5-9
少し前……
それなりの深さの塹壕に飛び込んだロイは、腰をさすりながらを息を整えるようにして立ち上がった。
足場として敷かれていた木の板は腐りきり、じっとりと湿っていて、ほんの少しでも油断すれば足を滑らせそうだった。
耳に響くのは、頭上を行き交う弾丸が空気を裂く耳慣れた音と、時折混じる砲声の重低音。 それらが塹壕と霧の中で鈍く反響している。
馴染み深い音色に心は慣れきっているようでいて、腹の奥底には緊張と恐怖がじっと巣食ったままだ。
ロイはゆっくりとリボルバーを引き抜き、暗い霧に目を凝らした。
じっとりと肌にまとわりつく重い霧の中を泳ぐように、一歩、また一歩と慎重に足を踏み出す。
幸いなことに闇と霧に覆われた視界の中に動く影はなく、足元も始めに思ったほど悪い状態ではない。
「懐かしくて涙が出そうだ……」
ほとんど手探りで塹壕を歩きながら、ロイは自嘲気味につぶやいた。
重く暗い霧の中、冷たい汗が首筋を伝うたびに、ダークブルーの軍服を纏った仲間達の姿が霧の向こうで薄く霞む。
頭上で感じる風切り音が、不意に昔の銃弾を思い起こさせる。
肩越しに聞こえていた仲間たちの叫び声。立ち上がる黒煙。
そして、南部の真綿で全身を締め付けられるような恐怖。
頭上の風切り音が……まるで霧に紛れる亡霊のようにフラッシュバックした。
「戦争が終わったのは20年近く前だってのに……」
ため息まじりに呟き、握るリボルバーに力を込める。
あの頃の自分は、出撃のたびに震えてばかりだった。それは、今だって大して変わらない。
だが、かつての若き理想に燃えた騎兵士官はもういない。ここにいるのは、ただ一人、霧の中を歩く一山いくらの冒険者だ。
自嘲して目を開けると、いつの間にやら霧の中から現れ、周りを歩くかつての部下達がいた。
ロイは思わず息を飲んだ。が、すぐに首を振ると、振り返り騎兵銃を構えようとした部下に銃を向け……躊躇なく額を撃ち抜いた。
「俺の記憶を使われた……心を読んでるのか?」
呟きながら、呆気なく膝をついて倒れた部下をすり抜ける。
ゴーストだとすればそれなりにレアな能力だ。
だが、今の幻影のように通常の銃弾が通用するならば、ゴーストというよりもむしろ何かしらのマジックアイテムの可能性が高い。
「まったく、鬱陶しい霧だ」
意志を持ったように纏わりついてくる濃霧をかき分けながらでは遅々として足が進まない。
そんな中……パパンッとほぼ同時の新たな銃声が塹壕内に響き渡り……ドシャっと濡れた地面に重い何かが崩れ落ちる音が聞こえた。
かと思うと、とてつもない力の奔流が塹壕内を吹き抜けた。
「カリン!」
爆発するように吹き抜ける力場の暴風は霧を吹き飛ばす。
唐突に晴れた視界の先、兵士たちの待機地点であったであろう場所で、倒れ伏す少女にロイは無意識に駆け寄っていた。
「……ロイ」
駆け寄り、うつぶせに倒れていた少女を抱きかかえると、力なく、だが確かにカリンは自分の名前を呼んだ。
「クソッ!」
さらに激しさを増す暴力的な奔流から少女を庇うように覆いかぶさる。
しばらくそうしていると、徐々に暴風は収まり……いつしか、周囲は先ほどの喧騒がウソだったかのように静まり返っていた。
「ごほっ! 大丈夫か!?」
飛んできていた腐った木の板を押しのけて立ち上がり、浅い呼吸を繰り返すカリンを抱き起こす。
「撃たれたのか……?」
泥にまみれ、青ざめた顔のカリンのポンチョをまくり、無傷の服ごしに傷口を抑える。
「ロイ!」
「こっちだ!」
自身を呼ぶ声と近寄ってくる複数のランプの明かりにロイは血に濡れた手を上げてみせた。




