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永遠の春  作者: 真魚
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第八章 むささび

 撫子の遺児は母の名をとって「乙撫子」と呼ばせることにした。


 翌年の五月に帝が橘の大臣の井出(いで)の別邸に行幸なさり、酒宴の席で奈良麻呂どのに従五位下を授けられた。


 父兄の位階に従って子に位を与える蔭位の制度に随えば、従二位右大臣の嫡子である奈良麻呂ぎみは二十一で正六位下を授かるはずだった。それが無位から一足飛びに五位を授かったのだ。諸兄公に重んじられた玄昉法師は僧正で、下道の真備は八位から従五位上まで一気に位階を駆けあがって右衛士督を務めていた。


 世は橘の天下だった。


 同じ年の秋、藤原広嗣が筑紫で叛乱を起こした。


 広嗣は八月の末に、玄昉僧正と下道真備を奸臣と名指しし、近年の災厄の源であるとして宮から追うように言上したものの、この訴えを退けられたために、国の兵を集め、蛮族の隼人の長たちまでも集めて叛旗を掲げたのだ。

 帝は報せが届くなりすぐさま勅を下され、前の年に参議に連なったばかりの前鎮守将軍の大野東人卿に節刀を授けられ、五道から一万七千の兵を集めて筑紫へと赴かせた。そして大王家の斎姫が御鏡を護られる伊勢へと人を遣わせて幣帛を捧げさせるとともに、諸国には七尺の観世音菩薩像を一体造り、さらには観世音経十巻を写すようにと命じられた。

 広嗣は筑前のどこやらの郡家に拠って弩を調え、狼煙をあげて国中の兵士を集めつつあるという話だった。



 日々届く新たな凶報に宮中が恐々としていた十月の末、帝はついに自ら伊勢へ赴くと仰せられた。



 この仰せは大宮人を喜ばせも案じさせもした。

 日ごろどれほど仏道を偏重しようと帝もやはり終いには氏の祖を重んじるのだと随喜する古老もあれば、いやいや帝は蝉が殻を棄てるように叛徒の迫る寧楽の京を棄て去るおつもりなのだ、橘の家が自らの権勢を固めるために己らに所縁の山背に帝を招いたのだとしたり顔で囁く若人もあった。


 時季を選んで舟で渡れば事足りる難波への行幸と異なり、陸を進むほかない山越えの行幸の支度は大がかりだった。造営の司が定められて道々に行宮が新造され、御輿の護衛には秦の族と東西史部の族に中衛府の舎人を加えた四百の騎兵隊が編成されて、これも疱瘡の年に没した南家の武智麻呂公の次子にあたる藤原仲麻呂大夫が前衛の大将軍に任じられた。


 神亀五年に新設された中衛府は、衛門府、左右衛士府、左右兵衛府という律令の定める五衛府に含まれない令外の官である。

 国ごとの軍団から送られる衛士からなる五衛府と異なり、主に東国の郡司の子弟が縁故によって選ばれていたため、設けられた当初から時の権力者の――すなわち藤原四家の長たちの私兵のように見なされていた。

 その中衛舎人を主とする騎兵部隊の先頭に淡海公の長子の家である南家の仲麻呂大夫が立つのだ。藤原の権勢も衰えきってはおらぬ、ともすればまた南家が盛り返すやもしれぬと宮人は囁き合った。



 当の藤原の一族である式家の広嗣が反乱を起こしているというのに、藤原がまた盛り返すかもしれぬ――などと思われたのは、あの頃「南家の大夫」と呼ばれていた藤原仲麻呂どのという男の独特の存在感のためだった。

 仲麻呂大夫はあのころまだ三十をいくつか過ぎたばかりだっただろうが、まるで百年を生きた老臣のように堂々としていた。背が高く厚みのある体つきで、眉が太く唇が赤い堂々たる美丈夫ぶりが、巨きな檜から削り出された毘沙門天の仏像のように重々しかった。


 彼にならどんな大事でも任せられる――と、見ていて思わされるような姿かたちの持ち主だったのだ。



 そうして迎えた出立の朝、京には時雨が降りしきっていた。

 朱雀大路の彼方に見える羅城門の輪郭がおぼろに霞んで、佐保川の水を引き込んだ濠の面が湧き立つように泡だっていた。美々しい隊列を見送る京人の姿は外濠の打橋を渡るなり見えなくなった。

雨は降ったり止んだりを繰り返しながら激しさを増し、二日後に伊賀の山地に差し掛かるころにはまさしく篠突く大降りになった。

 京を出てから崩れがちになっていった隊列はもはや跡形もなくなった。

 滝のように水の流れる山路を登らせるために、騎兵たちが馬を降りて獣の尻を押していた。雨音に怯える馬たちの嘶きや、叱り宥める騎兵の東国訛りの怒鳴り声を聞くうちに、私はふと死んだむささびのことを思い出していた。



 その獣は前の年の秋に坂上の叔母が佐保へと届けにきたものだった。

 竹田の庄での収穫を終えて坂上へ戻る途上で、叔母はわざわざ佐保に立ち寄って私に籠を差し出してきた。

 そのとき獣はまだ生きていて、黒漆塗りの籠のなかでジタバタと暴れていた。


「――斎姫よ、この獣は何だ?」

「むささびだ」

「それは見れば分かる。何故そのむささびを、わざわざ私のもとへ?」

「それはな若子よ――」と、叔母は黒目がちな眸を輝かせて得意そうに言った。「このむささびはの、大君が高円山で狩りをなされていたおり、勢子から逃れて元興寺の我が宿坊に飛び込んできた獣なのだ」

「この獣が宿坊に? 大変だ。御怪我はなさらなかったか?」

「大事ない。それより家持、聞いておったのか? この獣は、大君の! 狩りを逃れてきたのだぞ?」

 叔母はもどかしそうに云った。「そなたはこの獣について歌でも拵えて大君に献上なされ。歌が思いつかぬなら見本を拵えてきた。すべてそなたの手柄にしてよいぞ? さ、遠慮のうとれ」

 そう言って叔母はもう歌の記された木簡を差し出してきた。


 私は丁重に礼を述べて受け取ったものの、叔母はあまりにも今の世情に疎くなりすぎていると感じずにはいられなかった。

 ――叔母の住む世界では、大伴の氏上はほんの些細なきっかけさえあれば、帝に気安く会える身分なのだろう。

 しかし、私は正六位下の内舎人であって、帝の御前に跪くことさえできないのだ。


 結局外には出さないまま憐れな獣は死んだ。

 籠の中に籠められたままやせ細って死んでしまった。



あの獣は放してやればよかった。


なんの役にも立たないのなら、外で好きに死ぬまで生きさせてやればよかった。

そんなことを想いながら泥濘を歩いていると心が重くなった。私は気を紛らわすために歌でも唄うことにした。



真木立つ

不破山越えて 高麗剣 和射見が原の 行宮に

天降りいまして 天の下 治めたまひて 食国を

定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御軍士を 

召したまひて

ちはやぶる 人を和せと まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら

任けたまへば

大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 

御軍士を あどもひたまひ 整ふる



 菅笠の縁から雨の雫を滴らせながら私は謡った。

謡ううちに涙が湧き上がってきた。「鼓の音は雷の」とひときわ高く声を張り上げたとき、不意に背の後ろから右肩を叩かれた。


歌を止めて振り返ると、私と同じく笠を目深にかぶって藁沓を履いた帯刀の男が立ちはだかっていた。

「なんだ。何か用か?」

 極まりの悪さを隠してつけつけと訊ねると、相手がびくりと首を竦めて肩から手をどけた。

「――いずこの大夫か?」

 相手の言葉には明確な東国訛りがあった。

「大夫ではない。未だな。大伴の氏上だ」

「さようか」分かっているのかいないのか帯刀は曖昧な声で応え、笠の縁をわずかに持ち上げて目元を覗かせた。

「では大伴の氏上よ、先ほどのは何じゃ?」

「先ほどの?」

「歌じゃ。御身の謡っていた」

「知らぬのか? あれは人麻呂の挽歌だ」

「挽歌? 戦の歌のように聞こえたが」

「謡っていたのはそうだな。人麻呂が高市皇子に捧げた挽歌のうち、壬申の日嗣争いの折に父帝のために戦われた高市皇子の武勲を讃えるくだりだ」

「皇子の武勲か!」帯刀は満足そうに頷いて笠を被り直した。

「氏上よ、忝い。わが君が聞くよう仰せでの。さしつかえなければ、どうかそのまま歌を聞かせて欲しい」

 帯刀が頭を低めると笠の傾斜から滝のような雨水が流れ落ちた。


 藁沓で泥濘を跳ね散らかしながら駆け戻る先に目をやると、黄赤の帳を垂らした屋根付きの輿が見えた。


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