025 フィルナは大きく転身する
ここは船の中の通路だ。船は横倒しになっていて、通路の床となっているのは実は通路の壁だ。そこに隠し扉があった。フィルナの説明によると、この船はマイダール商会の持ち船で、船の建造当初から隠し倉庫を設けていたそうだ。
隠し扉を開けると、さらにその奥に金属の扉があった。
『この扉は私だけが開けることができるのよ。お父様がそのように手配したの。魔法耐性も組み込まれているから壊すのは難しいはずよ』
フィルナが何やら呪文を唱えると金属の扉が開いた。この隠し倉庫は鉄ではなく特殊な金属で作られているらしい。扉の厚さは20セラ、つまり20センチくらいあった。
『ちょっと待っててね。ククル兄が無事かたしかめてくるから』
フィルナが倉庫の中に入っていった。しばらくすると、棺のようなものがゆっくりと浮き上がってきた。フィルナが念力魔法を使っているのだろう。
『倉庫の中の物は私の亜空間バッグに入れたけど、この棺は大きすぎてムリみたい。テオドさん、この場所で棺を開けるので、石化解除をお願いできますか?』
『いや、それは止めた方がいい。ここは危険だからな。ここで棺を開けるよりも、このまま小屋まで持って帰って、そこで開いて石化を解除しよう』
『テオドが言うことは分かるが、この棺を持って帰るのは大変だぞ? ずっと念力魔法で引っ張っていくのか?』
『心配するな。アイラ神様が上空まで来てくださるそうだ』
なるほど。それは助かる。
船の外まで棺を運び出して、そこからは浮遊魔法で上空に上がった。棺はテオドが念力魔法で引っ張り上げた。
魔樹海の上空に上がると、アイラ神がワープして来て、この前のように飛行魔法で俺たちの小屋まで連れて行ってくれた。
俺たちは小屋の前の広場に降り立った。すると突然、驚いたことにフィルナが跪いた。そして、アイラ神に向かって伏し拝みながら挨拶を始めた。
「アイラ神様、ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。マイダール商会の三女、フィルナ・マイダールでございます。このたびは、アイラ神様とテオド様にお助けいただき、わたくしと兄のククルをここまでお運びくださいましたこと、心よりお礼を申し上げます」
「フィルナさん、もう、そのへんでいいわよ。あたしは神族だけど、堅苦しいのは嫌いなの。気楽に、普通に接してくださいね」
「ありがとうございます。普通にお話しさせていただく前に、一つだけお願いがございます。兄のククルがバジリスクロードによって石化されてしまいました。どうかアイラ神様の魔法で兄の石化を解いていただきたく、厚かましいお願いではございますが、伏してお願い申し上げます」
「その話はテオドから聞いてます。分かったから、さぁ、立ち上がりなさい」
「アイラ神様もそのように仰っている。だから、フィルナさん。立ち上がって話をした方がいいぞ。ダイルのようにずうずうしくなれとは言わぬがな」
テオドが当て付けがましく俺の方を見ながら言った。悪かったな。ずうずうしくて。
「では、お言葉に甘えて」
そう言いながらフィルナは立ち上がった。
「テオドからククルさんは石化して3年が経っていると聞いたわ。石化の解除はできる。でも、それだけ時間が経ってしまうと、ククルさんのソウルはおそらく体から離れて浮遊ソウルになっているわよ。それでも石化を解除するの?」
俺の〈知識〉によれば、一般論として石化したまま2年が過ぎてしまうと、ソウルが体から抜けてしまうらしい。ソウルが体から離れて浮遊ソウルになってしまうと、そのソウルを元の体に戻すことはできない。そうなったなら、石化を解除してもその体はソウルが入っていない抜け殻にすぎない。
そんな抜け殻になってしまうが本当にそれで良いのか。アイラ神はそう問い掛けているのだ。
その問い掛けにフィルナは悲しそうな顔をした。が、すぐに答えを返した。
「その話はダールムの魔法ギルドでも聞きました。それでも、僅かでもいいから希望があるならアイラ神様にお願いしようと、母と相談してカイエン共和国へ向かうことにしたのです。どうかアイラ神様、お願いいたします」
「石化を解除しても、ソウルが抜けた体はすぐに死んでしまうわよ。数日か長く持っても10日くらいだけど、それでもいいの?」
「はい……」
フィルナは涙を零しながら頷いた。
「ごめんね、辛いことを言って。あなたはククルさんのことを本当に愛しているのね」
「ククル兄とは血の繋がりはないのですが、私にとって本当に大切な家族なのです。どうか、お願いします」
「分かったわ。ただし、これもテオドから聞いたのだけど、あなたのお父様は対等な取引きを望んでおられるとか。今のままでは、一方的にあたしから援助することになってしまうわね。それで、あたしからもあなたにお願いがあるのよ」
アイラ神の言葉にフィルナは顔を上げて不思議そうな顔をしている。
俺はアイラ神の言葉に腹が立ってきた。
「おい、アイラ神、今になって何を言い出すんだ!?」
「ダイル! おまえ、なんてことを言うのだ! アイラ神様に対して失礼な物言いをするな!」
「テオド、いいのよ。あたしの言い方が間違ってたの」
「アイラ神様、私やマイダール商会ができることなら喜んで対応いたします。どうか仰ってください」
「ダイルよりもフィルナさんのほうがずっと人間ができてるな。なぁ、ダイル!」
くそっ。面白くないぞ。テオドのやつめ!
「あたしがあなたにお願いしたいことは、フィルナさんにあたしの使徒になってほしいということよ」
「え?」
「突然にこんなお願いをしたから驚いていると思うけど、あたしは使徒が少なくてね。テオドのほかに数人いるだけなのね。それで、ぜひ、あたしの使徒になってほしいのよ」
アイラ神からの依頼を聞いて、フィルナは固まったままだ。たぶん、思いがけない内容に頭の中が真っ白になっているのだろう。
「聞いていいか? どうしてフィルナを使徒にしようと思ったんだ?」
俺がフィルナの代りにアイラ神に尋ねた。
「それは、フィルナさんが魔力〈100〉以上のロードナイトになったことや、素直で優しい気持ちを持っていると分かったこと。それに行動力があること、マイダール商会という大きな後ろ盾があること。もっと言えばダイル、あなたと仲がいいこと。理由はそんなところよ。あたしの使徒として申し分のない人だと思うの。どうかしら?」
「ええと、俺と仲がいいっていうのが、どうして理由になってるんだ? 意味が分からないが……」
「あたしは、ダイル、前にも言ったでしょ。あなたがほしいのよ」
なんだって!? アイラ神は俺に惚れてるのか?
「なんだか誤解してるみたいね。また、言い方を間違ってしまったわね。前にもあなたにお願いしたように、あたしはダイルを自分の使徒にしたいの。でも、あなたは保留にしてしまったでしょ。それで、フィルナさんにはダイルとあたしの間の連絡役になってほしいと思ってるのよ」
「それは、どういうことでしょうか?」
フィルナは固まっていたが、ようやく頭が回りだしたようだ。
フィルナには俺とアイラ神の関係について、数時間前、魔樹海の中にいたときにざっと説明しておいた。しかしアイラ神から俺に使徒になってほしいと頼まれていることまでは説明してなかった。
「さっき言わなかったんだけど実は……」と俺がその説明をすると、フィルナはアイラ神の意図が分かって少しムッとしたみたいだ。
「アイラ神様が私を使徒に望まれる理由は、私をダイルとの連絡役にするためなのですね? それなら……」
「いえ、違うの。あぁ、あたしったら、なんでいつもこうなのかしら。いつも言葉足らずで誤解されてしまうのよね。困ったことだわ。
ともかく、あなたはあたしの使徒としてダイルと一緒に行動してほしいのよ。そして、あなたもダイルと一緒に能力を高めてほしいの。あたしの本当の使徒になるには魔力が〈500〉以上のロードナイトになることが条件よ。だから、それまでは見習い期間みたいなものよ。ダイルと一緒に修行しなさいってこと。そう考えてほしいの」
フィルナはそれを聞いて頷いた。
「分かりました。私はアイラ神様の使徒になります」
フィルナはきっぱりと言い切った。大商会のお嬢様という立場から神族の使徒へ大きく転身するのは相当の覚悟が必要だと思うが……。
「でも、問題が一つあります」とフィルナは困惑の表情になって言葉を続けた。
「困ったことに、私にはマイダール商会の娘として父から与えられた使命があるので、それをどうしたらよいか……」
「知っています。カイエンで支店を開いて取引きを広げていくということですね。その件は、あたしの方からマイダール商会へお願いしたことですよ」
「はい。私は、その使命を果たしながら母や兄と一緒にカイエンで暮らすつもりでした。でも、母が亡くなった今となっては、その使命は私にとっては意味のないものになりました」
「カイエンで支店を開いて取引きを広げていくのは、フィルナさんでなくてもできるわ。でも、あたしが使徒にしたいと思う人はダイルとフィルナさんだけよ。だから、あたしがあなたの父上にお願いに行きます。あなたを使徒にすることと、代わりにカイエンへ誰かを派遣してもらうことを認めてもらうつもりです。必要なら神族としての権威も使って間違いなく認めてもらうから安心しなさい。あなたは心配しないでいいわよ」
アイラ神はにっこり微笑んだ。相変わらず、可愛くて素敵な笑顔だ。
それを聞いたフィルナも「ありがとうございます」と言いながら明るい顔になった。
「アイラ神様、昔のような強引な交渉はお止めください。相手の豪商が良い返事をしないから頭にきたと言って、その豪商を潰してしまうのは可哀そうですよ」
「テオド、いい加減なことは言わないで。あのときは、強欲な人だったから、あんな人と取引きしたらダメよって何人かの知人に言っただけよ。そしたら、いつの間にか店が潰れてただけじゃない。あたしのせいじゃないわ」
う~ん。笑顔に騙されるところだった。この人は敵に回してはダメだな。フィルナも顔が引きつってるぞ。
………………
その後、アイラ神はフィルナと使徒の契約を結んだ。これで、フィルナは年を取らなくなる。どこにいてもアイラ神と念話で話ができるし、アイラ神と一緒であればワープもできる。
使徒になればイージーモードになるから属性に関係なく魔法が使えるようになるし、スキルの登録もハードモードよりは簡単になる。それに、呪文も長ったらしい言葉を最初から最後まで唱えるのではなく、省略形の呪文で魔法を発動できるようになるらしい。
その代り神族の命令に従わなければならない。命令に従わない場合は、使徒の契約を解除されるかもしれない。そうすると、その時点から普通の人族と同じように年を取り始める。ハードモードに戻って魔法やスキルで使えないものが出てくる。
俺の場合は初めからイージーモードだし、無詠唱で魔法を使える。そう考えると、俺にとってはアイラ神の使徒になるメリットは少ないかもしれないな。まあ、まだまだ時間はあるから、ゆっくり考えればいいことだ。
ところでククルの石化の解除だが、それは後回しになった。ククルの石化を解除すると、その結果がどうであってもククルに手が掛かることになる。だから、先にマイダール商会との交渉を済ませることにしたのだ。
「では、フィルナを連れてダールムに行ってくるわね。たぶん、ダールムでの交渉に数日かかって、その後、カイエンでの支店開設の手配にも数日かかると思う。テオドはその間、ここで待機よ。ダイルの実戦指導をしてあげて」
アイラ神はフィルナが自分の使徒になったから、名前を呼び捨てるようになった。フィルナもそれを当然のように受け入れている。
………………
アイラ神とフィルナは7日後に戻ってきた。その間、俺はテオドに指導してもらいながら主に魔樹海の中で実戦訓練を繰り返した。
マイダール商会の店主、つまりフィルナの父親との交渉は無事に終わり、その後のカイエンでの支店開設の準備も順調に進んでいるそうだ。フィルナの代りには番頭格の人がカイエンへ派遣されるらしい。
テオドから聞いた話だが、自分の子供が神族の使徒になるというのは、その家にとっては破格のアドバンテージなのだそうだ。もちろんそのことは極秘であり人に話してはいけないが、神族とそういう関係を築けたことが父親として、そして家長や店主として大変な喜びなのだそうだ。家や店が繁栄したり、逆に潰れたりするのに、神族の影響は極めて大きいのだろう。
これはフィルナから聞いた話だが、父親が声を上げて大泣きしたのを初めて見たそうだ。それは、ダリナさんがフィルナを守って致命傷を負い、継承の契約を果たして亡くなったことを聞いたときのことだ。
「わしが悪かった。もっとダリナに母親らしいことをさせてやればよかった」
そう言って大泣きしたそうだ。
「ダリナー、ダリナー、ダリナー……」
ずっと名前を呼びながら子供のようだったと、フィルナは泣きながらその話をしてくれた。俺も思わずもらい泣きしそうになったのは、ここだけの話だ。
………………
ククルの石化を解除するときが来た。
「もう一度確認するけど、ソウルが体に留まっている可能性は極めて低いのよ。それでも石化の解除をするのね?」
「はい、アイラ神様。お願いします」
フィルナの決意は固いようだ。
ククルは既に棺から出されて、寝床の上に横たわっている。石化というのは石になっているのかと思っていたが、どちらかと言うと硬いゴムのような色合いと感触だった。
「では、始めるわね」
アイラ神が石化解除の呪文を唱えると、ククルの顔や手足の色がしだいに普通の肌色に戻ってきた。数分後、瞼がピクピクし始めた。
※ 現在のダイルの魔力〈230〉。
※ 現在のフィルナの魔力〈150〉。




