第十三章 山桜 1
ごく内々のものとはいえ、橘の大臣の筆跡で安積の二字を明記した木簡の効き目は絶大だった。
前の年から右衛士督を務めていた八束大夫に歌集めの依頼を仄めかすと、案の定手を打ち合わせて興がり、二月の半ば、泉川の南の鹿背山で顔合わせをする運びとなった。
表向きは桜を愛でる会ということになっていたため、みなが明るい狩衣姿で、なかなか華やかな集まりだった。
あの折は本当に桜も咲いていた。あの薫り高い唐渡りの梅――蝋細工を思わせる厚みのある花弁と鮮やかな黄の蕊と、甘い濃い薫香を備えた花とは異なる、ひらひらと薄く頼りない、風に舞う白い灰のような山桜の花だ。
散りやすく儚く香を持たない山の花の枝を仰いでおのおのに歌を披露したあとで、私は定められた台詞を口にするように申し出た。
「方々よ、この会の記念に、今の歌を記した集でも編んでいかがか?」
「おお、それはよい!」と、八束どのが空々しく賛成すれば、市原王がにんまりと笑って、
「先の侍講たる山上憶良の編んだ『類聚歌林』のごとき集ですな?」
と、言い添えた。
「それならば題字を定めねば」と、言い出したのは誰だったか――私はしばらく考えてから、正月に拵えた言祝ぎの歌を思い出した。
君が一瞥さえくださらなかったあの祝いの歌だ。
「氏上大人よ、何か思いお呼びか?」と、歌を記させるために連れてきた同族の池主が、早くも木簡と筆を手にしながら訊ねてきた。
「ああ」
「何となさる?」
「――万代の集と」
「万代か。目出度げでよいのう」
大原今城が賛同すると、皆も口々に「それがよい」と認めた。
なにしろ歌を好むものばかりの集まりである。そこからは、集をどのように編もうかという話で盛り上がった。
春と夏、秋と冬と、季節ごとに歌を並べてゆくのが良いと言う者もあれば、上代から今の世まで、時の流れに従って並べるのが良いという者もあった。相聞は相聞、挽歌は挽歌というように、種類ごとに分けるのが良かろうという案も出た。
日が傾ぐまで話し合い続けたわれらは、「ではまたつぎに」と言い交してから、同心の誓約の代わりに、橘の大臣のお詠みになられた安積山の歌を唱和した。落日に染まった空を背にして、散りやすい稚い山桜の花が白く浮き上がって見えた――……
この桜の集いから幾日も立たない二月の末に、橘の大臣の仰せられた通り、君は恭仁を発して淡海の東岸へ通じる道を開くようにと命じられた。
泉川の北岸に注ぐ和束川の畔を遡り、分水嶺を越えて紫香川の渓流の東岸を下った先に開ける甲賀郡の小盆地が道の行きつく先だった。
君はその紫香楽なる小さな盆地に新たな離宮を築けと命じられ、辛うじて体裁が整うなり行幸を定められた。
――君はなぜこれほど頻繁と宮を移されるのであろうと、私たちは案じていた。まるで何かから逃れるかのように、築いては打ち棄て、また築き、彷徨いを続けられるのであろうと。
私は大和の各地にある庄が気がかりだった。ずっと同母弟に任せきりにしてある邸も気がかりだった。
均されたばかりの山路を行くための支度は大がかりだった。
中務卿を務める塩焼王が前方の次第司に任じられたため、中務省に属する内舎人にも揃いの浅緑の衣が給され、御輿の前を徒歩で先導することになった。
八月の末、泉川の水面から霧の立ち昇る朝まだきに朝庭に集ったわれらは、鉦を打ちながら乞食者の歌を詠う優婆塞の群れの居並ぶ大路を東へ進み、眼下に清流を望む崖沿いの路を歩んで山路へ分け入った。
尾根を越え、激しい瀬音を立てる渓流の辺を下りにかかると、川の曲がりに抱かれる小さな平地が時折現れ、木柵の向こうで草を食む馬どもの姿が見えた。
やがて流れが幅を増す手前の渡し場を越えるとその先が紫香楽だった。
すっかりと幅を増した紫香川の北岸に注ぐ枝川の上が二又に分かれて、自然の濠さながらに離宮を護っていた。
君はこの宮で七日を過ごされ、九月の初めに恭仁へとお戻りになられた。
塩焼王から次の行幸は暮れになろうと聞かされたため、私は久々に大和へ戻って竹田の庄をおとずれた。
境に槻の古木を植えた庄には坂上の叔母がいた。
実入りの季節にはいつもそうするように田屋で帳簿を検めていたのだ。
歌集めの話を伝えると叔母は童女のように喜び、過去の三人の夫たちと交わした恋歌はみな書き留めてあると、目尻の皺を深めて懐かしげに諳んじてみせた。私はすべて集に入れると約束した。
身びいきを別にしても、叔母の恋歌は本当に美しいのだ。佐保川の水を踏んで通ってくる夫の馬の蹄の音に耳をそばだてていた若い叔母の心の高ぶりや、来るといっていたのに来なかった夫への恨みつらみや失望や、それでも来るかと期待してしまうおのが心の浅ましさを自ら笑う心地などが、言葉のなかからまざまざと蘇ってくるのだ。




