038 獣人の親子に火の粉が降りかかる
1時間くらい蜘蛛糸移動を続けたと思う。途中で何度か休憩し、血の臭いに惹かれて寄ってきた魔物は魔法で瞬殺した。幸い魔獣には出くわさなかった。
やっと周りが明るくなってきた。目の前に原野が広がり、右前方には大きな独立峰が見えた。モーイット山だ。高さは2千メートル以上あるだろう。天気がいいから山頂まで見えている。山腹は緑に覆われているが、頂上近くは岩肌を曝している。魔樹海に浮かぶその姿は絶海の孤島のようだ。
俺は魔樹の枝から原野を見下ろしている。高さは50モラほどのところだ。遠くに村が見えた。街道はその村に向かって伸びている。〈知識〉で調べるとモーイットという村で山と同じ名前だと分かった。
追手はまだ現れないが、追いかけて来てる可能性が高い。追手に見つかったらお終いだ。脚の傷が深くて、この状態で戦っても勝てる気がしない。
脚の傷にはキュア魔法を掛けたから数日で治ると思うが、それまでは逃げて隠れているしかない。そう考えたとき、自分がうっかりしていたことに気付いた。探知偽装で魔力を〈130〉に設定したままだ。これでは自分の位置を知られているかもしれない。俺は急いでステルスモードにした。ステルスモードと言っても姿を消すことはできないが、自分の種族や魔力が探知魔法に引っ掛からなくなる。まずはこれで一安心だ。
街道は俺の位置から200モラほど左側を北から南に向かって村の方へ続いている。追手から逃れるために、街道とは反対方向に移動しよう。
魔樹の枝を伝いながら移動を続けると川に出た。この川はモーイット山から流れ出て魔樹海に流れ込んでいるようだ。街道からは2ギモラほど離れているから、追手もここまでは来ないはずだ。川沿いに上流へ移動して適当な場所を見つけて隠れ家を作ろうと思う。そこで傷を完治させるのだ。
川岸に降りた。地面に立って初めて気付いたのだが、走ることができなかった。脚の傷のせいだ。蜘蛛糸移動は蜘蛛糸の張力を使う移動なので、ここまではそれほど支障が無かった。しかし、原野の移動は自分の脚が頼りだ。もっと困るのは斬り合いや格闘になったときだ。そうならないように完治するまでは至近距離の戦闘は避けなければならない。
まずは今着てる服を洗っておこう。俺は川の水でシャツやズボン、靴を洗って、血の臭いを消した。乾かしている時間はないから、水を絞っただけの服を着て、原野を移動した。浮上走行の魔法を掛けて、低い姿勢で脚を引きずりながら歩いた。
川を500モラほど遡ったところに雑木で覆われた小高い丘があった。雑木林の地面は一面に胸の高さくらいまでの藪が生い茂っている。この場所なら掘削魔法で地中に隠れ家を作ることができるだろう。もし見つかっても、雑木を伝って蜘蛛糸移動で逃げればよい。
俺は30分ほど掛かって丘の斜面に横穴を掘って、3モラ四方の空間を作った。壁や床は崩れないように石壁の魔法でしっかり固めた。
もう体力も気力も限界を超えていた。俺は床に敷いた毛皮の上に横たわった。バリアを張ってあるから大丈夫だろうと考えながら眠りに落ちた。
………………
目が覚めた。ぐっすり眠った気がする。横穴の入口を見た。外からは見えないように藪で覆ってあるが、その隙間から明るい光が漏れている。まだ昼間だな。いや、もしかすると一晩眠っていたのかもしれないぞ?
俺は体を起こして脚の傷を調べてみた。かなり良くなっている気はするが、まだ少し痛みがある。横穴の中を歩いてみたが、脚を上げると傷が開くかもしれない。まだ普通に動くのはムリだな。
腹が減ったので亜空間バッグから干し肉を取り出して齧った。元気が出たからこの周辺を偵察しておこう。
川の上流方向300モラくらいのところに小屋が建っているのが見えた。川岸から少し上がったところにある一軒家だ。真新しい感じだ。こんなところにポツンと建っているから、ハンターが使っている小屋かもしれない。
何人かの人影が見える。俺は雑木林の枝に移動して遠視魔法を使って確かめた。この魔法は視界が通るところであれば望遠鏡で覗いたように遠くのものが拡大されて見えるのだ。おまけに音も聞くことができる。
小屋の前で大柄で少し太った男が薪割りをしている。そのそばでほっそりした女が立っている。
おっ! 二人とも獣人のようだ。髪の毛からぴょこんと出た耳でそれが分かる。男の方がドンガクーメル(熊族)で、女の方はレバンクーメル(豹族)だ。熊族ってホントに熊さん体形なんだな。
女は腕に何かを抱えている。赤ん坊のようだ。と言うことは二人は夫婦かな? 女のほうが赤ん坊に何かを話しかけていて、男はそれを薪割りの手を止めてニコニコと眺めている。
どうして村の中で暮さずに、こんなところに小屋を建てて住んでるのだろうか? ここは魔物がうろつく原野の中なのだ。赤ん坊がいる親子がのんびり暮らせるような生易しいところではない。
俄然興味が湧いてきた。もっと調べてみようと探知できる範囲まで近付くと二人の特性が分かった。二人ともロードナイトだ。男は魔力が〈88〉で女が〈64〉だ。この実力があれば原野の中でも生きていけるだろうが、赤ん坊はちょっとなぁ……。
そんなことを考えていると、誰かが小屋に近付いてくるのが見えた。男が三人だ。浮上走行の魔法を使っているから魔力が〈100〉以上のロードナイトだな。
熊族の男と豹族の女はそれに気付いて男たちの方を見た。
三人が親子連れを取り囲んだ。何か言ってるから遠視魔法で見聞きしてみよう。
「おまえたち! こんなところに小屋を建ててどうするんだ?」
「リーダー。こいつら獣人のロードナイトだぜ。昨日の盗賊と同じだ。こいつらも盗賊の仲間じゃねぇのか?」
「そうだな。たぶん獣人の盗賊団だな。これはじっくり取り調べないといけねぇーな」
「なんのことです? 我ら親子はここで子供を産んで子育てをしているだけですよ」
「昨日、街道でおれたちの商隊が盗賊に襲われた。その盗賊は豹族でロードナイトだった。そして、おまえもおまえの女房も獣人でロードナイトだ。それに、その男はおまえたちの方へ逃げた。おまえの仲間に違いない。そうだろ?」
「それは違います。我らは盗賊ではありませんよ。そんな男も知りませんしね。あなたたちが勝手にそう思い込んで間違えているだけですよ」
「主人の言うとおりです。私たちは盗賊の仲間などではありません。赤ちゃんを抱えた盗賊なんていないでしょ」
「いや、その赤ん坊は盗賊であることを隠すための偽装だろ? ともかく、おまえたちは怪しい。取り調べるからおれたちと一緒に来い!」
「それは困ります。お断りしたいのですが……」
なんだか俺が原因でこの親子連れに迷惑をかけてるみたいだ。それにしても、亭主のほうはこんな状況でも丁寧な対応で呑気だな。熊族の特性なのだろうか。
「なにぃ! 抵抗するのか!?」
たしかに亭主の方は薪割り用の斧を持ったままだ。
「抵抗したくはないのですが、捕らわれるのも困るのですよ。できれば諦めてもらえませんか?」
亭主が手に持った斧を少し持ち上げた。
「このヤロウ! おれたちと戦う気か!? 抵抗するならおまえだけでなく女房や赤ん坊の命も無いぞ!」
男の一人が女房の脚に向かって剣を打ち付けた。女は悲鳴を上げて地面に倒れた。剣の刃ではなく腹のところで叩いたみたいだが、かなり痛かったに違いない。女は声を押し殺して泣いているようだ。
だが、女は倒れながらも抱いていた赤ん坊を守っていた。さすが母親だ。その子は横たわった女に抱かれて、泣きもせず手足を動かしている。
「何をする! 乱暴するな! レオラ、大丈夫か!?」
レオラというのは女房の名前だろう。亭主は女のところに駆け寄ろうとして、剣を構えた男たちに阻まれた。
「動くんじゃねぇぞ! おまえが抵抗すれば女房や赤ん坊はもっと可哀そうなことになるぜ」
この夫婦の魔力では勝ち目は無いな。そう思っていると、熊族の亭主は持っていた薪割り用の斧を地面に置いた。
「分かった。分かりました。ほら、このとおり抵抗はしません」
亭主は抵抗しないことを示すためか、両手を頭の後ろで組んだ。
「それで、おまえらは盗賊だろ? 正直に白状するんだ!」
「いえ、それは誤解です。おれが一緒に行きますから、女房と子供には手荒なことはしないでください。いや、参ったな」
頭に回した手で髪の毛をボリボリと掻きながらそう言った。なんとものんきな男だ。
突然、頭を掻いていた亭主は地面に倒れ伏した。後ろの男から何か魔法を掛けられたようだ。
「眠りの魔法だけでは危ないな。沈黙の魔法も掛けておけ」
「主人になんてことをするの!」
女房が上半身を起こしながら叫んだ。
「眠らせて念力魔法で運んだほうが早いからな。あんたにも眠ってもらうが、赤ん坊をどうするかな?」
「ダメ! 私の赤ちゃんに手を出さないで!」
「リーダー。赤ん坊をちょいと痛めつけて泣かせてやれば、親なんぞイチコロで何でも白状しますぜ」
「おぉ、それは上手い手だな。よし、この赤ん坊も連れて行こう」
「やめて! やめてください。赤ちゃんは、たすけて。おねがい……」
「うるさい女だな」
男の一人が女にも眠りの魔法を撃ち込んだようだ。女はまた地面に横たわった。赤ん坊も眠りの魔法が撃ち込まれたのか、動かなくなった。
「リーダー。ここはおれに任せてくれ。豹族の女を調べるのは、おれ、得意だからな。ここで先に調べておくぜ」
そう言ったのは、さっき女の脚を剣で叩いた男だ。
「おまえも好きだな。まぁ、いいだろう。おれたちは亭主と赤ん坊を先に運ぶから、おまえは後から来い。女を殺すんじゃないぞ」
「分かってるって」
リーダーともう一人の男は浮上走行の魔法で戻っていった。眠ったままの亭主と赤ん坊は念力魔法で空中を運ばれていき、低木の向こうに姿を消した。
男は紐で女の手を縛ってから女に向かって呪文を唱えた。眠り解除の魔法だ。
女は少しぼんやりしていたが、自分の両手が縛られているのに気付いて、やっと何が起こったか思い出したみたいだ。
「私の赤ちゃんはどこ? この紐をほどいて! ジュリ! 大丈夫なの!?」
ジュリというのは赤ん坊の名前のようだ。女は紐を解こうと暴れた。
それを男が女の髪を掴んで捕まえた。
「暴れるな! おまえの赤ん坊も亭主も仲間が連れていったぜ。おまえが素直に盗賊だと白状しないから赤ん坊まで拷問されることになるのさ」
「拷問……? ジュリが?」
「そうさ。おまえが悪いんだぜ。だが、おれが助けてやってもいいんだが、どうする?」
「おねがいします。たすけてください。私の赤ちゃんを……。どうか……」
「しかし、タダでは助けられねぇなぁ」
「お金は……ありません。どうすれば……?」
「おまえは豹族だが、顔も体もおれの好みにピッタリだぜ。ここまで言えば何をするか分かるよなぁ」
女は顔を伏せて肩を震わせていたが、決心したように顔を上げた。
「イヤです。どうせ口先だけでしょ!」
「ほぅ、おれに逆らうって言うのか? そのほうが面白いぜ」
そう言いながら男はニヤついた顔で女の腹を強打した。女が前屈みになると女の髪の毛を掴んでその場に引き倒した。馬乗りになって女の衣服を引き千切ろうとしている。
こいつは最低の男だ! これ以上は見ていられない。どうすればいいだろ?
俺が訓練中にミスしたことが原因でこの獣人の親子に火の粉が降りかかるのは気の毒すぎる。俺が出ていくしかない。厄介ごとが増えそうで嫌な予感がするが、今はそんなことも言ってられない。
※ 現在のダイルの魔力〈265〉。




