初めての買い物〜香草と仕立て工房〜 ❖本編 第6話の買い物場面の後半
お待たせしました!……待ってない?
とりあえず、3ヶ月もお待たせすることにならなくて良かったです(笑)
本編『AIと一緒に異世界で薬膳喫茶をオープンしてみました』第6話の買い物場面の後半です。
雑貨市場を抜けると、再び食材を扱う市場の通りへと戻ってきた。
行き交う人々の間を縫うようにして、野菜や果物、干し肉に魚介類を並べた露店が続いている。
独特の匂いが混ざり合う市場の空気の中で、俺は少しだけ歩く速度を落としていた。
視線が、どうしてもある一角へと向いてしまう。
――さっき通り過ぎた、香草屋。
ローズマリーにセージ、タイム、ミント。
日本でも見慣れたハーブに加えて、乾姜や棗、それに茴香まで並んでいたあの店だ。
……気になる。ものすごく気になる。
あの時はヴォルクさんを待たせるのも悪いと思って流したけど、やっぱり気になって仕方がない。
マルダさんの料理に使われていた香草もあったし、何より、生薬まで置いてあった。
漢方や薬膳に関わってきた身としては、あれを見て素通りするのはかなり惜しい。
ただ――。
ちらりと隣を歩くヴォルクさんを見る。
今日は俺の買い物に付き合ってくれているわけで、これ以上振り回していいものか少し悩む。
でも、ここを逃したら次いつ来られるか分からない。
……よし。
俺は意を決して口を開いた。
「……あの、ヴォルクさん」
「ん?」
「その……少し、香草を買いたいんですけど……さっきの、香草を売ってた店に行ってもいいですか?」
言いながら、なんだか妙に緊張してしまう。
だけど、ヴォルクさんは俺の顔を見ると、特に驚いた様子もなく短く答えた。
「そうか」
それだけ言うと、来た道を少し戻るように歩き出す。
あっさり過ぎて、逆に少し拍子抜けした。
「……いいんですか?」
「欲しいもんがあるなら見ておけ。あとで後悔する方が面倒だ」
ぶっきらぼうだけど、ちゃんと連れて行ってくれるあたりがヴォルクさんらしい。
俺は少しだけほっとしながら、その後を追った。
香草屋は、相変わらず香りで存在感を放っていた。
乾燥させた葉や木の皮、実や根。
木箱や布の上に並べられたそれらから、青さや苦味、甘さの混ざった複雑な香りが漂っている。
近づいただけで、頭の中に様々な料理や薬膳の組み合わせが浮かんでくる。
「……すごい」
思わず声が漏れた。
ローズマリー、タイム、ローリエ、フェンネル、クローブ。
ペパーミントにセージ、イタリアンパセリ。
しかも、乾姜や大棗だけじゃなく、肉桂まである。
見れば見るほど、ここが異世界だという感覚が薄れていく。
いや、完全に同じではない。
葉の形や香りの強さに若干の違いはある。
でも、近い。
かなり近い。
「へぇ、兄ちゃん、香草が分かるのか?」
店番をしていた店主らしき男性が、興味深そうにこちらを見ていた。
「あ、えっと……少しだけ」
さすがに『漢方の勉強をしてました』とは説明しづらい。
曖昧に笑うと、店主は「そうかそうか」と頷いた。
「最近は珍しい香草も入ってくるようになってなぁ。ほら、こっちなんかは最近ヴァルリディアに入ってきたやつだ」
そう言って示された木皿の中に、白豆蔲らしきものと、厚朴に似た樹皮が置いてある。
思わず目を見開いた。
……あるんだ。
白豆蔲まで。
しかも厚朴っぽいものまである。
漢方系の香りだ。
完全にテンションが上がる。
けれど、店主が続けた言葉で現実に引き戻された。
「こいつらは高いぞぉ。まだ入荷も少ねぇからな」
確かに、並べられている量も少ない。
しかもよく見ると、見本として出してある生薬の後ろには、大きめの葉の包みが数個ずつ並べられている。
マルダさんが使ってたハーブは、フレッシュなものは紐で束ねてあり、乾燥させたものは大きな袋に入れられている。袋の中に小さな木枡が入っているのを見ると、こっちは量り売りなんだろうな。
そう考えると、この袋入りは比較的安いはず……。
とは言っても、値段が怖いことに変わりはないのだけど……。
きっと、香草関係は、下手すると沼だ。
日本でもスパイスや生薬を集め始めると、あっという間にお金が飛ぶ。生薬だと、ものによっては金額の桁が違うのだってザラだ。
俺は名残惜しさを感じつつも、白豆蔲と厚朴から視線を外した。
「……今回は、別のにしておきます」
「お、兄ちゃん分かってるな。香草は勢いで買うと財布が死ぬぞ」
妙に現代でも聞き覚えのあることを店主が言う。
異世界でも同じなのか……。
少しだけ親近感を覚えながら、俺は必要そうなものを選び始めた。
まずは、マルダさんが料理で使っていたハーブを中心に。
ローズマリー。
タイム。
ローリエ。
ペパーミント。
イタリアンパセリ。
それにコモンセージ。
さらに、丁子と茴香。
乾姜。
そして、大棗に似たものをひとつ。
並べていくうちに、だんだんと金額が不安になってきた。
でも、ここでしか手に入らない可能性もある。
薬膳喫茶をやるなら、知識だけあって材料が無いのはかなり困る。
俺が商品を見て悩んでいる間、ヴォルクさんは腕を組んだまま静かに見ていた。
そして、全部選び終わった頃。
店主がざっと計算して口を開く。
「ジフスが240、ロスメル40、ティムラ60、ラウレス50、クローヴァ120、アネトラ100、ペルメンタ80、セリナール20、サルヴェナ180、ジンゼル200――合わせて1,090リーヴァだな」
「1,090……」
この量でこの値段。ただ、この金額が高いのかそうでないのかが分からん……。
とにかく、支払いをするため、トートバッグから巾着を取り出し、硬貨を選ぶ。
――えーと、1,000が角銀貨で、……90……日本円と同じ10と50があったはず……あ、やばい、どれだっけ?
確か日本円と同じ5進法だったから……
一番小さい貨幣から順に、1、5、10……と数えて、正方形の銅貨を4枚と、長方形の銅貨を1枚取り出し、安心するためにヴォルクさんに一度見せる。
「すみません、これで合ってますか?」
「ああ、合っている」
ヴォルクさんの返答にほっとして、硬貨を店主に渡す。
「ちょうどだな、まいどあり。兄ちゃん、またよろしくな」
丁子や茴香は入れる容器がなかったため、店主に大きめの葉っぱに包んで貰った。……一包みに5リーヴァ掛かったけど……。
購入したハーブや生薬を受け取り、ミニトートに入れて、店主に一度会釈をして香草の露店から離れた。
「……お前、こんなに買って一体何に使うんだ?」
少し歩いたところで、ヴォルクさんがちらりとミニトートを見やって聞いてきた。かなり訝しげだ。
まあ、そうだよな。
普通の料理用にしては種類が多い。
「えっと……料理とか、お茶とか……」
「茶?」
「あ、いや、香りを出した湯っていうか……」
説明しながら、自分でもかなり怪しいことを言っている気がしてきた。
だけど、ヴォルクさんは深く追及することはなく、「ふぅん」とだけ返した。
助かった……。
無意識にミニトートを胸の前に抱えなおす。
ハーブの葉が触れ合い、ふわりと香りが混ざった。
……落ち着く。
異世界に来てからずっと緊張していたせいか、知っている匂いに触れるだけで少し安心した。
第3エリアでの用は済んだのか、俺達は再び乗合馬車を利用して第5エリアへと戻る。
馬車の揺れに合わせて、ミニトートの中でハーブが小さく擦れる音がする。
その香りを時々感じながら窓の外を眺めていると、徐々に景色が変わっていった。
第3エリアの市場通りとは違い、第5エリアは職人工房が多いのか、通りには木材や金属の匂いが混ざっている。通り沿いには看板を掲げた工房が並んでいる。
「着いたぞ」
ヴォルクさんに声を掛けられ、馬車を降りる。
案内された先は、第2エリア沿いにある二階建ての大きめの建物――店というより工房に近い雰囲気だ。第5エリアは職人街だから、やっぱり何かの工房なんだろうか?
「馴染みの仕立て屋だ」
ヴォルクさんについて中に入ると、布や糸の匂いがふわりと漂ってくる。
そしてそこには、仕立て屋の親方らしき男性と、その奥さんらしき女性。
それと男性がもう一人。年齢が2人と近そうだから、ベテランの職人さんだろうか?
「おっ、ヴォルクじゃねえか。ウチに来るの久々だな!」
椅子に座っていた男性がヴォルクさんに声をかける。
「まあな……今日はハルヤの服を作って貰いたくてな。ドーグもいて丁度良かった、靴も頼む」
「「ハルヤ?」」
ヴォルクさんの言葉に、二人の男性に揃って名前を呼ばれ、全員の視線がこちらへ向く。
思わず会釈をしてしまう。
「ああ、ゲンの孫のハルヤだ――で、こっちは……」
「ゲンさんの孫!?」「ホントかっ!?」
ヴォルクさんが3人に俺を紹介し、今度は俺に3人を紹介しようとしてくれたみたいだけど――同時に、男性二人の声に遮られた。
驚いた様子の男性二人には凝視され、二人の隣に立つ女性は目を潤ませていた。
「ゲンさんのお孫さんがいて良かったねぇ……!」
「えっ、と……?」
突然涙ぐまれて、俺の方が戸惑う。
というか、みんな普通だ。
突然現れた「ゲンさんの孫」にも、フード姿にも、特別警戒した様子がない。
男性二人は、「「ゲンさんは!?」」とヴォルクさんに詰め寄る。けれど、ヴォルクさんが無言で首を横に振った事で、察してしまったのか、二人の表情に影がさす。
ヴォルクさんたちが話をしている間、女性――この仕立て工房の親方の奥さんで、名前はグレーテさん――が、工房の奥へと案内してくれる。
その時に、グレーテさんの名前や、「さっき椅子に座ってふんぞり返ってたのがうちの人で、一応ここの親方だよ。フリッツって言うの。もう一人いた方は隣の靴工房の親方のドーグだよ。」って、二人の事も教えてくれた。
さっき、ヴォルクさんが言ってた、ドーグさんって靴工房の親方だったんだ。
あ、それで、「丁度いい」って……?
合点がいくと、タイミングよく、ヴォルクさんとフリッツさんが奥にやってきた。
「フード取っても大丈夫だぞ」
「……え?」
「ここなら平気だ」
少し迷ったが、言われた通りフードを外す。
すると、フリッツさんは「おお、若ぇなぁ」と反応しただけだった。
拍子抜けするくらい自然だ。
俺が勝手に身構え過ぎていたのかもしれない。
だって、街中だと髪色は絶対に見られちゃいけない感じだったし。身構えるのも仕方ないよな。
「よし、じゃあ測るぞ」
フリッツさんが急にやる気満々で近づいてきた。
「で、何着作る? ちょうど試してぇ形状があるんだが、試してみてもいいか?」
「えっ?」
なんかすごいノリノリなんだけど。
隣では奥さんが呆れた顔をしている。
「この人、新しい形を試したがると、止まらないんだよ……」
「いや、でも面白そうだろうが!」
完全に職人気質だ。
俺は若干圧倒されながら答える。
「と、とりあえず一着で……」
いや、だって……フルオーダーって絶対高い。
しかもこの世界、既製服というより古着が流通の中心っぽかったし、新品は全部仕立てる形式なんじゃないのか?
そんな不安で頭がいっぱいになっていると、横からヴォルクさんが口を挟んだ。
「二着でも三着でも好きなだけ作らせればいいさ。こいつが新しい形状を試したいだけなんだからよ。気に入らなきゃ買わなきゃいい」
「いや、それはそれで困るんだが……!?」
試作品前提!?
俺が戸惑っていると、さっきまで姿が見えなかった靴工房の親方のドーグさんまで、笑いながら声を上げて入ってきた。
「そうしろそうしろ!」
しかもその手には、いつの間にか足の測定用らしい道具と紙らしきものがある。
「はい、坊主、こっち座れ」
「え、あ、はい」
流されるまま椅子に座ると、今度は靴の採寸が始まった。
足長や幅を測られ、厚みのある紙らしきものに何かを書き込まれていく。
「ほう、細ぇな」
「この辺の若いのより小さいか」
普通にコメントされて少しだけダメージを受ける。
日本ではそこまで小さい方じゃなかったのに……。
測定されている間、ヴォルクさんは「ちょっと席を外す」と一言だけ残して工房を出ていった。
その後も採寸は続き、今度は奥さんから服の好みを聞かれる。
「どのモードが好みだい?」
「モード?」
「形とか色とかさ。細身がいいか、動きやすいのがいいか、とかね」
なるほど。
ファッション系の意味か。
俺は少し考えてから答えた。
「……動きやすい方がいいです。あと、あまり目立たない感じで」
「ふぅん、なるほどねぇ」
奥さんは頷きながら布をいくつか見せてくれる。
生成りに茶色、深緑、灰色。
天然染料っぽい落ち着いた色合いばかりだ。
そんなやり取りをしている途中で、ヴォルクさんが戻ってきた。
「終わりそうか?」
「あと少しだよ」
奥さんがヴォルクさんに答える。
そこから更に細かい確認が入り、ようやく一通り終わった頃には、外の日差しがかなり赤くなっていた。
「仕上げに入る前に一度知らせるからな」
仕立て屋の親方がそう言って、紙を丸める。
「靴の方も合わせて調整しとく」
靴工房の親方も満足そうだった。
……なんか、思った以上に大掛かりになったな。
そんなことを考えながら、帰ろうとして再びフードを被る。
すると――
「おい、坊主」
フリッツさんに呼び止められた。
「はい?」
「フードより、こっちのがいいだろ」
そう言って投げ渡されたのは、深めのキャスケットだった。
厚手の麻っぽい……しっかりした生地で、つばも少し長い。
「そいつはやるから、用心しろよ」
「えっ、でも……」
「試作品の余りだ。気にすんな」
フリッツさんはにやりと笑った。
俺は戸惑いながらも、そっとキャスケットを被ってみる。
深さがあるおかげで思ったより顔が隠れ、髪もしっかり収まる。
しかもフードより動きやすい。
「……ありがとうございます」
「おう」
工房の人達に見送られながら外へ出ると、通りはもう夕暮れ色に染まり始めていた。
それぞれの工房も閉め始めているのか、周りの喧騒が、昼間よりずいぶんと落ち着いている。
肩に古着を入れたトートバッグをかけ、手には香草の入ったミニトート。
頭にはもらったばかりのキャスケット。
異世界に来てからまだ数日しか経っていないのに、少しずつ『自分の物』が増えていく。
その不思議な感覚を抱えたまま、俺はヴォルクさんの後を追って歩き出した。




