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落書きから視線を外したロイに、カリンが駆け寄って声をかけた。
「ねぇ、ロイ……」
少し息を切らせながらも笑みを浮かべている。
「落書きがあるのはここ数年で建った家ばっかりみたい。あのお嬢様達はもう少し範囲を広げてみるって」
「そうか」
一言呟くと地面についていた片膝をあげて立ち上がり、ズボンにこびりついた泥を払う。
「こっちはどうするの?」
「そうだな……」
もう一度訪ねると、ロイは帽子を押さえながら少し考えて口を開いた。
「とりあえず改めて見てもコイツについては気味が悪いもんだとしかいえん」
ロイはカリンの言葉を聞きながら、壁に描かれた落書きに目を向けた。
どす黒く変色した不気味なシンボルは、何らかの儀式的な意味が込められているようだ。としかわからない。
だが、見ているだけで嫌な感じがするようだった。
「ねぇ、ロイ。この辺の信仰って、なんか怪しい儀式とかしてたりしないの? 本当に普通の宗教?」
「ああ、旧教と暗黒大陸の信仰が混ざってる。見た目はエキゾチックかもしれんが、やってることは日曜の礼拝と変わらん」
「つまり?」
「普通の信仰だってことだ。そこまで気になるなら、論文でも書いてみたらどうだ? 査読は引き受けてやる」
カリンは少し考え込み、小さくため息を付きながら肩をすくめた。
「でも、その趣味の悪いシンボルとか、動く死体とか、それって本当に“普通”の宗教で起きること?」
「ジアンゴの宗教でも普通はやらんだろう。ただ、まぁ、カリスティカの儀式なんかでは信者の間で何かしら……その、俺達から見れば異常な儀式が行われることもある」
「異常って?」
「七日教とか、南部の白頭巾連中を思い出せ。どこにでも、やりすぎる奴らはいる」
ロイは落書きを指でなぞり、指先をしばし眺めてからため息をついて手を払った。
「ただ、これをやった奴が野生のモンスター騒ぎに便乗したただの狂信者か、それとも意図的にこういう事態を引き起こしてるのかはまだわからん。どちらにせよ……」
ロイは帽子のつばを少し押し下げ、カリンを見た。
「今は向こうさんが動くのを待つしかない。昼飯は食ったか?」
「なんて?」
「ああ、今まで行動してきてこうゆっくりした時間は少なかったからな、久しぶりにまともに昼飯が食える」
「ちょっとまって……お昼にご飯を食べるの?」
「ああ、そうだ」
カリンは呆れたように笑いながら、手を腰に当てた。
「前から思ってたけど贅沢だよね。「うちの農場じゃ朝飯で一日分食べてたよ。昼なんて水飲んで終わり。手を止める時間すらもったいなかったもん」
ロイはその言葉に小さく笑いを漏らし、ポケットから紙幣を取り出してカリンに突き出した。
「随分と勤勉じゃないか。だが、こういう仕事じゃ頭も使う。しっかり食っておけ」
「……それってどういう意味!?」
カリンはむしり取る様に受け取りながら頬を膨らませたが、ロイは無言で肩をすくめると周辺を軽く見渡して歩き出した。
「ちょっと!」
「へい、爺さん方、暇そうだな」
カリンが呼び止めるのも聞かず、ロイは柵に肘をかけると、近くのテラスで揺り椅子に腰かけ、ボーっと遠くを見ていた数人の老人に声をかけた。
「そうさな。あんたどっから来なすった?」
「東海岸さ。戦争の後始末から逃げてきた、ここいらじゃ大概どこも似たようなもんだがな」
「そいつは難儀だの。お山で冒険者じゃ死体も見つからんじゃろ。審判の日に難儀するさな」
老人がじろりと値踏みするようにロイを見るが、すぐに再び街に視線を戻して揺り椅子を揺らした。
「まぁ、代わりといっちゃなんだが退屈はしてない。ところで、最近何か聞いてないか?」
「あんたさん達以外でか? そうさなぁ……」
老人は揺り椅子を軽く揺らしながらしばし考え込む仕草を見せた。
「とびっきりの話は歩く死体やな」
「そいつは今の飯のタネだ」
「よそ者ならこの街で遊ぶ場所はどうじゃろ?」
「兄ちゃんの連れの目立つ別嬪を見たろ? この街に流れてきたフッカーにあんな別嬪はおらんぞ」
しばらくテラスの床がぎっぎっと音が一定のリズムを刻み……ふと思い出したように老人の一人が口を開いた。
「なあ、山の向こうから来た鉱山関係者一家の馬車がいたが途中で消えたって話はどうだ? 荷馬車の荷物だけが街外れに転がってたとかで、騒ぎになりかけたやつ……まぁ、ここいらじゃ珍しくもない話じゃがの」
「へぇ、そいつはいつ頃の話だ?」
ロイがあまり興味なさげに続きを促すと、老人の一人が、ふんと鼻を鳴らして答えた。
「一週間前かそこらだったかの。大したことじゃねえ。熊かモンスターに襲われたんだろうよ。あとは……」
今まで黙っていた老人がギッと揺り椅子を前に倒して身を起こしてロイに顔を寄せると、少し声を低くして続ける。
テラスの片隅で、どこか遠くの犬が一声吠えた。静けさが一瞬、ひび割れたように感じた。
「町外れの墓場が妙だって噂になっとる。夜中に灯りが見えるって。つっても、誰もそこに見に行ったわけじゃねえやな。保安官もな、皆手前の命の方が大事さね」
「ちげえねえや」
老人たちが笑い声を上げるのを聞きながら、ロイが呆れたように柵に体重を預けた。
「おいおい、墓守はどうした?」
「近くのお山で鉱脈が見つかるちょっとまえに流行り病で死んじまって、それからは荒れ放題よ」
老人の話に耳を傾けながら、ロイは考え込むように顎に手を当てた。
「ありがとうよ。ひとまずそれで十分だ。こいつで一杯やってくれ」
「兄ちゃん、待ちな」
帽子に手をやり軽く触れると、ロイは老人の日に焼けた細い腕に紙幣を握らせたが、意外な程の力で握り返された。
「夜中にあの辺りをうろつくのはやめときな。お前さんやお仲間の冒険者連中、腕は立ちそうだがテネブル(闇)にゃ勝てねぇ」
「守護聖人様に誓って馬鹿な真似はするんじゃねぇぞ」
「勇敢な船乗りに敬意を表して聞いておくよ。ボンボヤージュ」
街の空気がわずかに冷たくなった気がした。が、ロイはその言葉に微かに笑いを返し、握られていた手を軽く挙げて歩き出した。
その背中を見送りながら、老人達はまた退屈そうに椅子を揺らし始めたのだった。
「ロイ!」
「飯は食ったのか?」
カリンが駆け寄ると、ロイは彼女に向かって小さく肩をすくめて見せた。
「ううん。すぐにすみそうだったし……何話してたの?」
カリンが首をかしげるが、ロイは自身の考えを整理するように答えた。
「少しな。町外れの墓地が気になるらしい。夜中に灯りがついてるって話だ」
「墓地? なんでそんなところで?」
「それがわかりゃ苦労はないが……問題が死体絡みなら無関係ってことは考えにくい」
ロイは帽子を押さえながら考えを整理するようにつぶやいた。が、すぐに歩き出すと片手を上げた。
「まあ、すべては夜になってからだ。飯にしよう」




