050 ブライデンから旅立つ
ハンナさんの俺に対する妙なアプローチが気になるが、今はハンナさんに構っている場合じゃない。問題はダンテ王がベアル夫婦に与えようとしている城館と爵位がとんでもなく分不相応ってことだ。これを貰うのか貰わないのか。それを決めるのは俺ではない。
「どうするのか、ベアルとレオラが相談して決めてくれ。王様が用意してくれたこの城館の件も、ベアルたちが貴族になる件も、俺が判断することではないからな」
「そんなこと言われても……。今はジュリを育てるためにブライデンにいるけれど、ずっとここに住む気はないわよね?」
「そうだね。我々夫婦はいずれはクメルン王国へ帰りたいと考えてるからね。ずっとブライデン王国で住み着くことはできないなぁ」
レオラもベアルも逃げ腰になっているようだ。
ソニアはレオラ夫婦が乗り気でないのを知って慌てて口を開いた。
「それは困ります。では、せめてジュリちゃんが成人するまで、ここで住んでもらえませんか? この家なら隣にあるロードナイト養成学校へ通うのにも便利だし、子育て環境は抜群ですよ」
「それはいいけど、貴族になって面倒な政務や儀式に参加するのは嫌だなぁ」
「そんなことに参加しないでいいようにお父様に言っておきます。だから、私に任せてください。あなたたちは王様とダイルとの橋渡しだけをしてくれればいいですから」
あ! ソニアが口を滑らしちまった。ベアルたちが喜んで受けてくれるとソニアは思っていたのだろう。そうじゃなかったから焦ったようだ。
「お父様って?」
「ごめん。実はソニアはダンテ王の娘なんだ。王女ってことだな」
「「「えーっ!!」」」
みんなどうしていいか分からず、跪いた。
「そんな畏まらないで。堅苦しいのはダメだとダイルに言われてるの。どうかお友だちとして接してくださいね」
「そういうことだ。俺もソニアとは王女ではなく友だちとして付き合うことにしている。あんたたちもそうしてくれ」
「わ、分かったわ」
レオラが言うと、ベアルやハンナさんも頷いている。
結局、ベアル親子は子爵待遇ということで、少なくともジュリが成人するまではこの城館で住むことになった。獣人の人生は500年以上あるから、その中の15年ほどだ。
「私も時々、ここに泊まりに来ますね。ダイルもブライデンに来たら必ずここに泊まってくださいね」
ソニアが見上げるような目で言う。
「分かった。そうする」
思わず俺は頷いてしまった。
「ダイルとの橋渡し役って言うけど、どうやってダイルに連絡を取ったらいいの?」
レオラの言葉がぼんやりしていた俺の意識を引き戻した。
「俺はしばらくの間、ベルドラン王国に腰を据えることになると思う。住む場所がはっきりしたら、こっちから連絡するよ」
「ええっ! ベルドランですか!?」
ソニアが驚いたような声を上げて、慌ててその理由を話してくれた。
「お隣の国ですけど、酷く荒れてますよ。こちらからベルドラン王国へは行けますが、向こう側からこちら側へは連絡もできないですし、こちら側への入国も制限されてるはずです」
「どうして向こうからこっちへの入国が制限されているんだ? ベルドランの王都は魔獣や魔物が度々入りこんで人を襲ったり連れ去ったりしてるらしいが、それと関係あるのか?」
「いえ。入国制限があるのは罹ったら死ぬような恐ろしい病が流行っているせいです。ベルドランの人たちは病に罹るのが怖くて家の外にも出られないと聞きました。どうしてそんな国へ行くのですか?」
どうしてかって? フィルナを人質に取られている件は説明できないから、ちょっと困ったな……。
「簡単には説明できない事情があるんだが、ひと言でいえば義理を果たすため、ということだな。どうしても行かなきゃならないんだ」
そうなのだ。アイラ神やフィルナに助けてもらった。その借りは返さないといけない。
「どうしても行くのですね? それならお父様と相談して、ダイルとの連絡手段を用意します。それと、ダイルが国境で足止めされたり、連絡が滞ったりすることがないように手配しておきます」
ソニアが言うには、ブライデンとベルドランの中間地点にパイナッツという村があって、そこが国境の村であるらしい。ベルドランが不安定な情勢になっているため、5年ほど前からブライデン王国の軍隊も駐屯して国境の警備を強化しているそうだ。この村はホルドという男爵の領地なので、その代官も常駐しているとのことだ。軍や男爵の代官にも手配しておくとソニアが言ってくれた。
「それは助かる」
俺が礼を言うとソニアはにっこり微笑んだ。
………………
その後、城館の中や庭を見て回り、その広さをあらためて実感した。これは館の維持管理に手が掛かりそうだ。どうやって管理するかはソニアとベアル夫婦の間で相談してもらおう。
家の件が決まったので、俺たちは街の見物に出掛けた。ブライデン王国は海賊が作った国らしいが、雑然としたところがなかった。街の中は通りも縦横に広く、住居はどこも庭があって緑に囲まれていた。金持ちが多いようだ。ソウルオーブの取引拠点になっているから国も民も豊かなのだろう。
俺は狩りで得た魔石や魔獣の皮などを売り払いたくて、良い店がないかとソニアに尋ねた。すると、王城の反対側に昔の海賊が作った古い街並みが残っているそうで、その辺りに良い店が多いと言う。その場所はブライデン湖に面した商業区画にあって、通りは狭くて雑然としているが、活気があって治安も良いという話だった。
そこへ案内してもらって、俺は魔石や魔獣の皮などを売り払った。その金で剣やナイフ、キャンプ道具、ハンター用の衣服、食材や調味料などを買った。今まで使っていたのは中古品や使い古した物で早く買い替えたかったのだ。
剣などは高価だったが、それでも手元に100万ダール以上残った。円で言えば2000万円くらいだな。当分、旅費には困らないだろう。それにソウルオーブもたくさん持っているし。
その日の夜は同じ宿屋に泊まって、翌朝、ブライデンの王都を出発した。ベアル親子だけでなく、王城からソニアが来て見送ってくれた。
「お父様にダイルがベルドランで長く滞在するらしいと話したのです。するとそれは好都合だとお父様が申して……」
ソニアの話によると、王様はベルドランの荒廃ぶりを非常に心配しているそうだ。ベルドランの荒廃がブライデンに悪い影響を及ぼすことを恐れているのだ。そこで王様はベルドラン対策の部隊を新たに編成して現地へ派遣することにしたらしい。
「そういうことで、その部隊にダイルとの連絡も担わせることにしました。ただし、部隊の立ち上げには少し時間が掛かるかもしれません。たぶんベアルさんにも加わってもらって、ダイルへ連絡を取ってもらうことになると思います」
「分かった。それは助かる」
「それと、軍の魔空船を手配してあります。ダイルをベルドラン王国の近くまで送るように指示しているので、それに乗って行ってください」
「えっ? いや……」
ソニアの心配りは嬉しいが、俺はそれを断った。ベルドランまでの街道を歩きたかったからだ。この街道は大半が魔樹海の中を通っていて、自分の訓練と魔力を高めるのにちょうど都合がいいからだ。
「あたしも一緒に歩くから寂しくないわよ」
ハンナさんは俺のどこを気に入ったのか分からないが、一緒にベルドランへ行くと言う。旅に出ると言い出したときから、そんな気もしていたのだが……。
「野宿になるぞ。もちろんテントは別々だ」
「あら、あたしはテントも一緒でいいのに。案外うぶなのね。可愛いっ!」
「俺は男だから、変な気を起こすかもしれないぞ」
「望むところよ。久しぶりだわぁ……」
とか言い出す始末。勘弁してほしい。
「俺と一緒に来るのはいいが、自分の身は自分で守れよ」
「あたしはダイルに守ってほしいな。か弱い女性だもの」
言えば言うほど深みにハマりそうなので、俺は黙ってベアル親子とソニアに手を振って歩き出した。
少し歩いたが、ハンナさんの気配がない。振り返ると、ハンナさんはまだベアル親子のそばにいた。ジュリを抱っこして頬ずりをしている。やっぱりハンナさんは優しい女性なのだ。少しゆっくり歩こうか……。
………………
ブライデンからベルドランへ向けて歩き出し、7日目に国境近くのパイナッツ村に着いた。道中でも毎日、俺は魔樹海に入って魔獣や魔物を相手に訓練を続けた。俺が訓練している間もハンナさんには街道を進んでもらった。彼女の魔力では魔樹海の街道は危ないため、常に探知魔法の範囲にハンナさんを捉えながらの訓練となった。それでも、魔獣を数頭倒すことができたから俺の魔力は少しだけ高まった。
パイナッツ村は魔樹海の中に聳えるパイナッツ山という独立峰の麓に作られた村だ。この村の高台には貴族の領地らしくちょっとした城館があった。人口は八百人くらい。今まで見た村の中では一番大きい。家は石壁の平屋が多いが、村の中心部には2階建や3階建ての商店や酒場、宿屋などがあり、俺たちはその宿屋に泊まった。もちろんハンナさんとは別々の部屋だ。
村の近くにはブライデン王国軍の駐屯地があった。パイナッツ山を左に見ながら麓の原野を街道に沿って西に進み、村を通り過ぎて街道が魔樹海に入る直前のところに駐屯地はあった。ここがベルドラン王国との国境で、検問所が設けられていた。この駐屯地には常時三百人ほどの兵士が配備されているらしい。それとは別にロードナイトも十人ほどが王都から派遣されているとのことだ。
俺は村に入る前に、先に駐屯地の方へ行った。駐屯部隊の隊長にベルドランから入っている情報を聞くためだ。隊長のところにはソニアから既に連絡が行っているはずだ。
駐屯地に行くと、兵士が隊長のところへ案内すると言う。ハンナさんには待ってもらって、俺だけが隊長と会った。
「おまえがダイルか? 王様から数日前に指示が来ている。豹族のダイルという男の一行を滞りなく通すようにとな。獣人がそのような厚遇を受けるというのは何か特別な訳がありそうだな?」
「王様とちょっとした知り合いになっただけだ」
この隊長も獣人に対して偏見を持っているらしい。隊長というだけあって、こいつも魔力〈242〉のロードナイトだ。40歳くらいでガッシリした体格をしている。面倒な争いを避けるために、俺は私掠認可証を見せた。
「なるほど。おまえに対する敵対行為は王国への敵対と見なす、か。うまく王様に取り入って気に入られたようだな。ところで、おまえもロードナイトらしいから、うちの隊員と実戦訓練をしないか?」
「敵対ではなく、合法的な苛めをしようということか?」
「いや、訓練だ」
「断る!」
「ふん! 実力もなく度胸もなく、口先だけで王様を誑かしたようだな。見下げたヤツだ」
嫌な男だが、相手にしないでおこう。こんなところで顔や姿を曝したまま戦って、それが噂になっては困るからな。
その後、隊長にベルドランのことを聞いたが、教えるような情報は何もないと言う。俺に協力してくれる気は無さそうだ。結局、駐屯地では得る物が無いまま村へ向かった。
※ 現在のダイルの魔力〈276〉。
(道中の魔樹海で魔獣を倒したため、その魔力の1%分ほどが増加)




