5-7
「まって!」
唇を真っ青にしたハロナが大男の胸元から顔をのぞかせる。
「さっき、明らかに……何か、強い力が……溢れてる場所があった」
土気色の顔色で唇を震わせながら、彼女は銃声や空気を引き裂く音に負けないよう、一言一言はっきりと口にしていく。
その声はかすれていたが、彼女の瞳には恐怖を押し殺すような強い意志が宿っていた
「落ち着いて、大丈夫だよ。どこ?」
カリンが柔らかい声で問いかけると、ハロナは震える手を大男の肩に置きながら、深く息を吸い込んだ。
そして、ロイたちが寄りかかる土壁を指さす。
「こっちに120歩くらい」
その言葉を聞いたロイは目を細め、無言で彼女を見つめた後、優しく手を取って握りしめた。
「……流石だ。いいウィッチになるぞ」
ロイの微笑みに、ハロナの表情が少しだけ和らぐ。
庇うように立っていた大男はそんなやり取りを見届けてから、彼女を再び抱きかかえた。
「頼むぞ、馬の戦士。戦士をまとめて援護する」
そう言って 深く息を吸い込み、ハロナを守るように庇いながら霧の中に消えていった大男を見送り、ロイとカリンは顔を見合わせた。
「どう思う?」
「ウィッチを信じるしかない」
ロイがリボルバーを構え、カリンがそっと塹壕から身を乗り出してまだ燃えていた焚火から松明代わりに薪を引っ張り出した。
いざ歩き始めると霧は湿った泥とともにまとわりつき、歩を進めるごとに息苦しさが増していく。
死んでいった者たちをたたき起こすような銃声や誰とも知れない叫び声が、あたかも塹壕そのものが生きているかのような錯覚を与えてきた。
「頭を出すなよ」
築かれて十年以上は経つ塹壕の壁はところどころ崩れ、底に溜まった泥水から漂う腐臭のような匂いが鼻を突き、高い土壁が閉塞感を与え、ブーツにまとわりつく泥沼が進行を鈍らせる。
頭上を弾丸や砲弾が飛び交う音に肝を冷やしながらも太い平行壕を進み、崩れかけた交通壕をいくつか飛び越えた。
「どうしたの?」
土壁に立てかけられた腐りかけた梯子に手を置いて立ち止まったロイにカリンが声をかけた。
「終点だ」
「でも、120歩って程進んでないよね」
「いいとこ半分、ってところだな」
ロイが塹壕の淵をじっと見据える。
絶え間なく続く銃声の中、カリンにはロイの言葉だけはやけにクリアに聞こえた。
「……俺が昇って遮蔽物を探して飛び込む。援護しろ」
「なら、その後に私も行く」
ロイも頷き、二人はホルスターに銃をしまうと、ゆっくりと梯子に足をかけた。
「俺が出る前にその火を翳して、前に投げろ」
「えっ、目立っちゃわない?」
「背中を撃たれたくはない」
カリンは自身の震える手に握られた徐々に短くなってきた薪と、背後に濃厚に立ち込める霧に順番に視線を移して頷いた。
「今だ!」
ロイの掛け声と共にカリンが薪を塹壕から掲げ……石を投げれば当たりそうな距離に整然と並んで射撃を繰り返している女達へ渾身の力で投げつけた。
同時にロイが腐った梯子を蹴って飛び出し、背後の霧の中からも複数のマズルフラッシュが正確に女たちを狙って光輝いた。
ロイは身を低くしながらも濡れた草を蹴って素早く数ヤード走り、転がる様に車軸が折れて朽ち果てた荷馬車の陰に飛び込んだ。
「ロイ!」
「大丈夫だ!」
再び銃を抜いて反撃を始めたロイに続くようにカリンも飛び出す。
が、女達は柔和なほほえみを張り付けたまま、白いドレスの裾を翻しながら整然と隊列を変え……
「なに、あれ!?」
「ガトリングまで持ち出してくるのか……止まるな、走れっ!!」
ダンダンダンダンッ
ガトリング砲を操作する女がハンドルを回すと、連続した衝撃がカリンを襲った。
連続した雷鳴のような銃声が周囲の霧を切り裂き、息をするのも忘れるほどの圧力に場が支配される。
暴風雨のような連射に帽子が飛ばされ、膝から崩れるようにロイの隣に転がり込んだ。
「大丈夫か、どこを撃たれた!」
「だ、大丈夫だよ。帽子とポンチョに当たっただけ」
カリンは泥まみれの帽子を引き寄せて被りなおしながら、忘れていた呼吸を再開するように答えた。
「運がよかったな。普通なら挽肉としてコヨーテの朝飯だった」
安心したように冗談めかして言いながら、ロイは嵐のような銃声の合間にわずかな静寂を感じ取ると、即座に動いた。
馬車に張り付くように構え、狙いをつける動作には一切の迷いがなく、引き金が引かれる。 それだけで、ガトリング砲の操作員は呆気なく崩れ落ちた。
女達は倒れた仲間を気にする様子もなく、ロイへ射撃を浴びせかける。が、無数の銃弾は朽ちた馬車へと吸い込まれて行った。
彼女たちの動きには人間のぎこちなさがなかった。微笑みはまるで仮面のように硬直し、白いドレスの裾が霧に舞うたびに、生気を感じない異様な冷たさが漂っていた。
「わかるか?」
「……うん、ウィッチじゃなくてもここまで近づけば、なんとなく」
馬車を挟んで向こう側。
女たちの後ろに立つ霧の向こう、見えない『それ』は息をするように空気を脈動させ、存在そのものがカリンの背筋をぞっとさせた。
何かがある。それも、この場にいる何よりも強大で異質なものが。
それはただの錯覚ではなく、人間の生存本能が絶え間なく危険を訴えてくるような空気を震わせるほどの「力」だった。
「合図で左右から同時に飛び出してここから見える塹壕に飛び込む。そうして、先にたどり着いたほうが元凶を片付ける、いいな?」
「……うん、いいよ」
カリンが頷くと、ロイは中腰のまま馬車に手をついて下半身に力を籠める。
「待機しろ、待機だ。 行けっ!」
ロイの叫び声と同時に二人は全身の力を使って跳躍し……周囲の空気を無数の弾丸が切り裂く音を聞きながら地獄の亀裂のような塹壕に飛び込んだ。




