第七章 冬の紅葉 2
同母妹は結局それきり奈良麻呂どのとは縁を切ってしまったようだった。
その年の末、十二月の四日に、藤原広嗣が大宰府の少弐に任じられた。
先の疫病の年に死んだ式家の宇合卿の子である。
藤原四家の子息が大宰府へやられるなど、かつてなら到底考えられない人事である。
藤の栄えはついに終わり、いよいよ本当に橘の時代が来たのだ。
誰もがそう感じていた。
明けた天平十一年の正月、諸兄公は従二位を授かり、同族の古慈悲が従五位下を授かった。宮中の官位では五位と六位のあいだには大きな差がある。
帝の御前に出られるために「まえつきみ」と呼ばれて敬われるのは五位からなのだ。古慈悲は鮮やかな緋の袍を纏って邸へと拝賀に訪れ、象牙の杓をひとしきり見せびらかしてから帰った。
三月には帝が山背の甕原の離宮へ行幸なされた。月の初めと末の二度あったため、供奉をする内舎人も何かと忙しなく、京へ戻っても宮中で寝起きしていた。
そうして夏の初めに久々に佐保へ戻ると、書持から撫子が死んだと聞かされた。
「春に児を生んだきり臥せがちになっていたのだがの、暑さが増すにつれて弱っていったそうだ」
書持はまるで老いた馬か牛でも死んだかのように平静な口調で告げた。私は信じられなかった。
「――何故、報せなかった?」
「何故と言われても――」と、同母弟は口ごもった。「公事に多忙な氏上大人を、飽いた妾のことなどで煩わせるものではなかろう?」
「私は、あれに飽いてなど」
口にしてしまってから私は気付いた。
飽いていた。
たしかに私は撫子にとっくに飽いていた。
笑わなくなった撫子、触れても畏まるばかりの撫子、跡見の少年の春の最後の名残のようだった撫子を、思い出すことさえなかった。
可哀相な撫子はそのあいだに死んだのだ。
この寂しい邸で、たった独りで。
そう思うなり涙が溢れた。
「――兄上?」書持がぎょっとしたように呼んだ。「すまぬ、それほど大事な妾であったのか? 私はてっきりもう」
「よい書持! よい、もうよい――」
私は喉を抑えて嗚咽を飲むと、どうにか笑みらしきものを拵えた。
「すまぬ、急の報せで取り乱した。色々世話をかけたの。弔いはどうした?」
「郷の者が引き取りにきた。絁を三疋与えた故、それなりの弔いをしたであろう」
「そうか。ようやってくれたの」
私はどうにかそれだけ答えた。同母弟はほっとしたように頷いてから訊ねた。
「ところで児はどうなさる?」
「そうさの、坂上にでも――」
私がそこまで口にしたとき、部屋の隅で黙って橘の花を緒に抜いていた同母妹が顔をあげた。
「氏上大人、佐保で生まれた娘を何故坂上にやるのだ?」
「それは、妻もあちらにおるし」
「死んだ妾の産んだ子を、まだ児をもたない正妻に育てさせるのか?」
「兄上、それはさすがに情がないと思うぞ?」と、書持まで加勢する。
留女は我が意を得たりとばかりに頷くと、私と書持を交互に見ながら力強く宣言した。
「あの児は佐保で育てる。賎しい腹の生まれとはいえ、この邸で生まれた娘じゃ。猫の子一匹たりとて坂上にはやるものか」
そしてすらりと立ち上がると、怒りの籠った目つきで私を睨みつけてきた。
「氏上大人、まずは児をご覧じろ。あの憐れな婢が命を賭して産んだ娘だぞ?」
同母妹の慈悲はいつも怒りの形で現れるのだ。




