第十四章 呪詛 2
「大人よ、開門を願えますか? 邸の内に叛徒がおらぬか検めさせてください」
武官が恭しく言った。
私は左手の石垣の上に目を走らせた。
垣の際に植えた茨の枝が溢れるように盛り上がっている。
人の気配は――ない。
――書持め、何をやっているのだ……
武官がじっとこちらを見ていた。
今この状況では多勢に無勢だ。
いずれ古麻呂が族人を集めて山背から駆けつけてくるだろう。
それまで戦うわけにはいかない。
私は乾いた唇を舐めてから訊ねた。
「叛徒とは誰のことか? 大宮人の通わぬ寧楽で何が何に叛いたというのだ?」
「中務卿でございます」
「――塩焼王が?」
私はあきれ果てた。「あの王にはさしたる同族はない。もし宮に背くなら、使える兵士は内舎人しかあるまい? あいにくとわれらは宮に弓引くようにとなど命じられておらんぞ?」
「武力ではなく巫術でございます」
「巫術?」
「然様。大人はちかぢか参議兵部卿大将が氏寺にて法会を催されることはお聞き及びですか?」
「その長々しい官職をすべて並べるのをやめよ。耳に煩わしい。豊成大夫の法会のことならむろん聞いてはおる。鎌足公の御命日であろう?」
「いかにも。その会に、恐れ多くも藤原の大后と日嗣の姫御子も御連なりになるゆえ、参議兵部卿大将は前もってわれら中衛舎人に山階寺の周囲を検めさせました。その折に、門前の辻で怪しげな女が何かを埋めているのが目撃されたのです。掘り出したところ、日嗣の姫御子の御名を刻んだ人形が現れたのです」
「なるほど。その女がなぜ塩焼王の手の者だと?」
「女は中務卿の留守宅へ逃れたのです。われわれは引き渡すよう求めましたが、一向に開門されないため、詮方なく門を破って邸のなかを探索いたしました」
「――浄御原の帝のおん孫たる二世の王の邸の門を破ったと? なんという狼藉を……」
「恐れながら大人よ、それが律令の定めというものです」
武人は重々しく告げた。w
「そして、女はいたのか?」
「――いいえ。開門を拒まれているあいだに、いずこかから密かに逃されたものかと」
「ああ、それで塩焼王にゆかりのある邸を当たっているのだな?」
「その通りでございます」
武官はほっとしたように応じた。
「われらは決して無法な狼藉を行っているわけではありません。経緯が分かりましたら、どうかお手の剣を収めていただけますか?」
「うむ」
言葉を交わしながら耳をそばだてていても、背後の坂を駆け下りてくる蹄の音は聞こえなかった。
私は剣を鞘に納めて馬を降り、同じく下馬した従者に手綱を預けて門前へ歩み寄った。
黒く錆びた三対の鋲を打った門扉に見慣れた木目が浮き上がっていた。扉に掌を当てて手触りを確かめると心が落ち着いた。
そのとき、背の後ろの垣の上からごく微かな打音が聴こえた。こつこつこつ、と指の背で硬い木の何かを叩くような音――……
――書持だ。
あれが茨木の陰に身をかがめて弓を握っているのだ。
そうと察するなり垣の上から幾つもの秘かな息遣いが聞こえてくる気がした。
私は湧きあがる歓喜を隠して馬上の武官に向き直った。
「中衛将曹よ、ではそなたは、この大伴の氏上の門の内に叛徒が匿われていると疑うのだな?」
「大伴の門には先例がりましょう。後ろ暗いところがなければ、どうか検めさせてください」
「――よかろう。存分に検めよ。だがもし叛徒がなかったら相応の償いをしてもらうぞ?」
「償い?」
「ああ」
私は頷き、顧みないまま命じた。「――書持、弓弦を鳴らせ!」
間髪入れずに背の後ろから十数の弓弦の音が響いた。
騎馬の武人が僅かにひるんだ。
私は再び剣を抜いて切先を突き付けた。
「きけ賎の男! 名負いの氏の上の家に疑いを向けるのだ、もしも誤りであったならその首もらい受ける!」
私の怒号に合わせてまた弓弦が鳴った。
武官は口許を歪めて何かを云おうとしたが、不意に右手の坂の上を見やると、眉をしかめて兵たちを顧みた。
「みなひとまず退け! 参議兵部卿大将の邸へ報せるぞ!」
叫びが終わるか終わらぬかの内に、坂の上から無数の蹄の音が聞こえてきた。
山背から加勢がようやくに着いたのだった。




