犬養の夫人の局へ留め置かれることとなった。
同母姉がそのような立場になると、安積皇子の身辺も急に物寂しくなった。
八束大夫はそれでも冬には雪見の宴を開いて皇子をお招きしたが、連なったのはほんの両手の指にも足りぬほどの人数だった。
「のう家持よ、そなた、私に遠慮などせず、藤原の大后の写経所へ参じても良いのだぞ? 市原王などはどちらにも顔を出していようし、八束はどこにだって顔を出してよう」
宴が果てた後で、皇子がひどく大人びたお声でそんなことを仰せられた。
私は笑って、いつだか告げられなかった言葉を告げた。
「皇子よ、ご案じ召されるな。この家持、下心なく御身にお仕え申し上げますゆえ」
するとわが皇子は声を立ててお笑いになられた。
「詮方ない益荒男めが!」
その明るい笑いはおん父君とよく似ていらせられた。
塩焼王が配流された後、すぐには次の中務卿が任じられなかったため、十二月の行幸に内舎人は伴われなかった。
君は秦の族と中衛舎人を主とした騎兵を護衛につけて紫香楽へ赴かれ、正月の初めに橘の大臣を先んじて恭仁へと御戻しになられた。
大臣に遅れて翌日に還御なされた君は、恭仁の地に溢れる僧たちをみな大和の金光明寺へ赴かせ、米塩を給して四十九日の読経をさせるようにと命じられた。乞食僧たちは鐘を鳴らして唄いながら橋を渡り、奈良坂を越えて大和へ向かっていった。
その法会の果てる頃、長い旱が始まったのだった。
桜の散りきる三月から卯の花の散る五月まで全く雨の降らない陽気が続いたために、恭仁の京の土の大路はからからに乾き、泉川の流れも細って、土にまみれた橋脚の根が夏の陽に晒されていた。
「のう氏上大人、これはいよいよ雨乞いをせねばいかんぞ」
坂上の叔母の主張を入れて私は大和中の族人を呼び集めた。
雨乞いの祭祀の支度は大がかりだった。
青草の繁る佐保の野の一画を円く刈り、山辺から根扱ぎにして移した榊の若木に楮と木綿の束を結び、輪切りにした青竹を紐に連ねた飾りを掛けて、根元には赤茶けた土器の甕の尻を埋めて水と米とを供えた。
叔母はその木の前に跪き、神代の大久米主から始まって寧楽の京の従二位大納言旅人に終わる氏の祖の名を呼びたてて雨を願った。
族人たちも叔母の声に合わせて空を仰いで叫んだ。
大伴の遠き神祖よ、大久米主の尊よ、雨を、雨を、あめをふらせたまえ――
空には雲一つなかった。
仮借なく照りつける夏の陽を浴びた叔母の髪が、老いた赤駒の尾のように乾いていた――……
宮でもさすがにこの旱は案じられたらしく、五月の節会に群臣が集められ、日嗣の姫御子が御自ら五穀豊穣を祈念する五節の舞をなされた。
艶やかな黒髪を髻に結い上げ、額に金の冠を飾り、緑に紅を重ねた衣の袖を翻して舞う姫御子の御姿はきらきらしかった。
地の泥を知らぬ天女の舞を見るようだと嘆じながら、私は稲田の畔に立って黄金の穂波に眼を細める叔母の横顔を思い出していた。
叔母は確かに美しくはあったが、決して天の女ではなかった。
自ら庄をめぐって実りの検分をし、籾の重さがごまかされないか厳しく目を光らせ、実りを言祝ぎ、雨を乞い、死者の蘇りを祈った。
懐かしいわれらの斎姫よ。
土の穢れを知る姫よ。
あなたのような斎は今の世にはもう生まれぬ。あの古いおおらかな世――今となってはもはや神代のような遠い昔の世にしか、あのような斎の姫は生じようがないのだ。
この節会の席で橘の大臣が従一位左大臣を拝し、南家の豊成大夫が従三位に上がって中納言に任じられた。
仲麻呂大夫も参議になったため、南家からは二人の参議が並び立つこととなった。
この節会から幾日も経ずに五月雨が降り始めた。




